C4-01
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「ああ、お嬢様!よくぞお戻りになられました」
エージェント達に連れられてセレナが自宅であるバクー邸の門をくぐったのは、夕刻に差し掛かる頃だった。
中から執事頭が出て来て、セレナの前まで駆け寄って来る。
「……ただいま」
「おかえりなさいませ」
セレナは沈んだ声色で返したが、執事頭は優しく微笑みながら恭しく頭を下げた。
エージェント達を帰してから彼はセレナを中へと促す。
足取りの重いセレナの背中に手を添え、小さく告げた。
「お嬢様、お疲れのことでしょう。社の方には連絡してありますので、本日はゆっくりお寛ぎください」
それからセレナをダイニングへ案内した。
「シェフが腕によりをかけて、お嬢様のお好きな料理をたくさん用意したそうです。
少しでもお召し上がりになった方が早く疲れも取れますでしょう」
そう言いながら椅子を引きセレナを座らせる。
彼女は心ここに在らずと言った様子で、されるがままになっていた。
Character episode4 決意と戸惑い
サラダとスープが運ばれてくる。
スープは、セレナの好きなオレンジスープだった。
しかしセレナがスプーンを手に取りそれをひと掬いした瞬間、あの夜のトマトスープの香りが思い出された。
「お嬢様……」
スプーンを持ったまま動きを止めてしまったセレナを心配そうにメイドが見つめている。
そこへ執事頭がやって来て、セレナの前に掌と同じくらいの大きさの木の箱を置いた。
セレナは無言でその箱を見てから執事頭の顔を見る。
「旦那様から、これをお嬢様に渡すようにと連絡がありました」
「お父様が……?」
執事頭が箱を開けるよう促し、セレナはゆっくりとその蓋を開けた。
するとそこには、丁寧にビロードの布に包まれたピンクゴールドの懐中時計がしまわれていた。
しかしその上蓋はひしゃげ、ガラスの風防にはヒビが入っている。
その針は時を刻むの事をやめていて、この時計が壊れてしまっていることを表していた。
「……これって……」
セレナは大事そうにその時計を箱から取り出し、掌に乗せた。
「お嬢様が当家にいらした日から旦那様が大切にお仕舞いになられていたものです。
お嬢様が将来嫁がれる時にお渡しするつもりだったようですが……」
執事頭はそう言って柔らかく微笑んだ。
彼も数分前にビズリーからその指示の電話を受けた時はかなり驚いたが、どうやらこの親子の間に真実を明かす事情ができたらしいことを察した。
「旦那様は、お嬢様を託せるお相手が出来るまではご自分がお嬢様をお守りしなければならないとお考えだったのですよ」
――私が殺してしまった友人達の願いだ。
「お父……様……」
セレナは時計を胸に当て、そっと抱きしめた。
怒りを覚えたはずの養父に沸いた温かい感情に、戸惑いを感じつつ。
「旦那様はずっとお嬢様のご両親の死を償おうと、ご自身が背負われた一族の宿命からさえもお嬢様を遠ざけていたのです。
それだけは、分かって差し上げて下さい」
執事頭は柔らかく声色のままそう告げた。
セレナは目の前に時計を翳す。
これはセレナの母親が彼女に骸殻能力を使わせない為に壊したものだと言う。
しかし完全に壊すのに躊躇したのか、はたまた出来なかっただけなのかは分からないが、文字盤や裏蓋は綺麗なままだった。
セレナはしみじみと時計を眺めた。
その表情はどこか寂しげだ。
「お嬢様、少しだけでもお食事を……」
執事頭はしばらくセレナの様子を見守った後、食事の続きを摂らせようと声をかけた。
ガシャァァァァァン!!!!!
しかしその瞬間、突如窓ガラスが割れる音と銃声が鳴り響く。
「何事だ!?」
執事頭がすぐさま辺りを見回す。
するとダイニングのドアが開き、頭から血を流した警備員がよろよろと滑り込んで来た。
「お、お逃げください……アルク……ノアが……」
「アルクノアですって!?」
セレナが警備員に駆け寄りその身体を支えようとする。
しかし男は力なくその場に崩れ落ちた。
「奴らの……狙い……は、お……じょうさま……です……」
それだけ言うと、男の全身からガクリと力が抜けた。
「なんですと!?お嬢様、安全な場所へお逃げ下さい!」
執事頭はすぐさまセレナの手を取るとダイニングの奥にある扉を開けた。
「ちょっと、私だけ逃げるなんてできないわ!私も戦えるし……!」
手を引かれながらもセレナが抗議の声をあげる。
「早くお逃げ下さい!お嬢様にはなすべきことがあるとおっしゃっていたではありませんか!」
しかしそんなセレナに向かって叫んだのは、玄関ホールからダイニングに続く扉をなんとか押さえている若いメイドだった。
あの時、サンドイッチを持たせてくれた彼女だ。
「早く!!!」
彼女の気迫にセレナが戸惑っていると、厨房から出てきたシェフがその背中を押しドアを閉じた。
扉が閉まる間際、彼の固く決意した表情が、少しだけ悲しそうにセレナを見ていたのが見えた。
玄関ホールの方角からは叫び声と複数の足音、それから再び銃声が聴こえてくる。
その後に、誰のものかも分からない絶叫がこだました。
しかし執事頭は険しい表情でそのままセレナを階段まで引っ張って行った。
「じいや!離してよ!!」
「お嬢様を守るのが、私どもが旦那様から仰せつかった使命でございます!」
「だからってこのままじゃみんなが!」
「お嬢様に何かあれば旦那様に申し訳が立ちません。それに……」
執事頭は辺りを伺いながらセレナを2階のウォークインクローゼットに押し込む。
抵抗しようと動いていたセレナのポケットからGHSが転げ落ち、階段の方へと滑っていってしまう。
その後ろから、機関銃を構えたアルクノア構成員が駆け上がって来る音がする。
「……お嬢様は私どもにとっても心の支えなのです!」
彼はセレナが8年前にこの邸にやって来た時から、その成長を見守って来た。
「じいや!開けてよ!!」
「いつも前向きで、我々一人一人に毎日笑顔で声をかけてくださって……そんなお嬢様は皆の宝物であり、誇りなのです」
執事頭はドアに鍵をかける。
クローゼットには内鍵がついていないためセレナはドアを力いっぱい殴ったが、勿論びくともしなかった。
ドアの向こうからくぐもった男の声が聴こえてくる。
恐らく覆面をしているのだろう。
「おい!セレナ・ロザ・バクーはここだな!?」
「……存じませんが」
「嘘をつけ!ジジイ、そこをどかないと蜂の巣だぞ!」
「何故当家のお嬢様を狙うのですか」
「はっ、お前に知らせてどうする!まあ、残念だが俺たちも詳しい理由は知らねえよ」
男が笑いながら答えると、銃を構える音が聴こえた。
「お嬢様!!!外へお逃げ下さい!!!!」
執事頭が力いっぱい叫ぶ。
セレナは弾かれたように振り返ると、クローゼットの窓の向こうに庭の木が見えた。
(私だけ逃げるなんてできない!)
しかしセレナは頭を振ると、扉を蹴破ろうと数歩下がる。
その時、ドアの向こうでアルクノア構成員のうめき声と、何かが床に倒れるような音がした。
「あ、貴方様は!?」
「下の奴は片付けた。若いメイドとシェフは無事だ。セレナがそこにいるなら出してやって良いぞ」
執事頭の驚いた声の後に、聞き覚えのある男の声がした。
すぐにクローゼットのドアが開けられ、そこにはユリウスが立っていたのだった。
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というわけで、またまたオリジナルストーリーです。
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