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「念入りに命の時を止めるとしよう」
クロノスが何度目かの時間巻き戻しを行い、その傷が一瞬にして塞がって行く。
ルドガー達は終わりの見えない激戦に、絶望にも似た感情を押し殺しながら肩で息をしていた。
しかしそこへ、結界術に囚われていたはずだったエルが走ってきた。
「ルドガー!!」
そしてエルはルドガーの前に立つと両手を広げ、足がすくむのを奮い立たせてクロノスを睨み付けた。
「もう結界術が解けたのか?……どけ」
クロノスは計算外だと言わんばかりに怪訝な顔をしたが、すぐにエルに鋭い視線を向ける。
「いやだ!だってルドガーは、エルの……」
「たった一つの命、無駄に捨てるな」
エルが気丈に言い返したのとほぼ同時に、彼女の前を大きな影が遮る。
それは、赤いコートを翻した大柄な男だった。
「ビズリー・カルシ・バクー……」
エルの前に立ち塞がるビズリーの姿に、クロノスが嫌悪感を露わにする。
「カナンの地に入る方法なら、私が知っている」
「お父様が!?」
ビズリーが不敵な笑みを浮かべながらクロノスを睨みつける。
彼の言葉に、セレナが驚きの声を上げた。
「−−−−ー、だろう?」
(お父様、今なんて?)
ビズリーはセレナの声を気にも留めず、クロノスとおそらく近くにいるエルにだけ聞こえるくらいの小さな声で呟いた。
セレナは不思議そうにビズリーを見ている。
「……チッ!」
その言葉を受けたクロノスが舌打ちした。
怒りを隠さずにいるところを見ると、どうやらビズリーの知っている方法は正しいやり方らしい。
しかしそれとは反対に、エルは突如恐怖の表情を浮かべ、動揺を露わにした。
セレナがエルの様子に疑問を投げかけようとした時、ビズリーが再び口を開いた。
「最後のカナンの道標、“最強の骸殻能力者”は分史世界で手に入れて来た。この世界にはまだ残っているぞ?」
そう言い終わらない内に、なんとビズリーは一瞬だけ骸殻化してすぐ元に戻って見せた。
(お父様が骸殻に!?)
ほんの一瞬の出来事だったが、確かにビズリーは骸殻化していた。
しかもヴィクトルと同じで、頭の上から足の先まで全てが覆われる形態の骸殻に。
(まさか正史世界の“最強の骸殻能力者”が自分だから、そのことを隠して……)
セレナは驚愕し、腕が震えていることに気が付いた。
それでは、尊敬していた養父がついた嘘によって、エルの愛する父親と生まれ育った世界を奪ってしまったということになる。
自らが分史世界へ行かないのも、時歪の因子化を防ぐためだろう。
その事実に気付いてしまったセレナは全身の力が抜けそうになり立っているのがやっとだった。
「私とクルスニクの鍵、同時に相手をしてみるか?」
そうこうしている内に、ビズリーがルドガーをわざわざ指差しながらクロノスに問う。
(お父様、エルに攻撃させない為にわざとルドガーを……!)
セレナは更なる養父の思惑に気付き、その身勝手さに怒りを覚えた。
ユリウスも同じだったようで非難の声を上げようとするが、それより先にルドガーがクロノスに攻撃されてしまう。
さらにクロノスがルドガーに術を放とうとした瞬間、ユリウスが捨て身でクロノスに飛びかかり、クロノスを連れて消えてしまった。
「残り少ない力で無茶をする」
ビズリーはそれをいつもの無表情ではなく、どこか困ったような、呆れたような表情で眺めていた。
「カナンの地への行き方を教えてもらおう」
ビズリーに詰め寄ったのはミラだ。
しかしビズリーが口を開くより前に、エルが遮るように叫び出した。
「カナンの地なんて行かなくていいよっ!」
突然の変わりように一同が目を見張る。
しかしエルは今にも泣き出しそうな程怯えた顔のまま、行かなくていいと繰り返した。
エルの前にルドガーが屈み込み、真鍮の時計を目の前に差し出した。
「一緒にカナンの地へ行くって約束……」
それは、エルとルドガーが目を見て交わした約束だった。
「や、約束なんてどうでもいいし!」
しかし一瞬だけ素に戻ったエルだったがまたすぐに拒絶する。
「どうでもよくないだろ!」
しびれを切らしたルドガーが声を荒げるが、エルは断固として首を縦に振らず、ついにはその場から走り去ってしまう。
セレナはそれを追おうとしたが、ビズリーの声がしたことによって反射的にその場に留まってしまった。
「あの娘の言う通りだ。お前はもう骸殻能力を使う必要は無い」
ビズリーはルドガーに言い放つが、どうもそれは彼がもう用済みだと言う意図ではなく、なすべき仕事をこなしたからだと言いたいらしい。
「ルドガー。私はお前を誇りに思うよ」
少しだけ。ほんの少しだけビズリーが表情を緩めてそう言った。
その姿に、セレナはビズリーとルドガーの関係について導き出した答えを思い出す。
2人の姿を視界の内に収め、セレナは2人の同じ銀髪が風に揺れるのを見ていた。
ルドガーはと言えば、ビズリーの差し出した手を握り返すこともなくエルを追いかけると言う。
しかしそれはビズリーによって遮られた。
ビズリーは、ルドガーがこれ以上骸殻化するとそれこそエルは時歪の因子になってしまうのだから、もうルドガーに出来ることは無いと言う。
そしてエルはクラン社で保護するので、カナンの地への行き方などは本社で説明すると告げた。
ルドガーは仲間達の助言もあり渋々それを受け入れ、その場は引き下がることにしたようだった。
ビズリーはカナンの地を睨み上げる。
「慌てなくても、カナンの地は逃げない。
……逃がすものかよ」
セレナはその養父の横顔に、今まで彼の地を目指し骨肉の争いを繰り広げてきた一族の執念を垣間見た気がしたのだった。
するとその視線に気付いたのかビズリーがセレナに向き直った。
「セレナ。お前は屋敷に戻りなさい」
「何故ですか、お父様」
セレナがその鋭い視線にもたじろかずに返せたのは、ガイアスのおかげかもしれない。
「……家の者達が心配している」
しかしビズリーの意外な言葉にセレナは俯いた。
確かに執事頭やメイド達には、特に最近よく心配をかけていることに心当たりがあったからだ。
それでも自分のなすべきことの為に前進してきたつもりだったが、カナンの地が出現したことにより彼女の研究ももう必要無いものとなるだろう。
「急いで社に戻る必要がないのは分かっているようだな。ならば一度家に戻りなさい」
「お父様、一つだけお聞きしたいことがあります」
セレナは顔をあげ、決意を込めた目でビズリーを見る。
するとビズリーはそれを拒まず、養女の次の言葉を待った。
セレナはそこで一旦仲間達に振り返り、先に戻っていてくれるよう頼んだ。
「みんなは先に本社に戻っていて?エルが見つかってるかもしれないし。私は一度帰ってから向かうから」
「セレナ一人で大丈夫ですか?」
エリーゼが心配そうにセレナの顔を見る。
それにセレナは微笑みを返した。
「ありがとう。私は大丈夫」
それだけ言うと仲間達から離れ、ビズリーの元へ歩み寄った。
残された仲間達はその様子をしばし伺っていたが、セレナが一同がいなくなってから話そうとしていることを察し、複雑な表情で彼女を見ていたルドガーを促して駅へと向かって行った。
「さて。聞きたいこととはなんだ」
先に口を開いたのはビズリーだった。
セレナは意を決して養父に疑問をぶつけた。
「お父様。私は本当に骸殻能力者ではないのですか?」
その質問にビズリーはしばらく答えなかった。
しかし一度瞼を閉じると、再び鋭く蒼い瞳でセレナを見返した。
「それを知ってどうする」
「では、やはり……」
この場合、否定以外の答えはイコール肯定だろう。
セレナの言葉に、ビズリーは諦めたように長いため息を付いた。
「……お前の両親の願いだ」
「えっ……?」
「お前に骸殻能力を使わせないこと。それがお前の両親の悲願だった」
ビズリーは思い出すように目を細めた。
セレナはその意外な事実に目を丸くする。
(実の息子にさえ骸殻化を強いているのに、なぜ他人のそんな願いを受け入れたの……?)
黙り込んでしまった娘を見て、ビズリーは少しずつ話し始めた。
「お前の父親は、私のせいで死んだ」
セレナはそのことをユリウスから聞いていた。
セレナの実父は、過激派組織からビズリーを庇って死んだのだ。
「あいつは私が唯一“友”と呼べた男だった……だが私を庇って死んだ。
そしてそれが原因で心労がたたり、無理に分史世界を破壊し続けたことでお前の母親は時歪の因子化しそうになった」
「お母さんが……!?」
しかし更なる事実にセレナは言葉を失った。
ずっと精神的な病のせいだと思っていた母のあの状態は、時歪の因子化からくるものだったと言うのだ。
だがセレナにも心当たりが無いわけでは無かった。
これまで数々の分史世界で見てきた時歪の因子。
人間に憑依したものは皆、その人物の人格を荒くさせていた。
分史世界で時歪の因子化した母親に殺されそうになった時、あの時の記憶がフラッシュバックしたのはそのせいだったのだ。
「それからはお前も知っている通りだ」
ビズリーは続ける。
「その2人がずっと隠していたのがお前の骸殻能力だった。おそらく、お前には普通の人生を歩んで欲しいと思っていたのだろうな。
私が殺してしまった友人達の願いだ……何に代えてもそれだけは守らねばならないと思っていた」
「お父様……」
セレナはゆるりと顔を上げ、かなり高い位置にあるビズリーを見上げた。
その蒼い瞳は心なしか寂しげに揺れている気がした。
「お前の能力のことは、お前を引き取る時に知った。
お前の母親の荷物の中に、“壊れた時計”を見つけた時だ。いや……“壊された時計”と言うべきだな」
「壊された……時計!?」
「お前の母親が、お前が時計を使えないようにしたのだろう」
セレナの脳内にヴィクトルの言葉が浮かぶ。
(あの世界の私は、壊れた時計で無理矢理骸殻化を繰り返して……)
「……お前自身の骸殻能力のこと、知っていたのか」
セレナの考えまでは分からなかったようで、ビズリーが訝しげに問う。
セレナはゆっくりと頷いた。
「分史世界で、知りました」
「そうか……」
ビズリーはセレナの言葉を噛みしめるように呟いた。
それを振り払うように頭を振ると、再び意思の強い瞳で養女を見た。
「だが、じきオリジンの審判は終わる。お前が骸殻化する必要は無い。そもそも壊れてしまった時計で変身することなどできん」
「お父様、それは……」
セレナがその先を続けようか迷っていた時、背後に複数の足音がして振り返る。
「来たな、お嬢さん」
セレナの後ろに歩み出た少女に向け、ビズリーがいつもの威厳ある声色で言った。
「エル!?」
セレナはそこに佇むエルの姿に驚きの声を上げる。
しかしエルはきつく手を握りしめたままビズリーを見上げた。
エルの後ろには数名のエージェントが控えている。
「セレナ、お前はもう行きなさい」
ビズリーはそう言うと、エルを連れて来たエージェント達に今度は娘を自宅まで送り届けるよう申しつけた。
「行きましょう、セレナ様」
「お父様!エル!」
「お前に話すことはもう無い」
エージェントに腕を引かれながらセレナが振り返り2人に呼びかける。
しかしビズリーはもうセレナに視線を向けることもなく突き放した。
「セレナは、ルドガーといっしょにいて」
困惑するセレナに向けエルが呟いた。
「……セレナは、ルドガーのホンモノの大切な人だから」
「エル!」
「ルドガーにはセレナとその子どもの、ホンモノのエルがいればいいんだよ!」
「そんなことないよ!!」
エルが全力で叫ぶ。
セレナは必死でそれを否定しようと呼びかけるが、エルは叫び続ける。
「そんなことある!!パパだって……パパだってエルとママよりセレナが大事だったんだよ!もうセレナなんて嫌い!!」
「……っ!」
エルが真っ直ぐに、セレナを睨むような眼差しで見つめた。
セレナはその瞳に射抜かれたようにたじろぐ。
「エル、そんなこと言わないで……ルドガーとエルはアイボーだって、言ったじゃない……」
「もう、エルとルドガーはアイボーじゃないもん……ルドガーはカナンの地に行かなくていいんだもん……」
「エル、どうして……?」
「さあ、セレナ様」
セレナが迷うように瞳を揺らしながらかろうじてそう答えるが、エルはそれ以上何も言わずセレナに背を向けてしまう。
そして、ビズリーがエージェント達に目配せしたことによりエルの周りは取り囲まれてしまった。
「ヴィクトルさん、エルとエルのママを愛していたって言ってたじゃない!」
両脇を固められ引き離されるセレナが叫ぶ。
しかしエルは背中を向けたまま反応を返さなかった。
そして、力の抜けてしまったセレナは引きずられるようにその場から連れて行かれてしまった。
「……まずはそちらの要求を聞こうか」
娘の姿が見えなくなると、俯いたままのエルにビズリーが向き直った。
エルは意を決して顔を上げる。
その顔は強張っていたが、エメラルドの瞳はもう決して揺らがなかった。
「離して!やっぱりエルを助けないと!」
セレナは腕を引くエージェントを睨みつけた。
しかし彼等は手に込めた力を緩めることなく、無理矢理セレナを前に引っ張った。
「あの少女は自ら社長との面会を望んだのですよ」
一人のエージェントが冷たく言い放つ。
その言葉にセレナは目を見開いた。
「エルが……自分から?」
「ええ。ですからセレナ様が何をおっしゃろうと無駄でしょう」
「なんで……そんな……」
セレナは立ち止まる。
しかし振り返ろうにも周りをエージェント達に囲まれてしまっている為、もうエル達の方を見ることは叶わなかった。
「彼女はオリジンの審判を超えるのに不可欠な存在。社長が彼女を無下に扱うことはありませんし、守って下さるでしょう」
「お父様は、エルを利用するつもりなのね?」
「彼女の“願い”を叶える代わりに、ですよ」
「……さあ、行きましょう。我々は社長の命令に背くことは出来ませんので」
淡々と告げるエージェント達の表情はサングラスによって隠されている。
「エル、お父様……どうして……?」
セレナはエージェント達によって歩かされながらも、うわ言のようにつぶやき続けていた。
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この辺りは原作があまり長くないのでサクサク進みます。
エルの本心やいかに……?
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