12-07
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セレナは部屋に戻るとうつ伏せでベッドに倒れこんだ。
(私、何やってるんだろう……)
柔らかいマットレスに身体を沈み込ませながら、セレナは目を閉じた。
(覚悟していた筈だったのに)
エルとルドガーの関係には気付いて居た。
だからこそ、ルドガーと自分が結ばれる運命に無いということも分かっていた。
ルドガーのことは今でも好きだ。
しかし、セレナにとってはルドガーと同じくらいエルも大切な存在になっている。
『君を愛していた』
ルドガーと同じ、しかし低く落ち着いた声が頭の中に響く。
「ヴィクトルさん……私は、どうしたら……っ?」
セレナは顔を悲痛に歪め、シーツを握り締めた。
ルドガーと同じ顔、同じ目、そしてトーンは違えど元が同じ声で告げられた言葉。
彼はセレナが困ることを知っていても尚、“彼のセレナ”に伝えられなかったその言葉を告げたのだろう。
『そばにいられない方が辛かった』
(そんなこと言われたって……ルドガーにはエルの……)
セレナの脳裏に、エルの家で見た写真立てが浮かび上がる。
亜麻色の髪に菫色の瞳をした可愛らしい女性。
ヴィクトルと肩を寄せエルを抱きかかえていたその人こそ、ルドガーと結ばれてエルの母親となるべき人物。
「覚悟してたはずなのに、キツイな……」
セレナは誰もいない部屋で一人呟いた。
彼を支えようと誓ったはずなのに。
将来待ち受ける運命だって甘んじて受け入れようと決めたのに。
“彼”に告げられた言葉が、セレナの決意を鈍らせる。
「私に言われたって……仕方ないのに……」
セレナの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちてシーツを濡らす。
エルは自分を許してくれないかもしれない。
父親が母親以外の女を愛していたなどという事実は、幼い少女には過酷すぎる。
ましてや父親本人からそのことを目の前で告げられた上に、エルはセレナの気持ちもルドガーの気持ちも知っているのだ。
「エル、ごめんね……ごめん……」
セレナは一人、虚空に向かって謝罪をし続ける。
その言葉が、隣の部屋にいるだろうエルに届くことは無い。
「ごめん……ヴィクトルさん、エル……」
それでもセレナは、壊れた人形のように繰り返す。
「ごめんね、ルドガー……」
しかし、その言葉を本人達に伝える勇気も無かった。
今自分が何を言っても二人を傷つけてしまうのは明白だったからだ。
自らの存在意義、決意、本心……
何もかもが頭の中でぐちゃぐちゃになり、セレナはシーツに顔を埋めると、ただただ嗚咽をあげ続けた。
「ルドガー、パパはセレナのこと……」
しばらくしてからダイニングに降りてきて、ルドガーのスープを食べ終えた後ひとしきり泣いたエルは、まだ涙の残る瞳をルドガーに向けた。
ルドガーは気まずそうに視線を逸らす。
「パパが昔大切だった人をあきらめちゃったときあるって言ってたんだけど、セレナのことだったんだ……」
エルは膝の上で握り締めた拳に視線を落とす。
ルドガーはエルにかける言葉が見つけられず、ただその様子を視界の端に留めておくことしかできないでいた。
「パパ、ママよりもセレナのことが好きだったのかな……」
しばらく沈黙が続いた後エルが呟く。
「エルのせいで、パパは、セレナのこと……」
「エル、もういい」
ルドガーがエルの言葉を遮った。
エルは顔を上げず、ただ黙り込んでしまう。
ルドガーは椅子から立ち上がるとエルの横まで来て、少女の頭に手を乗せた。
「今夜はもうゆっくり休め」
そう言ってエルの頭を撫でていると、ルルもエルの足元に寄り添って心配そうに見上げた。
エルは無言で頷くと、ゆっくりと立ち上がって2階へと上がって行った。
その後をルルが追う。
ルドガーはエルが部屋のドアを閉めたのを見届けてから、テーブルの上に残されたスープ皿を流しに運んだ。
(もう疲れた……)
ルドガーは皿を洗いながら、ぐちゃぐちゃになったまままとまらない思考を振り払うように頭を振った。
『君を愛していた』
“未来の自分”がセレナに告げた言葉がリフレインする。
分史世界はあくまで可能性の世界だということは分かっているつもりだが、あの世界での出来事はあまりにも過酷だった。
エルの存在も相まって、たかが“可能性の一つ”と切り捨てることはできないでいる。
ルドガーは洗い終えた皿を置き手を拭くと、皆が寝ている2階を見上げた。
思い詰めた表情で気持ちを告げて来たセレナの顔が脳裏をよぎる。
『言えなくなる前にちゃんと伝えておかないとと思って……』
(セレナ、俺とエルのこと分かってて……)
「……くそっ!」
ルドガーは固く握った拳を、柱に思い切り叩きつけた。
火傷したのとは反対の手だったが、叩きつけたところはじんじんと痛んだ。
『どちらかを選ばなければいけなくなるぞ』
ふとユリウスの声が脳裏に蘇る。
ユリウスはエルがクルスニクの鍵だと気づいていて、セレナがビズリーの娘だからそう言ったのだろう。
だが実際には、その選択肢にはそれ以上の意味があった。
ヴィクトルは、セレナの願いもあり結局はエルを選んだ自分の未来だった。
『ママよりもセレナのことが好きだったのかな……』
泣き腫らした少女の悲痛な声が過る。
(どうしろって言うんだよ……!)
セレナのことは好きだ。
だがあんな風に拒絶され、そのあと突然好きだと言われた時は困惑した。
嬉しいという気持ちが湧いてこないくらい、セレナの顔は思い詰めていたのだから。
しかしヴィクトルがセレナに告げた言葉やそれに対する彼女の反応は正直かなり不快だった。
ヴィクトルが自分と同一人物とは分かっていても、やはり違う男にあんな目でセレナを見られたくはなかった。
『傷つけられても、そばにいられない方が辛かった』
しかも自分の言いたかったことまで言われてしまった。
それを聞いた時のセレナの表情は強張り、悲しくゆがんでいた。
そしてディールに戻ってきてからもまるで抜け殻のようで。
「俺は……どうすればいいんだよっ……!」
ルドガーの絞り出すような声は誰にも届かない。
今でも彼女を思う気持ちは変わらない。
だが今や相棒を超えて家族のように大切な存在となった少女の顔が浮かぶ。
エルはセレナを受け入れられないかもしれない。
先程の様子から言えばそれはなかなかに難しいことのように思えた。
しかもルドガーは彼女の最愛の父親を殺したのだ。
その罪は自分が背負わなくてはいけないし、彼の分までエルを守らないといけない。
『お前は……セレナを……幸せにしてやってくれ……』
『エルを……頼む……』
自分と同じ、だが少し低い声が頭に響き渡る。
ルドガーはしばらくその場に立ち尽くし、ただ震える拳を握り締めていた。
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暗い展開ばかりですみません……
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