12-02  [ 47/72 ]



列車がディール駅に到着する。
セレナ達がホームに降り立つと、どこからともなく焼き魚の香りが漂ってきた。

「くんくん……なんだこの香りは。じゅるり……」
「相変わらずここはお腹が減る匂いがするね」

ミラが辺りを文字通りの意味で嗅ぎ回っていると、ジュードが苦笑する。
しかしセレナはその香りとは別の、エレンピオス人には嗅ぎ慣れない匂いを感じていた。

「リーゼ・マクシアみたいな匂いがしない?」
「見て!葉っぱがいっぱい!」

駅の構内から出ると、エルが一目散に駆け出す。

ディールの広場は、正史世界とは打って変わって樹々に緑が溢れ返っていた。

「すごい……」

思わずセレナは感嘆の声を漏らす。
違和感を感じていたのは、この樹々の匂いだったらしい。

「ジュード」
「うん」

ミラがジュードの名をを短く呼んだ。
するとジュードは、ミラの目をまっすぐ見て頷き返した。

「2人は通じ合ってるんだな」

それを見ていたルドガーがジュードに言えば、ジュードは間髪入れずににこりと笑いながらそれを肯定した。
からかったつもりだったらしいルドガーが毒気を抜かれた表情を浮かべれば、ローエンが隣で微笑む。

「ルドガーさんと通じ合える方も、きっとすぐ側にいるはずですよ」

ルドガーはその言葉に驚いたようにローエンの顔を見る。
しかし一瞬でその表情は曇り、振り払うように首を横に振った。

(やはり何かあったようですね)

ローエンは先を歩き出したルドガーの背中を見る。
おそらくローエンが言いたかった人物とのことであろうことは、2人が全く言葉を交わさないことから容易に想像できる。

「しかし、これもまた詮無きことですな」

そうひとりごちて、ローエンも後に続いた。

「エルおなかすいたー。ルドガーのごはんが食べたい」
「すっかりエルはルドガーに餌付けされてるね」
「でもパパのごはんが1番だけどね!すっごくおいしいんだから」

ジュードの言葉にエルが胸を張る。

「パパに会ったら、恵んでくれるよう頼んであげる!」
「うむ、それは是非恵んでもらいたいものだな」

ミラが腹を撫でながら笑った。
それに促されたのか、無駄のない引き締まったその腹が大きな音を立てた。

「しかし、この香りは本当に腹が減るな。さっきから感じているこの空腹に響く香りは、あの屋台で売っている魚の串焼きか!」
「ミラ。エルもお腹空いてるみたいだし、食べてきたら?」

ミラが今にも涎をこぼしそうな勢いで、屋台の方を食い入るように眺めている。
それを苦笑しながら見ていたセレナが提案した。

「ウプサーラ湖に行く前に腹ごしらえしておいでよ。私はこの町のクエスト担当者にでも話を聞いてくるね」

セレナはエージェント服の襟につけた社章を示すと、クエスト斡旋所へと歩いて行った。

それを合図にジュードがミラとエルを先導し、残りのメンバーで屋台へ向かうこととした。


「お疲れ様です」
「お疲れ様です。っと、随分可愛らしいエージェントさんだね」

セレナは上品な笑顔を浮かべながら斡旋所担当の男性社員に挨拶した。
すると社員の方もセレナの格好を見て、笑顔で挨拶を返す。

「まだ新米なので、訓練としてウプサーラ湖の調査に向かうよう仰せつかってきました。事前に何か情報が得られれば幸いなのですが」
「ウプサーラ湖に、か……」

セレナが適当に理由をつければ、男はううんと首を捻る。

「例の殺人事件以来、あそこに行く人は釣り人くらいなものだよ。それも最近じゃ近くの川までしかいかない人が多いみたいだけど。なんせ、あんな大事件だったのに未解決だからねえ」
「そうですよね……」
「あ、だから調査かい?しかし当時ウチはノータッチにするってなったはずじゃ……」

セレナは男がさらに首を傾げたのを見て、なんとか怪しまれないようにと話す。

「詳しいことは部内秘なんで、すみません」
「あっ、そうだよな。悪い」

そう言って困ったようなそぶりを見せれば、男は簡単に信用した様だった。
セレナは改めてエージェント服で来て正解だったなと考えていた。
クラン社の中でも、一般社員とエージェントではその立場に大きな差があるのだ。

するとそのセレナをまじまじと見て、男は目をこらす。

「そう言えば、俺とどこかで会ったことあるかい?」
「えっ?」

そう言われてセレナも男の顔を凝視する。
しかし正史世界で会ったかどうかまでは思い出せない。

(もしかして私の顔を知ってるのかな。駐在員だし一般社員だから平気かと思ったけど……だとしたらちょっと面倒かも)

どう返そうか考えあぐねていると、男は思い出したようにポンと手を打った。

「ああ、セレナ元部長に似てるんだ」
「元部長……?」
「ああ、新米って言ってたか。君の年なら知らなくて当然だな。姉妹かと思う位似てるけど」
「そうなんですか?」

(私が部長……?)

あの養父がそんなポストに自分を任命するのだろうか。
それとも、源霊匣のこともあるし何か心変わりでもしたのだろうか。
セレナは疑問をなるべく顔に出さないよう努めた。

「ああ、よく似てるよ。兵装開発部門の部長だった人でね。でも、結婚してしばらくして退職されて……部長だった期間は2年位だったから短かったけど。
あの人のおかげでうちが源霊匣に金出して、あれが完成したみたいなもんだよ」

(ローエンの予想、当たってた……)

その事実にセレナは驚いた。
では、あの養父が娘の意見を聞いたということだ。
しかし結婚して退職とは、結局嫁に出されたということなのだろうか。
男はさらに続ける。

「でもそのセレナ元部長も亡くなったんだよ、8年前に。
あの事件とは関係無いみたいだけど、その直後に旦那さんも父親のビズリー前社長も亡くなるし……あの頃はほんとうちの会社もどうなっちゃうかと思ったよ」
「亡くなった……!?」
「そうなんだよ、病気らしいけどね。辞めてそんなに経たない頃だったしあの事件もあったしで、当時は色んな憶測が飛んでたよ」
「ちなみに元部長は……どなたとご結婚されてたんですか?」

聞きたいような聞きたく無いような複雑な気持ちで、セレナは男に問いかけた。

「ユリウス元副社長だよ。うちのエージェントなら若い子でも名前くらいは知ってるかな?」
「ユ、ユリウス元副社長!?」

セレナはつい驚きのあまり声を上げてしまう。
しかし男はセレナがユリウスの名声を知っての驚きだと捉えたようで、しみじみと頷いただけだった。

「そうなんだよ。まさかあのユリウス元副社長が結婚するなんて当時は誰も考えてなかったし、2人が恋人だったなんて噂も全く無かったんだよなあ。
まあでも元部長は前社長の娘さんだったから、前社長が決めたのかもなんて話もあったよ」

(まさかそんなことになっていたなんて……)

セレナにはいつかの分史世界での出来事が思い浮かんだ。
しかしあまりの衝撃に、もはや恥ずかしさなど感じている場合では無かった。

「そ、そういえば前の社長は亡くなって代替わりしたんですね?」

動揺を隠すように、セレナは話題を変えた。

「ああ、そうなんだよ。セレナ元部長は辞めちゃった後だったから、ユリウス元副社長とビズリー前社長2人の合同社葬になってね。
任務先での事故だったみたいだけど、同時期だったから残った重役達はかなり大変だったみたいだよ」
「一体何が……」
「俺たち一般社員は何も聞かされてなくてね。エージェントなら君の上司がもしかしたら何か知ってるかもしれないけど、なかなか教えてもらえないんじゃないかな」

それから男はもう一度セレナの姿をまじまじと見る。

「ああ、でも君なら今の社長にすぐに気に入られるんじゃないかな?元部長によく似てるし……いやいや、その若さでエージェントなら優秀なんだろうから。そうしたら何か教えてもらえるかもな」
「今の社長……ですか」
「ああ。って、エージェントならもう会ってるかな?
良いよなあ、まだ30なのに仕事も出来るし、今や世間のOLが1番合コンしたいイケメンだろ?」
「今30歳……?」
「あれ、知らなかった?まああんまり表に出てこないし分からないか。っと、ごめん、依頼者だ。じゃ、任務頑張ってな!」

セレナは他にも色々聞きたかったのだが、来客によってそれは叶わなかった。
男の仕事が終わるまで待つことも考えたが、仲間が広場の中央でこちらを伺いながら待っているに気付き、男に礼を言って斡旋所の前から去ることにした。

(この世界はどうなってるの……)

セレナはこの短時間で恐ろしいほど濃い、不可解な話を聞いてしまったことを少しだけ後悔した。

自身の結婚、死、さらに養父やユリウスの死亡まで聞かされ、今だに動揺が収まらない。
しかしそれ以上に引っかかりを感じることが一つあった。

(新社長か……ん?この世界で今30歳……?)

セレナは知る限りの重役、室長、部長クラスの顔を思い浮かべる。
課長クラスまで遡っても、この世界の過去である正史世界で該当しそうな年齢なのは、秘書室長のヴェルくらいしかいない。
しかし男の口ぶりから、どうやら新社長は男性らしい。

(お父様とユリウスさんが死んで、私も死んでて、正史世界で今20歳くらいの男性が社長に……しかもあの人の言いようだと私を知っている人みたいだし)

そしてセレナは仲間達の元に辿り着く直前でハッと目を見開き、足を止める。

(最後の道標は、最強の“骸殻能力者”!)

骸殻能力者ならクラン社のエージェントである可能性がかなり高い。

ユリウスのいない世界で強い骸殻能力のあるエージェント……

20歳の男性……

「まさか……」

セレナの視線は、銀髪の青年の後ろ姿を捉えて離さなかった。

「何かわかったのか?」

動かないセレナに怪訝な顔を向け、ミラが問いかけた。

「あ……ごめん。うん、色々この世界のクラン社のこと教えてもらったよ」
「最後の道標に関することはわかりましたか?」

ローエンの言葉に、セレナは一瞬顔を歪める。
それでもなるべく多くの情報を仲間にも伝えようと言葉を選んで話し出した。

「社長が交代してることと、お父様とユリウスさん、私が亡くなってることはわかったよ。道標が誰かまでは分からなかった」
「セレナとユリウスさんと、ビズリーさんまで!?」
「例の大量殺人事件ですか……?」

全員が驚きに声を上げる。

「いや、それとは違うみたい。でもみんな大体同じ時期。私だけは病死で、後の2人は任務先での事故“らしい”よ」

それからセレナはこの上なく気まずそうに続けた。

「ユリウスさんは元副社長で、私は元兵装開発部長。それで……2人は結婚していたみたい」
「ええっ!?」
「でも2人は亡くなったんだよね?」

エルが1番大きな声で驚く。
ジュードはひとつひとつの情報を確認するように目を瞑って唸っている。

セレナはルドガーの横顔を盗み見たが、彼は眉を顰めているだけで特に何も言わなかった。

「とにかく、かなり会社は混乱したみたいだけど、新しい社長のおかげでなんとか立ち直ったみたい。ちなみに、ローエンの予想通りこの世界の私は源霊匣開発の力になれたんだってさ」
「そっか、セレナが……」

セレナが気を取り直して説明を続けると、ジュードは感慨深そうにその言葉を噛み締めた。

「僕、必ず成し遂げてみせるよ」
「ああ、君ならできるさ」

ジュードの言葉にミラが微笑めば、少しだけその場の空気が軽くなる。

しかしそのあと、今度はローエンからの報告にセレナが驚愕することになった。

「こちらは、エリーゼさんも例の事件の被害者になっていたということがわかりました」
「エリーゼが……!?」
「他にも何人か被害者がいたみたいなんだ。もしかしたら……」

ジュードはそれ以上言わなかった。いや、言えなかった。
ジュードとローエンとエリーゼの死。
それで他にも数人と言われて心当たりが無いとは言えないからだ。

セレナもそれを察して、それ以上聞き出そうとはしなかった。

「とにかく、この世界は正史世界の続きで、この10年の間にかなり色んなことがあった……ということだね」

セレナがまとめると、皆肯定した。

「よし、腹ごなしも済んだことだしそのウプサーラ湖とやらに向かうとするか」

ミラが先導し、一行はカタマルカ高地に出ることとした。

セレナは、拭いきれない不安が胸の中でどんどん大きくなっていくのを感じながら、前を行く青年の後ろ姿を見つめていた。



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原作の流れを大きく変えないようにしつつ少し手を加えるのはなかなか難しいですね。



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