ある晴れた日の朝。まな板の上に乗せられた野菜が、トントンとリズム良く切られていく音が響く。

…ここは名門佐々木家長男、佐々木異三郎の屋敷である。


その台所に立つ女の名はなまえ。
異三郎が心から愛してやまない、唯一無二の女性であり…………




「なまえさん、おはようございます」

「……異三郎さん、抱き着かないでくださいまし。今、朝餉の準備をしてます故…」

「朝餉の前に貴女をいただきたいです」





ダンッと大きな音と共に、まな板に包丁が突き刺さる。




「……貴方様のその大事な大事な携帯電話をミキサーにかけてよろしいのでしたら、どうぞ続けてくださいな」

「………冗談ですよ」








唯一頭が上がらない存在である。












二人の出会いは五年前。
当時、茶屋の看板娘だったなまえに、たまたま通り掛かった異三郎が一目惚れしたのだ。


(あの頃のなまえさんは初で素直で…すぐに赤くなって…)


「…いつの間にか、からかい甲斐の無い女性になってしまって……」

「異三郎さんの“からかい”はセクシャルな行為が含まれ過ぎます故、自然と強気な女になりましたの……何かご不満が?」

「……いいえ」

「なら結構です。……あぁ、そうです。今日は甥っ子の太郎が来ますの。異三郎さんもまた遊んでやってくださいな」

「…何ですって?」



甥っ子の太郎…その言葉を聞いただけで、異三郎の眉間に皺が寄る。
…それもそのはず。太郎はなまえのことが、それはもう大好きで…彼女にベタベタとくっついては異三郎へ挑発的な笑顔を向けるのだ。



「嫌です。奴は私の敵です……というより、最近遊びに来過ぎではありませんか?図々しいにも程が……「なまえちゃーん!来たよー!!」……チッ」



元気な声と共にドタドタと足音が近付く。
ガラリと開いた扉から勢いよく飛び出してきた小さな影に、異三郎は眉間の皺を更に深くした。


「なまえちゃん!会いたかったー!」

「まぁ、一昨日会ったばかりでしょう?」


なまえは、ギュウッと自身の腰に抱き着く太郎の頭を優しく撫でる。


「…ほんとは毎日会いたいもん。異三郎ばっかり独り占めして…狡いや」

「なまえさんは私の妻ですからね。貴方がどんなに駄々をこねても、それは変わらぬ事実です」

「はんっ!俺が大人になったら、なまえを嫁入りさせて二人で暮らすんだ!異三郎はそれまでのただの代理だ!!」

「戯れ言を……御託を並べるのは私を一度でも倒してからにしなさい」

「良いぜ…今日こそけちょんけちょんにしてやる!!」




また始まったと、なまえは思わず溜め息を吐く。まだ子供の太郎はわかるが…大の大人がここまでムキになるなんて、何とも大人気ないことだ……しかし…



「今日はオセロで勝負です」

「臨むところだ!勝った方がなまえに頬っぺにチューしてもらうんだからな!」

「ませた餓鬼ですね……チューでもギューでもしてもらえば良いですよ。私はそれ以上の行為を…「異三郎さん…っ!!」……さぁかかってきなさい、返り討ちにしてやります」



異三郎の怪しい発言はともかく、勝負自体は非常に安全且つ健全なものだ。
憎まれ口を叩きながらも、いつも遊び相手をしてやる異三郎に自然と笑みが零れる。


なまえはオセロを始めた二人を温かい目で一目見ると、朝餉の準備を再開させた。





――――
――







「くっそぉ〜…また負けたぁ〜!!」

「何度挑んでも無駄です。エリートは何をやってもエリートですから」

「…二人共、いい加減おやめなさいな。もうお昼になりますよ…」



なまえは今だオセロに夢中になっている二人を見ると、本日何度目かの溜め息を吐く。
…それにしても、こんなに長い時間遊べるなんて、異三郎も案外子供好きなのかもしれない。


(異三郎さんとの子供……以前はあまり考えませんでしたが…)




「あ!異三郎…今ズルしただろ!」

「ズルをしたのは貴方でしょう…いい加減になさい糞餓鬼」

「糞餓鬼って言うな!糞じじい!!」

「ほ〜う……大人に向かってそのような生意気を言うのはこの口ですか。言葉には気をつけないと、いつか縫い付けられてしまいますよ?」

「!?んん〜〜っ!!」


太郎の唇を上下くっついた状態で強くつまむと、心底意地悪そうに笑う異三郎。


…少し歪んでいる気がするが、もし子供が産まれても、こんな感じに愛情をもって接してくれそうだ。





良いかもしれない。






愛しい彼との子供。






産まれたらきっと…






「…異三郎さんとの子供…可愛いでしょうねぇ…」
















はっと気付いた時にはもう遅い。
小さな呟きだったにも拘わらず、異三郎は先程まで夢中になっていたオセロを投げ出し、なまえの元へと素早く移動する。
そのまま彼女を横抱きにすると、太郎を冷たく見下ろした。


「…今から大人の時間です。子供は早く家に帰りなさい。さもなくば逮捕します」

「なっ…何言ってんだよ!まだ勝負が…っ」

「私の負けで結構です。さっさと帰りなさい。……さぁなまえさん、私との間に出来た子供がどれ程愛らしいか…早いうちに明確にしなければいけませんね」


冷たくぴしゃりと言い放たれ、太郎は堪らず泣き出すとその場を飛び出して行ってしまった。


「異三郎さん…っ……待っ……!」

「…あぁ、やはり、強気な態度を剥がしてしまえば貴女は以前と変わりない。すぐに顔を赤くするところも……私を煽るその表情も…」

「……っ!?」

「強気な貴女も好きですよ。……そんな貴女を服従させる楽しみがありますからね」



異三郎のギラギラとした獣のような瞳に思わず息をのみ、確信する。







――――今日はもう何処へも出掛けられないわ。


















なまえの予想通り、異三郎に夜までたっぷりと愛を注がれ、半日以上をベッドの上で過ごしたのであった。






……頭が上がらないのは、なまえの方かもしれない。









(なまえさん、もし産むのなら貴女に似た可愛らしい女の子が良いです)
(……そのようなこと言われましても…)
(男の子でも良いですが…間違っても太郎のような糞餓鬼にならぬよう、エリート式の教育方法でみっちり育て上げます)
(あぁ!?そうだ…太郎……!!)
(……私がいながら他の男のことを考えるなんて、良い度胸ですね)
(やっ…異三郎さんが言い出したの…にぃ…っ)
(問答無用です)








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