見廻組に勤める一人の女中がいた。
彼女の名前はみょうじなまえ。

個性の強い人間が溢れている中、なまえは珍しくおとなしく控えめで至って平凡な女だったが……気配りの上手さは誰よりも秀でており、陰ながら皆を支える縁の下の力持ちだ。

見廻組局長である佐々木異三郎は、そんな彼女に惹かれ、人知れず恋い焦がれていた。



「なまえさん、今から買い出しですか?でしたら私もお供しましょう」

「えぇっ…そんな、毎回悪いです…!」

「私がご一緒したいんです。どうか私を荷物持ちとしてお供に」

「そうですか…?じゃあ、お言葉に甘えて…」



ふんわりと微笑むなまえに、佐々木の心臓がドキドキと高鳴り出す。
出来ることならすぐにでも想いを告げ、彼女と親密な関係になりたいのが本音だが……一つの疑惑が妨げとなり、彼は何も出来ずにいた。

その疑惑とは―――――




「そういえば、佐々木さん知っていましたか?今度スーパーに幻のメロンパン屋さんが来るんですって」

「おや、それは初耳です。なまえさんは甘味の情報について敏感ですね」

「……実は、いつも銀さんに情報提供してもらっていて」



二人で街中を歩きならがら会話を交わす。
それは本来ならば楽しい一時の筈なのだが…坂田の名前を口にして照れ臭そうに笑うなまえを見て、佐々木の表情が一気に凍り付く。

……そう、彼女に抱いている疑惑とは“なまえが坂田銀時に想いを寄せている”というものである。


二人は以前から知り合いだったようで、彼女の口からは彼の名前がよく出る。
それはもう頻繁に会話に登場する。

彼の話をしている時、なまえの表情が自分に向けられるものとは違うことに気付いて以来、佐々木はもどかしい想いに縛られていた。



「……坂田さんとは本当に仲がよろしいんですね」

「どちらかと言うと、私が一方的に頼ってしまっているんですけどね。昔から銀さんには助けていただくことが多くて…優しさについつい甘えてしまうんです」

「そう、ですか……」



頼るなら…私を頼れば良いじゃないですか。
貴女が笑ってくれるのなら、いくらでも甘味の情報を仕入れましょう。現物を買いに街中走ることだって…。


喉まで出かかった言葉を無理矢理飲み込めば、ズキリと胸が痛み出す。
長く息を吐き出して何とか気持ちを落ち着かせれば、心配そうにこちらを見つめるなまえと目が合う。



「あの…もしかして具合が悪いのでは……」

「少し考え事をしていただけですよ。心配して下さったんですね、ありがとうございます」

「心配はしますよ…何せ、佐々木さんは私の……私を雇って下さった恩人なんですから」



なまえの言葉に胸が苦しくなる。
困ったようにこちらを見て笑う彼女にズキリ、ズキリと重なる痛み。





もしも、この手で彼女の髪に触れたら……



もしも、この腕で彼女を抱きしめたら……






彼女の心は傾くだろうか。
私を意識して、はにかんだ表情を見せてくれるだろうか。



(……私にだけ向ける表情は、あるのだろうか…)



……ほんの少し試してみたくなった。
実際に触れた時、一体どんな反応をしどんな表情に変化するのか。

こちらに笑顔を向けるなまえの頭を撫でようと、そっと手を伸ばした。


………ところが、





「あれ?なまえじゃねーか」

「え?……銀さん!偶然ですね。今からお仕事ですか?」




前方から現れた坂田に声を掛けられ、なまえは嬉しそうにそちらへと駆けて行ってしまい……佐々木の手は虚しく空を掴んだ。



(坂田、銀時……)



胸の痛みはやがて、言いようの無い不快感へと姿を変え……腹の底から、黒く醜い感情が顔を出す。


佐々木はその荒々しい感情を抑えることが出来ないまま、親しげに談笑する二人に近付くとなまえの腕を強く掴んで引き寄せた。



「きゃっ……佐々木…さん?」

「坂田さん、私達はこれから買い出しに行かなくてはいけないのです。こんな所で足止めを喰らっている時間など微塵もありませんので……これで失礼します」

「は?ちょっ……おいィィ!まだ話してる最中だろうがァァァ!!」

「銀さん、ごめんなさい!また今度…!!」



何が起きたかわからず狼狽えているなまえの腕を掴んだまま、足早に坂田から距離を離していく。



「あの…佐々木さん……どうかしたんですか…?」

「…………」

「…佐々木さん……?」



背後から聞こえる不安げな声を無視し、後ろを振り向くことなく歩き続ける。
そのまま人気の無い路地裏へと入ると、なまえの細い両肩を強く掴み力任せに壁へと押し付けた。



「っ……痛……」

「なまえさん。貴女は……坂田銀時を好いているんですか…?」

「……え…?あの……」

「本当は、私からの誘いをいつも迷惑に思っていたのではないですか?」

「そ、そんなこと…!!どうしてそんな……」

「っ……私はもう堪えられないんです…!
……貴女が彼の名を口にすることも、彼にばかり頼ることも、彼に笑顔を向けることも……。

…堪えられないんです……」



溜め込んでいた想いを吐き出せば、驚いた表情の彼女がこちらを見上げる。
そして、それはやがて困惑したものへと変わり……最後には睫毛を伏せた。



―――まるで、私を拒むかのように。



彼女の唇が言葉を紡ごうと、僅かに動く。


その小さな口から零れる、拒絶の言葉を想像した瞬間……体が自然に動いた。



「佐々木さっ……んん…!?」

「っ………」



彼女の肩を押さえ付けたまま乱暴に唇を塞げば、言葉の代わりにくぐもった声が小さく漏れる。

体を押し返そうと必死な手は、口づけを繰り返す度弱々しくなっていく。



「ふ……っ………やめ……」

「っ…はぁ……なまえさん…っ」

「佐々木…さ……こんな……やめて下さっ……ん…っ」

「…今だけで良い……もう少しだけ、このまま……」



やがて無抵抗になったなまえの頬を撫で、角度を変えては何度も唇を重ねる。
あわよくば……この想いが届くようにと願いを込めて。



なまえさん……私は……貴女が、

貴女のことが…………




「…………佐々木、さん……っ……」




夢中になって口づけていると不意に胸板を強く叩かれる。
その衝撃に思わず唇を離して彼女を見下ろすが…すぐに俯かれてしまい表情は窺えない。

……泣いているのかもしれないと、無理矢理進めてしまった自分の行為に今更ながら後悔し始めた佐々木だったが……ふと、目に留まった彼女の耳が赤く色付いていることに気付き、動きを止める。



―――まさか、そんな、


「なまえさん……あの、失礼ですが…お顔を拝見させていただけませんか」

「っ……無理、です…!」

「……少しだけで構いません…お願いです……」



目線を合わせるように覗き込めば、おずおずと顔を上げるなまえ。
彼女の顔は酷く涙に濡れ……てはおらず、まるで熟れた林檎のように真っ赤だった。

佐々木の口元が、自然と綻びる。



「………そんな表情をされると、私も期待してしまうのですが」

「そっ…そんな表情ってどんな表情ですか…い、いつもと…変わらないですよ…?」

「…そんな表情ですよ……」



両手でなまえの頬を包み、至近距離で見つめれば……彼女の顔はみるみる内に赤みが深まり、揺れる瞳に涙が浮かんだ。

そのまま誘われるように再び唇を寄せると、途端に慌て出したなまえに阻止される。



「……嫌ですか?」

「い、嫌ですよ……“今だけ”なんて…」

「っ……貴女という人は…本当に期待してしまいますよ?」

「そんなこと言われたら私だって、期待してしまいますよ…?」

「それはそれは……」



―――是非、お願いします。



なまえの両手を握って優しく口づければ、まるで待ち望んでいたかのように、やんわりと握り返される。


……唇が離れたら、彼女への想いを改めて伝えよう。

頭でそう思い描くも、なかなか離れることが出来ず……佐々木は彼女の唇の柔らかさにひたすら溺れた。




その、あまりにも長く甘い口づけに
彼女の口から 笑みが零れた。












(結局、坂田さんのことはどう思っているんですか?)
(銀さんですか?私は兄のように思っていますよ。ほら、銀さんって面倒見も良いですし)
(そうでしたか……ならば、私のことは?)
(そ…それは……)
(どうなんですか…?)
(…………)
(……なまえさん?)

(…………ずっと……)
(……ずっと…?)


(………今も昔も、ずっとお慕いしている殿方です……)






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