「みょうじなまえさん…放課後、職員室まで来なさい」
「ふぉ…!?」
机に突っ伏して眠りこけていた私の頭を、チャイムの音と同時に丸めたプリントの束でやんわりと叩いてきたのは…英語担当の佐々木先生。
寝ぼけ眼で隣の席を見れば、総悟が嬉しそうにニヤついている。
その様子に首を傾げたが…彼が私の教科書を手にしているのを見付け、自分の今の状況を瞬時に把握した。
――しまった…!教科書のバリケードが破壊されてる…っ!!
居眠りしてる総悟につられていつも通り寝ちゃったけど……コイツ、あたしを陥れるために狸寝入りしてたのか…!!
「あ、違っ…違うんです、せんせぇ…!!」
言い訳しようにも先生はスタスタと歩いて教室を出て行ってしまい、私の職員室行きは確定してしまった。
「…覚えてなさいよ、総悟コノヤロー」
「はて、何のことですかねィ。それよりも、大好きな佐々木先生と放課後も会えて良かったじゃねぇか」
「誰があんな冷酷非道人間…!大っ……嫌いだわ!!」
冷たい口調に冷たい眼差し……銀八先生も死んだ魚の目をしてて大概だけど、佐々木先生は性格も冷たくて苦手だ。
一度廊下を走っていた時にぶつかってしまったことがあったのだが…その時先生から発せられた言葉はこうだった。
『おや、3年Z組で英語の成績が最下位のみょうじなまえさんではありませんか。留年街道だけでなく廊下まで突っ走ることはないでしょう。
それともあれですか、私直々に英語を教えてもらいたくて、わざと此処で待ち構えていたんですか?
…残念ですが、エリートな私は貴女と違って忙しいので今から教えて差し上げることが出来ないのです……すみません、エリートで』
呪文のように嫌味の言葉を連ねた後、颯爽と去って行ったあの後ろ姿は忘れもしない。
あ……思い出したらムカついてきた。
どうしようもなく苛立った気持ちを落ち着かせるべく、先程の佐々木先生とのやり取りを見て笑っていた高杉くんの背中を思い切り叩いてやった。
―――
――
放課後、駅前のパフェを食べに行こうとお妙ちゃんと神楽ちゃんが誘ってくれたが、泣く泣く断って職員室へ向かう。
今回は一体どんな嫌味を言われるのだろうと恐る恐る扉を開けば、呼び付けた当の本人の姿がない。
「佐々木先生、いないようなので帰りまー…「此処にいます」ふぎゃっ…!!」
「素敵な驚き方ですね。さぁ、行きましょう」
真後ろから声を掛けられ思わず飛び上がれば、そのまま腕を掴まれ連行される。
「……び、ビックリさせないで下さい…って、え?職員室でお説教じゃないんですか?」
「貴女にお説教などしても馬の耳に念仏の如し、無駄だということは既に知れています。
言っても聞かない悪い子には、資料室の整理整頓をプレゼントです。喜んで下さって結構ですよ」
「の、ノォーセンキュー…!!」
「正しくは“No,thank you.”です。筆記が駄目ならせめて発音だけでもしっかりして下さい」
半ば引きずられるようにして辿り着いた資料室に、げんなりと項垂れる。
ここ…めちゃくちゃ汚いんだよね……。
ガラリと開かれた扉の向こうは、想像通りの乱雑っぷりだった。
「ほ、本当に整理整頓なんてしなきゃいけないんですかぁ…?」
「しなきゃいけないんです。さ、始めましょう」
有無も言わさぬ雰囲気の佐々木先生に続いて、渋々資料室へと立ち入る。
扉を閉め切れば埃っぽさが際立ち、やる気も一層損なわれていく。
黄ばんだプリントの山やら、いつの物かも解らない教科書……銀魂高校は教師だけでなく校舎の中までくせ者ばかりか。
…文句を言い出したらキリがないので、とりあえず床に散らばった本を片付けようとしゃがみ込んだ。
「……ところで、みょうじさん。貴女、他の先生方の授業ではやけにお喋りだとか」
「へ?……はぁ、そうなんですかね…」
「貴女がいるお陰でテスト前でも授業中明るい雰囲気だと、坂本先生が嬉しそうに話していましたよ」
「え!坂本先生が!?…嬉しい!!」
「……………」
思わぬ事実に顔がニヤつく。
坂本先生は優しくて格好良くて憧れの先生。……よく道に迷って授業が半分終わった頃に教室へ来るような、おっちょこちょいな面もあるけれど。そんな所も大好きだ。
憧れの先生からの嬉しい言葉にひとり頬を緩めて作業を進めていると、どさりどさりと頭の上に本を乗せられ思わず前につんのめる。
この密室空間で、こんなことする犯人は一人しかいない……
「ちょっと……佐々木先生、何ですか急に!!」
「私の授業では大抵寝て過ごしている貴女を思い出したら、つい……」
「つい…じゃないです!もう、そんなふうに意地悪だから………えっ…!?」
「っ………危ない!!」
怒鳴って振り上げた腕は、先生ではなく真横に並んでいた古臭い棚にぶつかった。
……その小さな反動で、棚がこちらへ倒れてくるなんて誰が想像しただろうか。
本やプリントを巻き込みながらゆっくりと倒れ込んできた棚に恐怖で動くことが出来ず、咄嗟に頭を両手で覆って目をきつく閉じた。
「…………?」
予測していたはずの痛みや衝撃が、いつまで経っても伝わってこない。
恐る恐る目を開けば、目の前は真っ黒。
ついでに身動きも取れず軽くパニックに陥ったが、耳元で聞こえる自分の物ではない心音に、少しずつ冷静さを取り戻していった。
「……資料室の状態がまさかここまで酷いとは…流石のエリートでも想定外でした」
「えっ……えぇ…!?」
「怪我は無いですか?」
よくよく見れば、真っ黒な何かは佐々木先生の高そうなスーツだった。
……先生が私を前から抱きしめるようにして、倒れてきた棚から守ってくれたのだ。
「嘘…せ、せんせぇ…!?えと…私は、大丈夫……でも、先生が……っ」
「エリートですから無傷です。……それよりも、貴女が無事で本当に良かった…」
背にのしかかっていた棚を退かしながら話す先生に、不意に優しく頭を撫でられ心臓が跳ねる。
未だかつて無い程近い距離のせいだろうか…発せられた低い声がやけに響いて心音を更に速く大きくさせた。
―――ドキン、ドキン、ドキン、
あれ?おかしいな。
何か心臓のドキドキが止まらない。
「危険な目に遭わせてしまいすみませんでした…。後は私がやりますので、今日はもう帰りなさい」
あれ?なんだろう。
佐々木先生ってこんなに格好良かったっけ。
「みょうじさん?聞いていますか…?」
先生に肩を揺すられ漸く我に返る。
心配そうに顔を覗き込んでこちらを見つめる先生と目が合えば、途端に体中の体温が上昇した。
――――嘘だ。嘘だ。これじゃあ私……
――――――まるで……まるで………
「顔が真っ赤ですよ……まるで、私のことを好きになってしまったかのようですね」
「!?……だ、だ、誰がそんな…!!
……先生なんて……佐々木先生なんて…だ、大っ嫌いだもん!!」
「おや」
見透かされたように言葉を投げ掛けられ、堪らず手を振り払ってその場を走り去る。
…慌て過ぎて途中転びかけたが、そんなこと気にしてはいられない。
大嫌いだったはずの先生に、
とんでもない感情を抱いてしまった…!
明日からの英語の授業はもっと強力なバリケードを作らなくちゃ……
佐々木先生の顔が見えなくて、赤くなった私の顔を見られないくらい高いバリケードを…!
(…………冗談、だったんですが…これは……ちょっと期待してしまいますよ……)
――
(…………冗談でもあんなこと言わないで欲しいよぉ……佐々木先生のバカぁ……)
((明日からどんな顔して会えば良いのやら))
((明日からどんな顔して会えば良いの…!))