私、みょうじなまえは落ちこぼれだ。
皿洗いをすれば必ず一枚は食器を割ってしまうし、書類なんてまとめたそばから転んで散らかす始末。
それでも、どうしても私は見廻組に入りたくて…………人の役に立ちたくて……勉学に励み、剣術を磨いた。
そして月日を経て昨年の春、ついにその努力が実り、私は憧れの見廻組へと入隊することが出来た。
だけど―――……
「違法薬物密売の容疑で追っていた男は、どうやら吉原へと逃げ込んでいたようです。
犯人を確実に逮捕する為、今から配る一覧表を受け取った者は私と共に吉原内で情報収集を…………地図を受け取った者は信女さんと吉原全体の警備強化に勤めて下さい」
(情報収集に吉原の警備かぁ……私はどっちに………………あれ?)
「任務は明日。何か質問がある者は挙手を」
「あっ……は、はい!」
「………………では、なまえさん」
「えっと…………私、どちらも受け取っていないのですが……」
おずおずと伝えれば、佐々木局長の冷たい視線が私を貫いた。
あ、何か嫌な予感がする……。
「…………配っていないのだから当然です。今回の任務は普段とは勝手が違う……まだまだひよっこ隊員の貴女は留守番です」
「え……で、ですが……私……っ」
「“留守番”では納得出来ませんか。では“屯所内を隈無く清掃”という任務を与えましょう」
「ちょ、ちょっと待っ……「他に質問はありませんね?それでは、解散」……えぇぇ…!」
私、みょうじなまえは、入隊してから約一年……まともな任務に就かせてもらったことが無い。
――――
――
「無理じゃ、他をあたれ」
佐々木局長から腑に落ちない任務を言い渡されてすぐのこと。
皆と同じ任務を熟したい気持ちでいっぱいの私は、焦るように吉原へと向かった。
友人である月詠ちゃんに、今回の任務を協力してもらう為に。
「そこを何とか!お願いツッキー!!」
「遊女として潜入させて欲しいなどと無茶なこと……何度頼まれようとも気は変わりんせん。そもそも、ぬしにはあの男に宛がわれた任務がちゃんとあるのじゃろう?それを全うするのが部下の勤めというものではないのか」
「うぅ……そうだけど、でも……」
「“でも”も“だって”も聞き入れぬ。無理なものは無理じゃ」
頑なに態度を崩さない月詠ちゃんに、しょんぼりと項垂れる。
無茶なことだと、自分でもわかってる。
でも……多少無茶でもをしないと、落ちこぼれの私は皆と肩を並べることが出来ないのだ。
(役に立ちたいのに……でも月詠ちゃんを困らせるのも嫌だしなぁ……)
これ以上は彼女にも迷惑が掛かるかもしれないと、諦めてひとまず屯所へ戻ろうかなんて考えが頭に浮かんだ時。
月詠ちゃんが不自然な咳ばらいをして言葉を続けた。
「あー……まぁ、今のはあくまで一般論としてじゃ。それで、今度は友人としての意見じゃが……わっちの言い付けを守ると言うのであれば、協力してやらなくもない」
「え…………い、いいの!?」
「ぬしのことじゃ、わっちが断ったとしても何か別の策を考え出すじゃろう。目の届かぬ場所で面倒ごとを起こされても困るのでな」
「っ……月詠ちゃん……!ありがとう!大好き!!」
思わずギュッと抱き着けば、照れ臭そうに頬を赤くする月詠ちゃん。
その可愛らしさに大好きを連呼していると、彼女に抱き着いていた腕を取られ力一杯捻られた。
「調子にのっておらんで、犯人の写真ぐらいさっさと見せなんし!!」
「いだだだだ…!!ごめんなさいごめんなさい!これです!犯人の写真はこれです!」
捻られた腕が痛すぎて涙が滲む。半泣きになりながら懐から取り出した写真を渡すと、それを見た月詠ちゃんの表情が真面目なものへと変わった。
「この男……」
「痛ぁー…………え?月詠ちゃん、その人のこと知ってるの?」
「あぁ、最近とある店をよく出入りしておる男じゃ。羽振りが良い半面、突然人が変わったように怒鳴り散らしたり挙動不審になることがあると遊女達の間でも噂になっておったが……なるほど、不審な原因は薬か」
「薬の密売だけじゃなく自分でも使ってたってこと……だったら尚更、今回の捜査で絶対に捕まえないとだね」
二人で視線を交わし頷き合う。
……落ちこぼれの自分がどれだけ出来るかはわからない。それでも、少しでも良いから役に立ちたい。
微かに浮かんだ不安は無理矢理押さえ込み、明日の任務に向けて大きな一歩を踏み出した。
――
―――
――――そして……翌日。
「そこのお方、どうぞお上がりなんし」
「やぁだ、わっちにしなんし〜」
鈴を転がしたような声が飛び交う雑踏。
鮮やかな色合いの着物、前縛りの帯。そして、結い上げた髪の毛に……それを飾る煌びやかな簪。私の身なりはまさしく“遊女”そのもの。
月詠ちゃんの協力のお陰で、見事私は犯人行きつけの店に遊女として潜入することに成功したのだ。もちろん、お店の人達は何も知らない。
“古きよき遊郭を体験出来ます”
そんなキャッチコピーを掲げたこのお店は、吉原に光が射す前にあった遊郭同様、格子越しから遊女達が外を歩く男性を誘う。
……このことを利用した私の作戦はこうだ。
まず、犯人が現れるまではおとなしく格子の中で待ち……現れたと同時に奴を誘惑し、自分を指名するよう促す。
その後はあらかじめ借りておいた一番奥の部屋へと向かい、酒で幾らか酔わせた後お縄にかける!……という至極単純なもの。
これを実行するにあたり、月詠ちゃんからは“絶対に無茶をしない・何かあったらすぐに合図を送る”という約束事を言い渡されたのだけれど……出来る限り自分の力だけで遂行出来るよう頑張るつもりだ。
(犯人は来る度に新人がいないか聞いてるみたいだし、きっと指名は大丈夫。後はお酒を切らさないようにすることと、逮捕するタイミングに気を付ければ…………あ!)
改めて頭の中で作戦をおさらいしていると、人混みに紛れてこちらに歩みを進める犯人の姿を見付けた。
――――作戦、開始だ……!
緊張をほぐそうと俯いて呼吸を整える。
その間、砂利を踏み締めこちらに近付く音はどんどん大きくなっていく。何度目かの深呼吸を終えた後、とうとうその音は私の前でぴたりと止み、大きな人影が私をすっぽりと覆った。
男が目の前で立ち止まったのだと、まるで訴えかけるように心臓がバクバクと高鳴り出す。
(ど、ど、ど、どうしよう!いや、どうもこうも言ってる場合じゃないっ…………落ちこぼれを、返上するんだ…!!)
意を決し、勢いよく顔を上げた。
「っ……わ、私を選んで下さい!お願いします!!」
顔を上げて心の底から後悔した。
だって、目の前にいたのは犯人なんかじゃなくて、
「これはこれは、廓言葉も使わず客引きとは…………随分と教育のなっていない遊女もいたものです。あぁ、もしや新人の方でしたか?それなら納得も出来ます……ねぇ、ひよっこ太夫さん?」
鬼……いや、悪魔。はたまた阿修羅か。
そう、目の前に立っていたのは……それらに見間違うほど恐ろしい表情をした、佐々木局長だったのだから。
「っ……………きょ……く……ちょ……」
サーッと血の気が引き、一瞬で頭の中が真っ白になった。
何で、どうして、佐々木局長が。
「局長!犯人逮捕しました!!」
(…………犯人、逮捕…?)
突如響いた声に局長の背後へと視線をやれば……そこには、手錠が掛けられた犯人を引き連れた私の同期の姿があった。
「ご苦労様です、そのまま屯所まで連行しなさい。私は別件でもう少し残らねばなりませんので……後は任せましたよ」
「はいっ!!」
瞬きもせず固まる私の目の前で、二人のやり取りが続く。やがて犯人は同期に連れていかれ、その場に残った佐々木局長が再び私を冷たく見下ろした。
あぁ……私はまたひとりで空回って、誰の役に立つこともなく任務は完了してしまったのだ。
その事実が深く胸へと突き刺さり、知らぬ間に視界を滲ませていた涙がほろりと零れ落ちた。
「っ……わ、わた…し……」
「さ、邪魔者は退散しましたよ。さっさと部屋まで案内して下さい」
「………え?あ、の………………え?」
「今回貴女が立てた作戦とやら、大方予想はついていますが……せっかくなので実践していただこうではありませんか」
「いや……それは……」
「局長命令です。罰を与えられたくなければ早くしなさい」
「っ……は、はいィィィ!!」
弁解する余地もなく。尚も冷たく見下ろす佐々木局長に、何故か犯人逮捕の作戦を実践しなくてはいけなくなってしまった。
・
・
・
「こちら、です……」
「随分奥まった場所にある部屋ですね」
「ほ、他のお客さん達に迷惑掛からないようにって思って……お店の人に頼み込んで……」
「ほう、ご自分でこの部屋を……店の主人に今回のことは伝えてあったのですか」
「いえ……あ、でも、百華の月詠さんには伝えてありました」
「そうですか……」
部屋へと案内して早々、いくらか言葉を交わした佐々木局長は躊躇することなく部屋の中心に座り込んだ。呆然と入口付近で立ち尽くす私を見て、何をしているんだと言わんばかりに眉をしかめる。
はっと我に返り、慌てて局長の隣に腰を下ろした。
「そんなぼんやりとした状態で犯人を捕まえるつもりだったんですか?」
「いえ、そんな……!」
「ならば早く実践して下さい。私も犯人に成り切りますから」
「……えぇぇ…」
身内の前で遊女の格好をしていることすら恥ずかしいのに、これは一体なんの罰ゲームなんだ。
いや、実際に言い付けを守らなかった罰に違いないのだろうけど……。
こうなったら仕方がない。羞恥心を飲み込み立ち上がると、部屋の隅に用意してあったお酒や猪口をお膳に乗せて再び局長の元へ。
ゆっくり座り直すと、微笑みを貼り付けて猪口を手渡した。
「ご指名下さりありがとうございます……なまえにございます。どうぞよしなに」
「……なまえさんは廓言葉を使われないのですか?」
「えぇ、まだまだ勉強中でございます。実を言いますと、今日が初めてでして……」
「水揚げ、ですか」
黙ったまま笑顔で返事を返しお酒を注ぐ。
局長がお酒を呷ったのを見届け、空になった猪口にまた次のお酒を注いだ。
このままこのペースを崩さずに、男にお酒を飲ませて酔わす……完璧な作戦。
けれど……完璧だと信じて疑わなかった私の作戦に、ヒビが入る。
「…………でしたら。お酒もほどほどにしなければ、なまえさんに優しくして差し上げることが出来なくなってしまいますね」
「え?」
何が起こったのか、全くわからなかった。
お酒は中身を零しながら宙を舞い。
猪口を持っていたはずの局長の大きな手には、私の手が収まっていて。
畳の擦れる音に、何かがひっくり返る音。
影を作って見下ろす男と、光を遮られ見上げる女。
(……く……………)
――――組み敷かれた……!!
「きょ、局長!?ちょっ……やめて下さい……!!」
まさか押し倒されてしまうとは思ってもいなくて、堪らず抗議の声を上げる。
冗談だと、すぐに退いてくれるかと思いきや、佐々木局長は狼狽える私にニヤリと笑った。
「やめて下さい?貴女は遊女なんですよ、なまえさん。こうなることくらいわかっていたはずでしょう」
「ですがっ……これはあくまで……!」
「えぇ、真似ごとです。しかし、実際はどうなっていたでしょうか」
「!!それは……」
「もしかしたら、もっと強引に迫られていたかもしれません。乱暴に押さえ付けられ、無理矢理体を開かされ……貴女の体にも心にも、深い傷を残してしまう結果に……「……そんなことわかっています…!!」
捲し立てる佐々木局長の言葉を大きな声で遮る。
……局長の言い分は正しい。
乱暴される可能性があることだってわかっていた。
(でも……それでも…………!)
「っ……例え私がどんな酷い目に遭おうとも、犯人を逮捕出来るのならそれくらい何ともありません!!」
――――パシンッ!
私が言い切るのと同時に、乾いた音が部屋に響いた。
……局長が、私の頬をはたいた音だった。
「馬鹿も休み休み言いなさい」
「………なん…で……」
少し遅れて伝わった頬の痛みが、止まっていた涙をぶわりと迫り上げた。
次々に溢れ出るそれらを拭うことも出来ず、ただただ局長を見つめ続ける。
―――どうして?
私はただ、役に立ちたいだけなのに……。
「わ、私はっ……これくらいしない、と……見廻組に、いられません……っ」
「…………」
「落ちこぼれなりの、考えやっ……やり方が、あって……!」
「なまえさん」
「っ……!!」
優しげな声と共に大きな手がジンジンと痛む頬を包み込む。揺らぐ視界に映る局長の表情はとても真剣なもので、思わず言葉を飲み込んだ。
「貴女は落ちこぼれなんかではありませんよ」
「何を言って……私は落ちこぼれです!」
「誰かが後ろ指をさし、貴女を落ちこぼれだと言っていたのですか?」
「………………言って、ません……」
確かに“落ちこぼれ”だとは誰にも言われていない。
けれど、ミスが多いことも事実だし、何より……ちゃんとした任務を与えてもらえてないことがその証拠なんじゃないだろうか。
悶々とした私の思考を読み取ったのか、佐々木局長が目を細めて再び口を開いた。
「私が貴女に任務を与えないのは、何故だかわかりますか」
「…………私が、落ちこぼれだから……」
「違います」
「っ……じゃあどうして…!」
「貴女が、無茶をするからです」
「……え?」
「努力家なのは認めます。しかし、その根本にあるのは自己犠牲による任務の遂行……なまえさん、貴女はいつだって誰かに頼ることをせず、何事もひとりで熟そうとする」
局長の言葉を聞き、脳裏に浮かんだのは月詠ちゃんの心配そうな顔だった。
遊女の格好をした私に何度も“無茶だけは絶対にするな。何か様子がおかしいと感じたら直ぐ様わっちを呼べ”と、繰り返し釘を刺した。
……あれは私に、“いつでも頼っていい”と言ってくれていたんだ。
「例えそれが、自分の力よりも遥かに大きな力が必要だとしても……貴女はひとりで突き進んでしまう」
「……っ」
「己の力量を見極めなさい。今回のことも、一歩間違えば貴女は殺されていたかもしれない。
……私は、自身の命を容易く投げ捨てるような部下に育てた覚えはありませんよ」
ほろほろと、涙が止まらなかった。
……私は、今まで勘違いをしていたんだ。
取り組んだ作業を必ず失敗してしまうのは、自分の力量がわからないまま、ひとりで解決しようとしていたから。
それを落ちこぼれているからと躍起になって、ますます拍車を掛けて……結果、人の役に立つどころか、人に心配までかけていた。
「す……みま、せんでした……っ」
泣きじゃくる私に佐々木局長が溜め息を吐く。そうして一拍置いた後、ゆったりとした動作で体を退かすと、局長は私の肩に腕を回し抱き起こしてくれた。
触れた温かさに涙が一層溢れた。
「やれやれ……もう命綱無しの綱渡りは止して下さいよ。見ているこちらは気が気じゃないんですから」
「…………綱から落ちても、こうして局長が受け止めて下さるじゃないですか」
「馬鹿も休み休み言いなさいと言ったばかりなんですがね……またはたかれたいんですか。ドMですか」
「ち、違いますよっ……!」
「でも、まぁ…………受け止めて差し上げますよ。何度でも」
―――これでも特別可愛がっているつもりですからね、貴女のこと。
そう言った局長が、私の額に唇を軽く押し当てた。
唇が離れたすぐ後に同じ箇所をペシリとはたかれ、“なるほど、これが飴と鞭か”なんて考えが恥じらいよりも先に浮かんでしまった私は……やっぱり落ちこぼれなんじゃないかと思う。
(月詠ちゃん、今回は本当にありがとう!私は役に立てなかったけど……お陰で大切なことを学べました)
(そうか……)
(それで、その……今まで沢山心配掛けてごめんなさい!私、自分のことばかり考えて……)
(ふっ……気にするな。ぬしのそういう所は昔から変わりんせん、もう慣れっこじゃ。そういえば、貸した着物やらの代金じゃが……)
(あ!そうそう、クリーニング代も払うよ。いくらぐらいに……)
(いや、ぬしの上司が全て買い取ったから必要ない)
(……え?)
(よっぽど気に入られたようじゃな……ひよっこ太夫)
(なっ………え?!もう一回着ろってこと!?無理、絶対無理!!何とかしてっ、お願いツッキー!)
(……無理じゃ、他をあたれ)