噛まれたらかむ


「……どうしたんだよ、それ」

思わず話しかける。笠松の大きめの瞳は更に大きく見開かれていた。今はHRの時間だ。主将である笠松は提出するはずのプリントをロッカールームに置いてきたことを思い出し先生に断りを入れて取りにきた。
だから自分の他にも誰か来るとは思ってもいなかった。しかも、相手が相手だった。工藤妃。うちのエースである黄瀬の彼女が扉を開けた。彼女も誰もいないと思っていたのだろう。驚いた顔をした。そして、しまったという顔をする。
笠松が驚いたのは相手が妃だったからだけではない。妃の全身にゴミが乗っていた。頭には生ゴミだろうか、細かいあれこれが見てとれた。
彼女は「あー…」と目線を逸らすが観念したのか苦笑いをもらした。

「ゴミ捨てに行ったんですけど、二階の窓から他のクラスの人たちにゴミ落とされてしまって」
「…それ、事故じゃないよな?」
「ええ。確信犯です」

きっぱりと言い切った。「すみません、ここならタオルたくさんあるかなと思って。部員でもないのにお借りするのは心苦しいんですが他にアテがなくて」と笠松を申し訳なさそうに見る。
言われる前にタオルをロッカーから探し出していた笠松はそれを妃に放り投げながら怒鳴る。誰であってもゴミを被った女子を意識する方が無理だろう。普段女子と上手く話せない笠松でも異様な光景、状況に全く意識していなかった。

「部員じゃないとかいまそんな事気にしてる場合じゃないだろ!それ完璧っ、」

イジメ、という言葉をギリギリで飲飲み込む。面と向かって言えるわけない。そんな笠松を見て、「タオルありがとうございます」と言って妃は苦笑いした。
なぜここで苦笑いでも笑えるのかが不思議だった。不可解、といえばいいのだろうか。普通なら泣いておかしくない状況だ。泣かなくてもショックを受けて沈んでいるとか、こんなに冷静でいられないはずだ。とてつもなく妃に違和感を感じた。諦めているというか、仕方がないと感じているように見える。

「…大丈夫です。怪我はしてませんから」
「そういう問題じゃない!」
「そうですか?…まあ、確かに今まではコソコソ噂されたり悪口を言われたりで実力行使はこれが初めてですね」
「…は……?」

なんでこいつは平気な顔で喋れるんだ。おかしいだろ。
妃の声音はむしろいつもより機嫌がいいようにも感じる。笠松に気を使って無理やりそうしてるのだろうか。それでも

「……黄瀬は知ってんのか、この事」
「……」

その言葉に妃は表情か消えていく。じっと笠松を見つめた。

「この状態でウロウロするわけにはいきません。そんな余裕なかったですし、報告するつもりもありません」
「彼氏なんだろ」
「……なんでもすぐ報告するほど弱くありませんから。本当は笠松先輩に会ったのも失敗したって思ってるんですよ」
「黙ってされるままにするつもりかよ。弱い強いの話じゃねえ」

こんなところを見てしまっては見ぬふりなんか出来ない。
せめて黄瀬に伝えるくらいは。そう考えていると妃が口を開いた。

「まさか」
「…は?」

予想外の言葉に思わず聞き返す。芯の強い声音だ。
妃はにこりと微笑った。

「すぐ上見たんで相手の顔分かってるんですよ」
「相手が分かったところで一人じゃ」
「笠松先輩。私の噂知ってます?あちこちで流れてるらしいんで知ってると思いますけど」
「……ああ」
「…あれと涼太とのことで色々と言われてきたんです。入学してからずっと。コソコソ言われてて我慢ならなかったんですよね。自分じゃ鎮めることも出来ないし」
「……」
「でも!今回はゴミを落とされた。つまり仕返しができるんです」
「おいちょっと待て」
「噂って嫌いなんです。私はいいとしても周りもいつの間にか巻き込まれてる」

早く行動に移してほしかったと言わんばかりの発言。
二股からはじまり黄瀬の悪口言ってる奴らと一悶着したという噂もそういえばあったなと思い出す。彼女についての噂は数多くあり、どれが本当なのか分からないほどだった。
控えめな性格かと思っていたがどうやら違ったようだ。笠松はうっすら恐怖さえ感じた。


「私はやられたら自分でやり返す人間なので。心配してくれるのは嬉しいですが周りに迷惑かけたくないですし、私がやり返すまで何もしないでくださいね」

異様な空気の中、笠松はこくこくと頷いた。頷くしか出来なかった。女って怖え
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