時間をかけて


「お水どうぞ」

近すぎると思うような距離で笑いかけられる。少しでも印象良く見られるようにだろうが、笑顔を貼り付けているだけのようで寒気がする。けどそんなことは全くおもてに出さず、黄瀬は目の前の彼女と同じように笑顔を貼り付けた。

「どもっス」
「あ…あの、覚えてますか?この前来てくれたときも私が注文取ったんです」
「ああ、うん。今日もよろしく」
「はいっ」

嬉しそうに関係者以外立ち入り禁止と書かれた部屋へ去って行く。女の子の顔なんていちいち覚えてないが彼女は覚えていた。というか、この場所へ来れば思い出せた。

ここは黄瀬の行きつけのレストランでだ。ドリアが妙に気に入っていて、ミーハーの彼女は黄瀬を見てすぐに誰だか分かったらしい。気付いたら毎回話しかけられていた。せっかくこの店気に入ってるのに。まだアタックされているだけで特に進展はない。
今のうちにと黄瀬はここへ妃を呼んだ。仲良く食べに来たところを見せつければ話しかけられることも少なくなると思ったからだ。
予想通り、話しかけられることは少なくなった。しかし、全くというわけではない。気に触る距離まで侵入し、ああやって話しかけてくる。あれから妃とも他の女の子とも来てないからだろうか…
けど今日は彼女を遠ざけるためではなく、「お礼」としてあいつを呼んだのだ。いないといいなーとは思っていたがタイミングとは難しいものだ。

そのときカラン、とドアに掛かったベルの音が響いた。

「…あ、黄瀬くん」

きょろきょろと店内を見まわし黄瀬を見つけると微笑う。近くにいた店員に何か言い、黄瀬と向かいの席に座った。

「えと、おはよう」
「…昼だけど」
「そ、そうだね。こんにちは?」
「別に挨拶とかどうでもいいっスよ」
「黄瀬くんが訂正するからでしょ!」

馬鹿にすれば抗議される。むっとする妃を見ておもわずふっと笑う。媚びてこない女の子なんて中学時代のマネージャーを除いて初めてだ。彼女の場合は好きな男が他にいたからっていうのもあるけど。職業柄どうしても相手に笑顔を振りまいてしまうけど、素でいられるのは本当に楽だ。

「ねえ、忘れてない?」
「え?」
「前に来た時には俺のこと、名前で呼んでたけど?」

彼女のフリをしているとき、妃は黄瀬を「涼太」と呼ぶ。最初の約束でそう言わせてるのだが。前にこのレストランでフリをしたことを思い出した妃は「あ、」とつい声に出してしまう。

「ごめん。そうだね、気をつける」
「危なっかしい…今日はお礼だから奢るけどそれ以上はないから。期待しないで」
「お礼って…本当だったの?いいよ別に。我慢が出来なくなって勝手に動いたんだし」
「楽しみにしてるって言ったんだから、俺の好意素直に受けてほしいんスけど」

黄瀬がお礼なんて珍しいどころじゃない。しかも女の子に、だ。バレンタインや差し入れのお返しをしようとすれば凄まじい量になる。ただでさえ部活と仕事と授業で忙しいのだ。ホワイトデーや見返りなんて求められても。つーかなんで俺が。そういうわけで、お返しは忘れたことにしている。
そんな黄瀬が考えたお礼は奢ることだった。最初はもっと高級なレストランにしようとしていたが、不意にどうして俺がこいつにここまでするんだと我に返り庶民的で一度来たことがあるこのレストランに変更した。

「…お待たせしました。当店オススメドリアになります」

さっきの店員がドリアを持って来て、妃を見て顔を引きつらせる。さっきまでいなかったのに、彼女とまだ続いてたのか。とかそんなところだろう。

先に妃の前にドリアがさっと置かれ黄瀬には顔を合わせゆっくりとドリアを下ろす。ああ、こういうところが面倒臭い。
ようやく店員が去ると小さく溜息を吐いた。これくらいは許されるだろう。

「はい、あーん」
「えっ」

突き出されたスプーンに思わず声が出る。思わずスプーンと妃の顔を交互に見る。

「食べないの?」
「食べないのって…」
「…涼太、」

間接キスや周りの目を気にしているわけではない。こんなこと既に何度も経験済みだ。しかし相手が妃だ。彼女がこんなことするとは、と戸惑いが隠せなかった。たとえフリでも。
しかしここで戸惑っていたら不信に思われるだろう。意を決してスプーンをぱくりと咥えた。

「……美味しい」
「うん。涼太がこのお店気に入るのも分かる」

自分も、とまたドリアをすくって頬張る。美味しそうにドリアを食べるのをじっと見つめた。文句を言ったときは苦笑いや作り笑いをしているが基本妃の笑みには作り笑いが感じられない。だから自分も作らなくていい。一緒にいて楽だと感じるのだろう。

「…週に一回ここのドリアでもいい、かも」
「それ好きすぎでしょ」
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