「やあ、名無しさんちゃん」

その声にあからさまに動揺する。引きつった笑顔のままゆっくりと振り返る。案の定、私に声をかけたのは学校一人気のある沢田綱吉先生だった。

「久しぶりだね。最近見かけなかったけど。もしかして休んでた?」
「は、はい…ちょっと風邪を」

眼鏡をくいっと押し上げ「そう。治って良かった」と言う先生に笑ってその場を乗り切ろうとする。視線が痛い。
一緒に廊下を歩いていた友達ふたりがひそひそ声だが騒ぎ始めたのだ。「名無しさんのやつ沢田先生に話しかけられてる!」「羨ましい」とかなんとか。なんというか、沢田先生は学校の中でも一番人気の先生なのだ。イケメンで頭も良く生徒にも分け隔てなく優しい。そんな噂が噂を呼び、学校外からも見に来る人がいるらしい。なんて平和な世の中だろう。

「あ、次の授業四階だから。またな」

にっこり笑って去って行く(もちろん後ろの友達にも笑顔を振りまいて)姿に飛ぶ黄色い声。…ああいう奴に限って裏の顔があったりするんだよなあ。入学して少しした先生の初めての授業。その時の挨拶からそんな印象を持っていた。みんなは違ったらしいが。
先生の眼鏡を押し上げる仕草を思い出し、静かに溜息をついた。

「放課後、資料室…」

沢田先生考案の秘密の合図だ。ちなみにこれを教えられたのは私一人。つまり、密会のお達しである。


***


「…遅くない?とっくに放課後だけど」
「ホームルーム終わってすぐは残ってる人たくさんいるから中々来れないんです。沢田先生は人気でらっしゃるからバレたら怖いんです。良い加減呼び出すのやめてくれません?」
「とか言いつつ来てんじゃん」
「無視したら蹴ったじゃないですか。先生にあるまじき行為です信じられない」
「先生として蹴ったんじゃないし、んー…恋人として?」
「嫌ですやめてください鳥肌立った」

沢田先生にさっきまでの輝くような笑みはなく黒いものが見える表情を浮かべている。この人多分世の中のみんな見下してるんじゃないかな、と思う。
私の第一印象はドンピシャで当たっていた。沢田先生には裏の顔がある。
一ヶ月ほど前、授業のあと教室に先生の置き忘れ物があり届けたらこんな状態の先生と対面した。流石にその時は先生も驚いた顔をしてたが私は逆にやっぱりか、と冷静だった。多分これがいけなかった。裏の顔を知ってる人は私だけ。暇つぶしで呼び出されたり雑用押し付けられたりいつの間にか子分扱いだ。

「本気で言ってるのに。つれないなあ」
「…私じゃなくて他の子に言えばどうですか。沢田先生なら女子高生だろうが他の先生だろうが狙えますよ」
「それじゃ意味ないんだけどー」
「ああ、難しいほど燃えるタイプですか?じゃあ彼氏持ち狙いましょう。略奪略奪」
「昔からすぐ略奪しちゃうんだよね」
「にっこり顔で言われても」

呆れた、と息を吐けば腰に手をまわして引き寄せられる。

「それに。今はもっと面白い女が近くにいるし」
「私より良い女なんてたくさんいますよ」

べちんと腰にある手を払うと予想済みだったのかすんなり離れた。

「知ってる。けど名無しさんがいい」
「なんですかそれ」
「ちゅーしてみない?」
「はあ?殴りますよ」
「避けるからいいよ」
「……帰ります」

先生に背を向けドアを開けようとするがガチャガチャと音がするだけで開かない。え、なんで?
入った時にはなにも気にせず入れた。はっと気付く。こいつだ。沢田先生に振り返るとドヤ顔だった。その顔ムカつく。

「帰りたいです。ドア開けてください」
「お願い聞いてくれたら開けてあげるよ」
「……キスしろとかいうんですか?」
「言わないよ。安心して」

さっきの会話はどうしたんだ。安心出来るわけがない。しかし裏の顔を知ってる私には頷かないとこの人は何もしないと分かる。渋々頷いた。


「はい、開いた」
「……どうも」
「あ、お願い?気になる?…はい、逃げようとしてもだめー」
「ちっ」

不意をついた、その一瞬。
頬に生温かい感触。ご丁寧にちゅ、と音をたてて。慌てて頬をおさえるがもう遅かった。

「キスしろとは言ってないだろ?」

頭を撫でながらしたり顔で言う沢田先生。おさえている頬が熱くなるのが分かる。先生と違って私はこういう経験とか豊富じゃない。これだけで赤くなってしまう。悔しい。

「照れてる?以外と可愛げあるんだね」

本当に驚いたのか珍しそうに言われて私は無言で彼の足を踏んだ。


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