早乙女学園に着くとさっそく「翔ちゃーーーん」という声が聞こえる。伊澄は「あー、またか。頑張れ」と同じ追われる者として同情した。雨の日でも賑やかな学園だと他人のフリ。
だがすぐにそれは他人事でなくなった。

「あ、月城さんお帰りなさい!今日は制服なんですね」
「…あ、うん。家寄るの面倒臭くて」
「雨ですしね」
「で、四ノ宮くんこそその格好は?」

彼はフリルの付いたピンクのエプロンを着ている。その手には黒い煙りが出てる物体。それを見たと分かったのか四ノ宮くんはにっこりと笑みを浮かべた伊澄は冷や汗をかく。この状況はヤバイ。

「お菓子作ったんです!翔ちゃんに食べてもらいたくて。でも翔ちゃんどこかに走って行っちゃって」
「そ、そうなんだ。じゃああたしはこれでー…」
「そうだ!月城さんも食べてください」
「結構です!!!」
フェードアウトしようとするが笑顔で道を塞がれる。徐々に近付いてくる四ノ宮くん。
通路は四ノ宮くんの後ろにある。他の逃げ道は自分が入ってきたドアだが雨の中走るのも辛い。じりじりと迫り来る黒いそれに伊澄はどうしようと固まった。

「遠慮しないで」
「え、遠慮じゃないでーす」

苦笑いする。一瞬の隙を突き那月の後ろの通路へ逃げた。くそう、林檎の他にもこんな目に合うとは。翔なんで逃げた。
後ろから「月城さーーん」と四ノ宮くんの呼ぶ声。こんな目に合うとは!
頑張って走っていると廊下の真ん中に見覚えのある後ろ姿が。もう疲れてスピードが落ちていた伊澄は「ええい、強行手段だ!」と見慣れた人物に抱き付いた。

「おとやくん!」

勢い良く抱き着きぎゅううう、と逃がさないように抱き締める。びくっとした音也は「伊澄!?」と驚いた声で首だけ後ろを向く。
内心では「わー!わー!」と心臓バクバクしてるのだがそれには伊澄は気付かず。

「ど、どうしたの?」
「ごめん音也!助けて!」
「へ?」

抱き付いたままぐいん、と引っ張り向きを反転させる。その直後、勢い良く走って来ていた那月が「あーん」と音也の口に例のお菓子を入れた。

「うぐっ……」
「わーん音也ーー!しっかりしてえええ」

顔を青くした音也はばったんと倒れる。同時に伊澄の顔も真っ青になる。想像以上の殺傷能力だ。流石に倒れた音也を置いて走る訳にもいかず「起きて!」と音也の肩を揺らす。

「ほら、月城さんも」
「ええっ………あ、翔!」

那月にお菓子を差し出され目を泳がせていると遠くで様子を伺っている翔を見つける。伊澄の声で那月はきらーんと目を光らせた。ターゲットが翔に戻る。

「ぎゃああああ!伊澄!裏切ったなー!」と翔が叫ぶ。走り出した翔にはもう聞こえないかもしれないが「こっちはもう音也が犠牲になってるんだから!」と抗議の声をあげた。
危機を逃れほっと息を吐いた伊澄は音也を抱き起こす。

「音也、大丈夫?」
「ううーん…」

目を覚まさない音也。とりあえず命の危険は無いことにほっとする。
四ノ宮くんにあんな一面があるとは…一緒に逃げたとき翔は「那月は眼鏡を取ると砂月っていう凶暴な奴に人格が変わる」と言っていた。だから眼鏡が外れないように逃げている、と。それだけでも大変だと思うのにもう一つ危険なものがあったとは。

「林檎から逃げてるあたしってまだ可愛いものかも」と半目になる。雨でも本当に賑やかだなあ、と乾いた笑いを浮かべた。


とてもじゃないけど息ができません
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