「シャーク!海行こうぜ、海!」
「断る」

 あっさり否定すると、遊馬は凌牙の思った通りの嫌そうな顔をした。そんな遊馬を置いて一人先に帰ろうとすると、後ろから遊馬が駆けて来て凌牙の隣につく。

「なんで嫌なんだよ」
「お前この間一緒に行った時、調子に乗って俺を海に引きずり込んだよな?おかげで全身ずぶ濡れになって服が乾くまでバイク出せなかったよな?」
「うっ……そ、それは……悪かった、けどよ…」

 遊馬の声がだんだんと小さくなり、視線もだんだんと落ちた。落ち込んでいる遊馬を見て、凌牙はくすりと笑った。

「冗談。真に受けるなって」
「……えっ?」
「海。連れていってやるって言ってんだよ。時間が空いたらな」

 凌牙が遊馬の頭を軽く撫でると、遊馬の表情は一変してぱっと明るくなった。ころころ変わる表情にどれだけ単純なのかと呆れたが、凌牙は遊馬のそこが可愛らしくて好きなのだ。
 しかしその大好きな笑顔がだんだんと白く霞んでゆき、あっと言う間に全てが真っ白になった。

「遊馬……?」

 次に見たのは真っ赤に囲まれた風景だった。見慣れた場所も、遊馬の姿もどこにもない。赤い結晶と黒い塵が辺りを舞っている。
 そうか。自分は眠っていたのか。
 全身のけだるさからそう感じた。座り心地の悪い玉座のせいか、首や肩がぎしぎしと痛む。玉座から立ち上がり、軽く首や腕を動かしながら一つの大きな赤い結晶へ近づいた。
 その結晶の中には遊馬が眠っていた。胸が規則正しくゆっくりと動いているのを確認して、今日も生きていることに安堵する。
 眠り続ける遊馬に手を伸ばすが、その手は結晶に阻まれた。遊馬に直接触れる事ができない。しかし、この結晶から出てしまえば遊馬は消えてしまうのだ。今、人間の姿を保つためには、多少のことは我慢しなければならない。代わりにそっと、愛おしそうに遊馬を覆う結晶をなぞった。

「遊馬、俺を恨むか?お前の仲間は人柱になって、お前だけを生き残らせて」

 人の世界とアストラル世界とバリアン世界の3つがまだ存在していたのは、どれくらい前のことだっただろうか。今はバリアン世界しか存在していない。バリアン世界が人の世界と完全に融合し、人柱となった人達のエネルギーでアストラル世界は完全に消えたのだ。
 しかし、どうしても遊馬だけは手元に置いておきたかった。だが、バリアンでない遊馬がバリアン世界で生きることは不可能だ。だからせめてでもと考えたのが、遊馬を結晶として傍に置いておくことだった。
 笑いかけられることも、話かけられることも、後ろから突然抱きついて来られることも、デュエルをすることも、何も出来なくなった。遊馬はずっと眠るだけだ。
 しかしそれでも良かった。あの時、遊馬が完全に消えていたほうがきっと耐えられなかっただろう。
 笑わなくていい、話さなくていい、抱きついてこなくていい、デュエルをすることも、好きだという言葉も、何もいらない。ただ本当に、遊馬だけが欲しかった。

「ナッシュ。ここにいたの」

 こつこつと乾いた音と共に聞きなれた声がナッシュを呼んだ。ゆっくりふり返ると、未だに見慣れない姿のメラグが立っていた。メラグはナッシュが前にしている結晶を見ると、目を伏せて肩を落とした。

「ナッシュ……。はぁ、私は何も言わないわよ」
「……ああ」
「もう民が集まっています。王として、そろそろいつもの場所に来てください」

 王。その言葉を強調して言うと、メラグはその場を立ち去った。 バリアン世界の王。それが今のナッシュだった。神代凌牙はもうどこにもいない。

「……海。一緒に行きたかったな、遊馬」

 最後に遊馬の結晶を優しく撫でると、遊馬に背を向けてその場を立ち去った。遠くに見える赤い海を見ながら、以前の自分の世界で見た青い海と重ねるのだった。


13/09/23
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