「ふわ……」
「おはようございます、十代さん」
「おーう……もう昼だけどな…」

 まだ開かない目をうっすらと開け、大きく欠伸をした。涙が目尻を濡らす。
 今日は休日の正午である。旅人である十代にとって、平日も休日も全部休日のようなものなので、世間一般の休日など十代に関係ないのだが。
 遊星の時代で、遊星の住む家に居候をして1年以上が過ぎた。本当は少し休ませてもらって、すぐにまた新しい地へ向かうつもりだった。だが、それを聞いた遊星が珍しく強引に十代を引きとめたのだ。数日、数週間と、滞在期間はどんどん伸びてゆき、いつの間にか旅に出るにも出づらい状況になっていた。
 その状況になった原因はもうひとつあった。

「十代さん」
「んー?なに…」

 寝すぎてガラガラになった声で返事をすると、十代の鼻先をオイルの匂いがかすめた。遊星に後ろから抱きしめられ、首元に顔を埋められる。
 またか、と十代は小さくため息をはいた。呆れつつも、腹に回された手に自分の手をそっと重ねた。
 お互いに何も言わないまま時間が流れる。突然遊星がぱっと手を離すと、十代は慣れたように遊星と向き合った。今日もオイルなのか何なのか、黒い汚れが顔にちらちらと線を引いている。別に顔に汚れをつけたままキスをされようが、十代は何も思わないのだが。素直に遊星からのキスを受け止めた。

「ん。これで仕事頑張れます」

 もうひとつの原因はこれである。
 十代は遊星と付き合っている。というより、自然とこうなってしまったのだ。
 いつからこうなったのか、もう覚えていない。なんせ何十年と生きてきた中で、恋人関係になった人物は何人もいるのだ。記念日やその時の出来事などいちいち覚えていられない。
 慣れてしまった恋愛に飽きてきたと言えばそうなのだが、遊星は今までの元恋人と少し違っている。それは、一度も十代に手を出したことがないのだ。最近になって、やっと恥ずかしがらずにキスをするようになってきた。しかしここまでである。これより先に踏み込んだ事はない。
 そういう純粋な恋人関係は初めてで、新鮮だった。逆に何十年と生きてきた中で初めてこの感情を持った原因でもある。それは、本当に遊星に愛されているのかという不安だった。
 自分からハグをして、キスをして、満足したのか、遊星はサブでしている修理の仕事に戻った。
 これだけでいいのか、それでお前は満足なのか。それともお前の俺に対する愛なんてその程度のものなのか。
 汚れた心と欲望が内で渦巻き、どろどろとしたものが溢れ出す。それをぐっと堪えるが、代わりに涙が地面に落ちた。それに続いて涙がどんどん溢れて、頬を濡らす。

「十代さん!?」

 背を向けていたはずの遊星がそれに気づくと、汚れたグローブを放って十代の元へ走ってきた。流れる涙を遊星が優しく指で拭おうとするが、遊星の素肌が十代に触れるたびに、溢れ出る涙は量を増した。

「いつもそうやって、俺に触れてくれればいいのに」

 ぽろりと一つ目の心が口からこぼれた。十代の言葉に遊星が動きを止め、理解出来なかったのか少し首をかしげた。十代に触れたままの手のひらを、そっとその上から愛おしそうに包んだ。

「なんで、お前は手出してくれねぇの?俺の事、飽きちゃった?」

 自分でそう口に出して、自嘲気味に笑った。飽きただとか、不老不死のことで面倒くさいと言われることには慣れている。だから、遊星にどう言われても耐えられる覚悟はできている。そっと遊星を見ると、そこに嫌悪の表情はなかった。

「なんだ、そんなこと思っていたんですか」

 むしろ微笑んでいた。身構えていたのが無駄になり、十代が呆気に取られていると、遊星に再び唇を奪われた。こういう慰め方は好きではない。

「ごめんなさい。十代さんがいるっていう日常が幸せすぎて、そういうことに気づいていませんでした」

 十代さんがそうしたいのなら俺は構いませんよ。
 わざとなのか、余裕を含ませて十代の耳元でそう囁いた。途端に耳が熱を持ったかのようにかっと熱くなり、十代は思わず囁かれたほうの耳を片手で塞いだ。その様子を見て遊星はまた笑うと、今夜でもいいですよと言って、再び仕事に戻った。
 いつものように機械の相手をしている遊星の背中が、少し大きく見えた気がした。



13/06/15
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