時々思うことがある。
 どうして自分はこんな気持ち悪い感情を持っているのか。人を愛するということをしているのか。これではまるで人間のようではないか。しかも相手は人間である。
 がりっ。嫌な音と共に指先に激痛が走った。はたと見ると、右手の親指から血が出ている。どうやら知らず知らずのうちに爪を噛んでいたようだ。そして誤って指先までも巻き込んでいた。
 傷口からゆっくり出てくる血は赤い。今は人間態なのだから、それは当然のことなのだが釈然としない。なぜなら自分はバリアンであるからだ。人間ではない。いくら見た目が同じであっても、内にはバリアンの心臓が宿っている。
 バリアンの血は赤いのだろうか。見たことがないし、興味もなかった。そもそも、もし同じだったとしてもなんなのだ。所詮は人間とバリアン。違う生き物だ。どうして共通点を見つけるような遊びをしているのだろうか。

「ベクター、ちょっといいかい……ってどうしたんだいその血!」
「大介」

 リビングに姿を現した大介はさあっと顔色を変えた。大介はこういうところが面白い。ころころと表情が回るから見ていて飽きないのだ。たまに本気で怒ることがあるので遊ぶには少し危ないが。
 大介は怪我をしている方の腕を掴むと、キッチンへ向かった。その足は少し急ぎ足のようだが、気遣っているのか、腕を掴む手は優しい。蛇口をひねって水が出る勢いを調節し、ゆるゆると流れる水の中へ親指をつっこまれる。

「染みるかい?」
「……いや」
「良かった。傷口はそんなに大きくないみたい」

 隣で安堵のため息がはかれた。大介は水を止めると、待っててと言い残してキッチンを出ていった。救急箱でも取りに行ったのだろう。大介は優しいから。
 優しいから、誰にでもこうするのだろうか。

「……?」

 胸を針で刺されたような痛みが走った。それは親指を噛み切ったようなものではない。もっと別の痛みだ。胸の辺りを触ってみるが、特におかしいところはない。一体なんだったのか。いや、それよりさっき自分は何を考えた。

「ごめん、待たせたね。あ、服に血が…」

 救急箱を手にした大介がキッチンに戻ってきて言った。そう言われて自分が着ている服を見ると、胸の辺りが少し赤くなっていた。さっき胸のあたりを触ったせいか。そういえば胸の痛み。あれはなんだったのか。

「なあ大介」

 そこで言葉が止まった。大介が不思議そうな顔をしてこちらを見たが、怪我の手当てをするために手へと視線を落とした。
 途端にふっと、肺に溜まった空気が外へ出た。肩から重みが消えたように感じたが、心の内は違う。もやもやとしたものがまだ逆巻いている。だが、自分はその中へ入ることを拒んでいる。聞いてはいけない。そんな気がした。だから大介に聞くことができなかった。
 もしこれが人間の持つものなのだとしたら、自分には必要のないものだ。これ以上消さなければならない厄介事を増やしたくない。
 ただでさえ愛なんていう面倒くさいものに自分は縛りつけられているのだから。不格好な絆創膏が貼られた親指を見ると余計にそう思えた。なぜだかそれが愛おしく見えるからだ。


13/06/03
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