その日はいつもより遅く起きてしまった。
 寝すぎたせいで頭が重かったが、体はとても軽い。カーテン越しに部屋に差し込む光が強く、時計を見なくてもすでに時刻は昼時なのだろうと感じた。
 布団が心地よい。このままずっと眠ってしまいたいと思ったが、今日は駄目だ。遊星との約束がある。
――そうだ、約束。
弾かれた様にばちりと目が覚め、ベッドの横に置いてある時計を手に取った。

「……!やっべぇ!」

 約束の時間はとっくに過ぎていた。
 布団を跳ねのけ、服を着替えながら携帯電話を操作する。寝坊してしまったことと謝罪の言葉を打ちこむとすぐにメールを送信した。送信完了画面を確認する余裕はなく、ジーンズの後ろポケットに携帯電話をしまいこんだ。
 足をもつれさせながら、洗面所へ向かった。顔を洗って、寝ぐせでしっちゃかめっちゃかにはねている髪をどうにか直し、歯を磨きながら荷物の用意をし始めた。
 お気に入りの鞄を引っ張り出し、中に財布とバイクの鍵を放り込んだ。携帯電話を入れていない事に気づいてベッドの横へ目をやったが、そこに携帯電話はない。そこで、ジーンズの後ろポケットに入れていたことに気づいて鞄の蓋を閉じた。
 鞄を肩からかけ、口をゆすいで最後に髪と服のチェックを軽くする。おかしいところは特にない。
 玄関脇に置いてあった腕時計を手首にはめ、きちんと部屋の戸締りをするとアパートを飛び出した。
駐輪場に置いてある一際目立つ赤いバイクが十代のものである。シートを上げてその中の赤いヘルメットと入れ替えるように鞄を入れ、思い出したようにジーンズのポケットから携帯電話を取り出した。メール受信を知らせるランプがついていないことを確認すると、それを鞄にしまい込んでヘルメットを被った。紐が緩んでいないことを確認すると、鞄からキーを取り出してバイクへ差し込む。回しはしない。最後に光沢のある手袋をはめて、バイクのシートを下ろした。



 十代が向かったのは街が一望できる一番高い場所だった。整備された駐車場には車もバイクも一台もなく、人もいない。適当な場所にバイクを停めると、十代は鞄を肩からかけて街を眺められる場所へ足を進めた。
 周りには何もなく、木々が生い茂るだけだった。手すりに寄り掛かると、細く長い息を吐きだした。
 遊星達が変えたこの街はすっかり活気づいている。どんどん成長している。その姿は太陽のように見えて、十代は正直それが羨ましかった。
 風の向くまま、気の向くまま。そうやって生きてきたが、正直もう限界を感じていた。しかし死ぬことが出来ない。十代は生を経ち切ることが出来ないでいた。
 死ねないために、生きる事を諦められない。どうすれば死ねるのか考えた時期もあった。その間は死ねることを探すことが、生きているという事になった。一見矛盾しているようだったが、なぜかそうとは思えなかった。
 しかし長すぎる生は悪いことばかりではなかった。
 遊星に再び出会えたのだ。時を越えて出会えた存在。この頃から、十代の生きる事が遊星と共に歩むことへ変わった。
 目を瞑れば流れるのは遊星との日々。それは恋や愛とは違った、もっと別の感情を持った日々のように思える。それは遊星が口にしていた絆だろうか。ただひとつ分かっていたことは、遊星の為ならば死ねると思えていたことだった。それくらい十代の中で遊星は特別な存在になっていた。
 鞄から携帯電話を取り出した。メール受信を知らせるランプはついていない。携帯電話を開くと、送信失敗のエラーが出ていた。十代はそれが当たり前であるかのようにその画面を見つめると、携帯電話を鞄にしまい込んだ。

「悪い寝坊した。今着いたから」

 誰かと話しているかのように大きな独り言をつぶやくと、十代は手すりに足をかけた。足場は不安定であったが恐怖心はなかった。

「本当は死ぬ時は一緒が良かった。でも、その頃はどうやったら死ねるのか分からなくって無理だった。……随分待たせちまったな。大丈夫。今度はちゃんと一緒にいられるから。ちゃんと心を殺してきたから。これで、死ぬことができる」

 心を殺す。それが、十代が唯一死ぬ方法だった。
 何の情にも流されない冷酷非道な心を持つこと。人の心を捨てること。それが心を殺すということだ。
 心を殺した十代に残ったものは、死んで遊星に会いたいという欲望だけだった。それだけで死ぬには十分だった。
 遊星が愛した街に背を向け、そのまま後ろへ倒れると浮遊感が体を包んだ。空を見上げながら十代は笑う。
 未練はなかった。むしろ、長い生に終止符を打つことができることにわくわくしている。
 目の前が真っ白になった中に、遊星が見えた気がして涙が零れた。
 やっと遊星に追いついた。



13/04/07

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