「大介、好きだ」 朝の挨拶をするより先に零はそう言った。大介は起こされたばかりでまだぼんやりしていたが、零の様子が妙だと思った。普段零はなかなか自分からこう言った色めいた言葉を言わない。何かあったのかと思って少し視線を逸らし、ふとカレンダーの数字が目に入った。 4月1日。世間はエイプリルフールである。 大抵の人ならば恋人相手に大嫌いと嘘をつくのではないだろうか。しかし、零は大介に好きだと言ってきた。嘘をつくならば矛盾している。 零は今日がエイプリルフールであることを知って言っているのだろうか。そう思った途端、大介は不安に駆られた。 もしさっきの零の言葉が嘘ならば、本当は自分を愛していないのではないか。だが、今まで零と過ごした時を思い返してみても、そうだと思える要素はない。ないと信じたい。 考えれば考えるほど、大介の思考はどんどん深みへはまる。 「僕は零が大嫌いだ」 零がエイプリルフールを知っているかどうか。それを直接聞けば良かったのだが、気づけば大介の口から嘘が勝手に飛び出ていた。つまらない事を考え込んでいたせいか。 しまったと思った時にはすでに遅かった。体の熱が一気に冷めていくのを全身で感じた。 「……だい、す……け?」 零が涙を流していたのだ。大粒の涙が大きな目からぼろぼろと溢れ落ちていく。よほどショックであったのか、その涙を拭うことすらせずに立ち尽くしている。 予想もしなかった零の過剰な反応に、大介はまず何から言えばよいのか分からずに慌てふためく。言葉よりも先に、大介の手が零を掴んだ。 「っ!やっ……!」 零の顔が強張るのが見えた。零にそんな顔をさせてしまったのは大介自身であったが、自分勝手にもその顔を見たくない気持ちが先走り、零を強く抱き締める。零の肩に顔を埋めると、耳元の空気が震えているのが聞こえた。 ただの冗談のつもりであったのだがという言い訳を頭の片隅に追いやり、大介は自分自身と零が落ち着くのを待ってから口を開いた。 「ごめん、零。そんなに泣かれるとは思っていなくって。……いや、こういう言い方じゃ駄目だな。そうじゃなくって……。零、今日が何の日か知っているか?」 「……4月、1日?」 「うん」 「……人間界では、何かある日……なのか?」 やはりそうだったか。大介は胸にずんと重しがかかったような痛みを感じた。 よく考えれば零はバリアンなのだから、この世界の文化や習慣を知らないことは当然である。零がバリアンであることを知っていたにも関わらず、とんでもないことをしてしまったと気づいた大介はもう一度零に謝罪した。 「4月1日はエイプリルフールって言ってね。嘘をついても良い日なんだ」 「……嘘?」 「ああ。……すまなかった。君が、急に普段言わない様な事を言ってきたから……」 「……大介は、私が好きだと言ったことが嘘だと……思ったのか?」 「……ごめん、本当は……少し不安になった。でも僕は君を……いや、これはただの言い訳だな。本当に……すまない」 零を抱き締める手に力が籠った。零を愛している自分が零を信じる事が出来なかった。それに、自分が嘘をついた原因となった自己嫌悪があまりにも大人気なく、今思うととても恥ずかしい。 「あ」 気落ちしていると、腕の中の零が声を上げた。その声に驚いて腕の力が緩み、その間に零は大介の顔が見えるように体を少し離した。大介を見つめる瞳は少し赤くなっていたが、もう涙は流れていない。そこにはいつもの零がいた。 「大介、今日は仕事があると言っていなかったか?時間が来ていたから起こしに来たんだが」 「あー……そういえばそうだったっけ……。零と離れたくないなぁ」 正直仕事が出来る気分ではなかった。零と離れたくないというのも本心である。それはいつも思うことであったが、今日はくだらない事によってすれ違いが起きそうになっていたために余計である。しかしそんな理由で仕事を休むはずもないし、大介自身がそうするつもりなど元よりない。ベッドから降り、いつもより少し急いで支度をし始めた。 「じゃあ、行ってくる」 「……大介」 予定より数分過ぎてしまった時間に急ぎながらも、大介は零の声にふり返った。腕を引かれ、バランスを少し崩して前屈みになる。体制を立て直そうとしたその時、唇に柔らかな感触を感じた。 それはほんの一瞬の、触れるだけのキスだった。 「私は、大介がちゃんと好きだから。一緒にいたいなら、早く帰ってこればいい」 突然のキスと言葉で動揺して動けないでいる大介を、零は時間がないんだろうとぶっきらぼうに言って背中を押した。 閉まったドアの向こうから大介の急ぐ足音が遠ざかって行き、やがて聞こえなくなった。 「嘘をついても良い日、か」 嘘だらけの存在である真月零にとってはいつもと何も変わらない日である。そう思い、ベクターはくつくつと喉の奥で笑った。 歪んだ笑顔を浮かべながら、ベクターはバリアン世界への扉を開いた。何度来てもこの姿で人間界に留まることは好かない。誰にも会わないで良い時はこうやって度々バリアン世界へ戻るのだ。 扉の中へ消えようとして、止まった。一度扉を閉じて、寝室へ向かう。 サイドテーブルに置かれたDゲイザー。それは零のものである。唯一大介と連絡を取ることができるものだ。 ベクターはそれを手に持ち、ダブルベッドに座って着信履歴を開く。ずらりと並ぶ大介の名前と、時々遊馬の名前が画面に映し出された。その内、大介からの着信が来た時間をいくつか見て、Dゲイザーの電源を落とした。大介は時間があればすぐに電話をしてくるため、こうやって大体何時頃に電話をしてくるか予測を立てておくのだ。そうして、電話が来る前に人間界に来る。 一度全く電話に出なかった事があり、その時大介は息を荒げて帰って来たことがあった。別に大介を困らせたところで心が痛むわけでもなかったのだが、ベクターは今でもその時の大介の顔を思い出す。真月零の姿を見た瞬間に見せた、あの安堵の顔を。 「……好きだの愛してるだの……馬鹿じゃねぇのか」 ただの暇つぶしの恋愛ごっこ。ベクターにとって大介との時間はそういったものなのだ。自分の計画にこの恋愛ごっこは何の関係もない。この遊びに正直になっても計画にはなんの問題もない。だが、ベクターはその遊びによってできた痛みにさえも嘘をつくのであった。 13/04/01 main top |