好きも嫌いも飲み干して
「調子が悪いと思ったらすぐに病院を受診してくださいね」
「はい。お世話になりました」
目が覚めた次の日には退院できることになった。すでに支払いは済ませてあるらしく、私はただ荷物を持って家に帰ればいいらしい。
もちろん迎えはない、はずだった。
「!」
病院から出たばかりの私を出迎えたのは犬の鳴き声。反射的にそちらを向けば、千切れんばかりに尻尾を振るゴールデンレトリバーがいた。
犬の鳴き声にリードを握っていた男性が顔を上げる。目が合った瞬間、持っていた鞄が足元に落ちた。
「なん、で」
「…夫が妻を迎えに来ることに理由がいるのか」
無表情にそう言った赤司さんの足元で、ゴールデンレトリバーが従順そうにわんと鳴いた。
「だって…え?それにこの子、」
「君が会いたいかと思って、ご両親に無理を言って連れてきたんだが」
「!」
「余計なことをしたかな」
「……いえ、あの」
ありがとうございます。絞り出した声は小さすぎて聞こえなかったかもしれないけれど、赤司さんはせいじゅうろうのリードを私に握らせると足元に落ちた鞄を拾い上げた。
「ちょ…ちょっと待ってせいじゅうろう!」
相変わらず私の言うことは聞かないせいじゅうろうにぐいぐいとリードを引かれる。いつもなら文句の一つや二つ言うところだけど今日ばかりはこのやんちゃ振りに救われたと思う。
「…あまり走ると危ないよ」
「!」
「君はせいじゅうろうの飼い主なんだ。堂々としていないから言うことを聞いてくれないし、好き勝手振る舞われる」
「は…はい」
転びそうになった私の腕を掴んだ赤司さんはそう言って私からリードを取り上げた。途端に大人しくなるせいじゅうろうを見て、今までただのバカ犬だと思っていたけれど上下関係はきちんと理解できているのだということを悟る。私は完全に舐められているということも。
「あ、の」
「…なに」
「お仕事は…?」
「実渕に任せてきたから問題ない」
実渕さん、昨日は私の看病を押し付けられていたのに今日はお仕事を押し付けられたんだ…。
申し訳なくなって謝罪の言葉を口にすると、赤司さんは怪訝そうな顔をしてせいじゅうろうの頭を撫でた。
「なぜ君が謝る」
「だって…私が川に落ちたせいで他の人が迷惑を被っているから」
「…仕事は自分に任せて君の傍にいるようにと言ったのは実渕だ」
「!」
「オレたちは言葉足らずだと言われた」
だから少し話そうか。そう言って赤司さんが歩き出すと、せいじゅうろうも彼の隣を従順そうに歩き始めた。
title/サンタナインの街角で