哀れな兎の末路
電車で揺られること二時間と少し。家を飛び出した私が向かったのは田舎にある祖母の家だった。今は誰も住んでいないためお隣の虹村さんご一家に管理をお任せしている。
「だけどホント、少し見ないうちに美人になったよなあ」
私に麦茶を渡しながら修造さんはしみじみとそう言った。味なんて覚えてないのに何となく懐かしい気がするそれで喉を潤す。
「最後に会ったのいつだっけ?」
「中学生のときだったから……二、三年前だと思います」
「二、三年でこんだけ変わるんだから女って怖いよな」
真面目な顔でそんなことを言うものだから思わず笑ってしまった。
「で?突然こんな田舎まで来るなんてどうしたわけ」
「えっ」
心臓が跳ねる。大丈夫、電車の中で何度も練習したじゃないか。平常心を装ってコップをテーブルに置いた。
「おばあちゃん家の管理、虹村さん家に任せきりだし……たまには自分で様子を見に来ようかなって」
「別に気にしなくていいっつーの。みやびの方こそ学校とか大変だろ?」
「ま、まあ……」
実はわたし結婚してるんです。だけど旦那様と言い争いになって家出してきました。なんて、言えるはずがなかった。
「ま、のんびりするのもいいよな」
「そっ…そうですよね!」
修造さんの言葉に大きく頷いた。
「は?お前料理できんの?」
嘘だろ、と言いたげな様子で修造さんがそう言った。明らかにバカにされている。たしかに失敗ばかりだけど私の料理の腕前も知らないのにそんな反応をされるのは心外だった。
「じゃあ今日の夕飯はみやびが作れよ」
「い、いいですよ」
修造さんのご両親は定期検診で都会の病院に行っているらしい。帰りが遅くなるから夕飯は修造さんが用意しなければならないらしく、ちょうどいいと台所に放り込まれた。
「冷蔵庫の中身好きに使っていいから」
「はい」
そんな会話から二時間後。私が作ったお味噌汁をおそるおそる口に含んだ修造さんは最早見慣れた反応を示した。
「辛い!」
「すみません……」
上手に炊けたのはご飯だけで、生焼けの魚と異常に辛かったおひたしはとても食べられたものではなかった。食べられないものばかり並ぶテーブルを修造さんは無言で片付け始める。
料理を失敗したら食材がもったいないだろと、火神先生から再三言われていたのに。わたし全然成長してないなあ。膝の上で握った拳の上にぽたぽたと涙が落ちた。
「何泣いてんだよ。お前が料理できないのは分かってたっつーの」
少し待ってろ。呆れたようにそう言って修造さんが台所に引っ込む。数分後、戻ってきた彼は私の前にチャーハンを置いた。
「おら、食え」
私が作ったものよりずっと美味しいそれはどうやら修造さんの手作りらしい。食べる手を止めない私を見た修造さんは満足げに笑うと自分も食べ始める。
「みやびの舌には合わないと思ってたけど」
「そんなことないです……。料理、お上手なんですね」
「お前よりはな」
修造さんがそう言って私の髪の毛を掻き乱す。昔もこうやってわしゃわしゃされてたなあ。それは修造さんも思っていたらしく、懐かしいなと楽しそうに笑った。
食後、お風呂まで貸してくれた修造さんは誰もいない家に一人は寂しいだろうからこっちに泊まればいいと言ってくれた。だけど突然押し掛けた挙げ句ご飯もお風呂も用意してくれたのだからそこまで面倒をかけるわけにはいかない。さっき様子を見に来たって言ったでしょうと、そう言って虹村さん家に預けておいた玄関の鍵を借りた。
「懐かしい……」
虹村さんがきちんと管理してくれていたおかげで久々に訪れたおばあちゃん家は前と何も変わっていなかった。家具の配置も、縁側から見える庭の景色も。それなのに虚しく感じるのは、ここにはおばあちゃんも両親もいないからだろうか。
普段あまり考えないようにしていたけれど私にはもう赤司さんしかいない。私の逃げ場所なんてどこにもない。この家だって、赤司さんが存在を知ったらきっと壊してしまうだろう。私が壊さないでと頼んでも、赤司さんは私のことなんて嫌いだから、きっと。
「………っ、」
赤司さんは私のことなんて探しに来ない。でも世間体を気にしていたみたいだったから形だけは探すかもしれないけれど。まさかこんな田舎にいるだなんて夢にも思わないだろう。
このまま離婚して終わりなのかな。それとも無理矢理連れ戻されて今まで通りの生活が続くのかな。これから何年も、何十年も。
どちらかが死ぬ、その日まで。
title/水葬