朝、学校に行くと、教室のなかが普段より増して賑わっていた。
「あ、」
伊澤の机の周りを女子たちが取り囲んで、肝心の伊澤が見えない。
いつもなら真っ先に伊澤がおれのほうにやってきてくれるけど、今日はそれも叶わなそうだ。
二月に入ってから、今日のことをずっと考えていた。
女の子同士で渡し合うのは定番になりつつあるけど、男が男に渡すってどうなんだろう。だいたい、伊澤は毎年すごい量をもらうだろうから、もういらないかもしれない。
いろいろと考えたら、伊澤といるときもなんとなくうわの空になったりした。
どうしようどうしようと考えて、結局答えは昨日の夜中まで出なかった。
「……」
(すごいなあ)
自分の席から伊澤の様子をちらちらと窺う。おれは生まれてこの方、あんなふうに女の子に群がられたことなんて一度もない。幼稚園だか小学校くらいのころには、いくつかもらうことがあったけど、近頃は悲しいほど何もない。
姉が彼氏に手作りしたものの余り(ときどき失敗作)を、無理やり渡されたりだとかその程度。
ここ数ヶ月、伊澤はおれとばかり一緒にいたから忘れていた。もともとすごく人気があるやつだってこと。
いろんなかわいらしい包みを渡されながら、笑顔を振りまく伊澤。
そんなことを思うつもりなんてなかったのに、なぜか取り囲む女子たちを羨ましいと感じた。
*
「びっくりしたよ、まさかこんなになるなんて思わなかった」
昼休みになる。伊澤が素早くおれのもとにやってくると、急かすように教室から連れ出された。屋上にくるまでずっと腕を掴まれていた。
はあ、と深めのため息をついたあとに、伊澤は苦笑いしてみせた。
「さすが王子だ」
目の前の伊澤を何気に見つめていると、べつに僻みでもなく、純粋に口をついて出た。
「はは、なにそれ」
伊澤は一瞬驚いた顔をして、それからいつものように笑った。
向き合って立っていたら、伊澤が突然おれに抱きついてきた。
「……、伊澤?」
「ごめん、ちょっとこのまま…今日宮田と話せてなかったから、さみしくて」
「…っ、」
「そんなのおれもだ」って言いたかったけど、伊澤の体温とか、においに包まれたせいで何も言えなかった。
相変わらずの不意打ちで、おれはいつもびっくりさせられる。いまのこの、おれの心臓の鼓動はきっと全部丸聞こえなんだろう。
「……い、伊澤」
「ん?」
「……」
何を言おうか、何から言い出そうか迷った。伊澤が少しだけ身体を離すと、おれの顔をじっと見つめてくる。
「……今日、持ってきた」
「え?」
「…そ、その、…今日バレンタインだから、一応作って…」
「へ……」
何を渡すべきか散々悩んで、おれが出した結論は、無難に手作りのお菓子だった。もちろん料理なんて普段しない。いつも喧嘩ばかりの姉に教えを請うのは、嫌だったけどこの際仕方なかった。「だれに渡すのよ」と何度も問い質されて大変だった。「いま仲の良いひと」とだけ言ったら、姉が「なにそれ片想い?!」と余計に食いついてきてしまった。
苦労しつつ出来上がったのは、甘さ控えめのクッキー。とりあえず持ってはきたものの、あまりの伊澤の人気ぶりに圧倒されてしまった。
「……でも、もういらないよな…」
おれの下手くそなクッキーなんて、クラスの女子たちのチョコからしたらきっと比べものにならない。
いまごろ恥ずかしくなってきて、伊澤から視線を逸らす。
「……っい、いらないわけないじゃん!」
「!」
さっきから黙ったままだった伊澤が突然大声で言った。見たことないような必死な顔してる。
「ねえ、宮田。帰ろう」
「え?!」
(帰る……?)
急に歩き出した伊澤にまた連れられて、教室に戻る。鞄を持たされて、あっという間に学校をあとにする。
こんな日に、ふたりで、しかも無断で早退なんて。
伊澤の家に着くとすぐ、「心の準備できてるから!」とよくわからないテンションで伊澤が言った。
なんかいつもと違いすぎて、接し方に困る。
「そ、そんな大したものじゃ……」
「いいからいいから」
急かされるままに渋々、鞄から手作りクッキーを取り出す。小さな包みを手渡すと、伊澤は教室で取り囲まれているときと、全然違った表情をした。
「クッキー?」
「どんなのがいいか、わかんなくて…不味かったら捨てて」
「……、宮田!」
「……っ、わ!」
おれからのささやかなプレゼントを握りしめてしばし固まったあと、今日二度目の抱擁。
「うれしい、うれしいよ。ありがとう、宮田。ほかのだれからもらうよりも一番うれしい」
「……」
大げさだなあと思う。
それに「ほかのだれからより」なんて、クラスの女子たちがかわいそうだ。おれなんかと比べられて。
でも、伊澤がこんなに喜んでくれて、よかった。おれの前でしか見せないような顔でうれしそうに笑ってくれて。
月日が経つごとに、いろんな伊澤を知る。今度はなにをして喜んでもらおうかな。
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