記者見習い、全力疾走する

 クロゼットの奥深く。そこにしまってあった、古ぼけた箱の中。幼い頃の私が故郷から持ってきた品々に紛れて、それは入っていた。
 表紙に日本のキャラクターが描かれている、ところどころに皺の寄った痕が残るノートを掴むと、私は恐る恐る最初の一ページを開いた。

「……やっぱりだ」

 自分以外は誰もいないのはわかっていたけど、興奮のあまりそう呟かざるを得なかった。
 黄ばんだページをめくるごとに、心臓がバクバクと音を立てながら脈を打った。血液が全身巡るにつれ、当時の記憶が蘇っていく。
 あまりにも―――あまりにもリアリティがないというのは理解していた。しかし、数時間前に体験した、あの突拍子もない出来事が現実であるならば、これが尤も辻妻の合う解釈だ。むしろそれ以外に、どのように説明をつければいいのだろう。
 ノートを半ばほど開いた時だった。ページとページの間に挟まれた、一枚の写真が現れた。写っているのは、テーブルの後ろに立つ壮年の男と少女……父と、子ども時代の私。この時代の私にしては珍しく、はにかむ様な笑顔を浮かべている。
 二人の前のテーブルには、水槽とケージが置かれてあった。中にいるのは4匹の仔亀と、1匹のハツカネズミ。みんな私の大切な友達だった。「あの日」まで。

 そう―――「あの日」に、みんな死んでしまったと。
 今までずっと、そのように思っていたのに。

 写真を裏返すと、幼い筆跡で書かれた拙ない英文が並んでいた。

『私がアメリカで初めて迎えるお誕生日にて。
お父さん、スプリンター、そして4匹の亀、
レオナルド、ラファエロ、ドナテロ、ミケランジェロと一緒に』



******


 翌朝、私は件のノートを持って出社した。昨晩私の身に起こったことと、その後明らかになった事実をエイプリルさんに伝えるためだ。
 この件を他の人たちに話しても取り合ってくれないであろうことは、昨日エイプリルさん自身が既に体験している。無理もない。あの凶悪な犯罪組織に人知れず立ち向かっているスーパーヒーローがこの街にいるだなんて、まるで漫画の世界だ。そのスーパーヒーローが、身長180cm以上の喋るミュータント亀(そしてティーンエイジャー)だということが判明しただなんて、声高に語れるわけがない。……でもエイプリルさんなら、私と同じく目撃者である彼女なら、もしかしたら耳を傾けてくれるかもしれない。なにより、彼女自身がこの事件に関して熱心に取材を行っている。情報を提供できるならば本望だ。

 オフィスに到着し、エイプリルさんに会いに行こうと彼女の部署を訪ねようとした時だった。「マナ!」と私の名を呼ぶ声が、オフィス中に響いた。
 弾かれたように立ち上がり、周囲を見回すと、声の主はすぐに分かった。オフィスを見回すことができる位置に置かれたデスクから、ミス・トンプソンが私に向かって手招きしていた。

「何してるんだい、早くこっちに来な!」
「はっ はいぃっ!!」

 一瞬で血の気が引いた。ミス・トンプソンは私たちチャンネル6に属する記者たちの元締めで、記者部門に限らず、社内のありとあらゆる場において相当の権力を持っている。そんな彼女に出社早々怒鳴られるだなんて、私はどんなミスをやらかしたのだろうか。
 椅子と書類の山に足を取られながら大急ぎでデスクに走り寄ると、ミス・トンプソンはふくよかな体を揺さぶりながら私に向き直り、ものすごい勢いで私の肩に手を置いた。

「マナ、アンタって子は」
「は、はい」
「―――とんでもないことをやらかしてくれたわね! 一体どうやって、あのエリック・サックスとアポをとったんだい?」
「……え、あ」

 はっとして顔を上げると、ミス・トンプソンは上機嫌と言った風の笑顔で私を見つめている。
 その時私は、自分が昨日のことを、正確に言うと地下鉄事件以前の記憶をすっかり忘れてしまっていたことに気がついた。私はエリック・サックスに取材の許可を得ていたのだ。確か彼はスケジュールを確認次第、連絡を入れてくれると言っていた。明日中にと言っていたが、今朝のうちに送ってくれたのだろう。流石は大企業のCEOと言ったところだろうか。それとも……お父さんのお陰?
 思い出した瞬間に、4匹の亀ははるかかなたに飛んでゆき、私の脳内はサックスへの独占インタビューでいっぱいになった。エイプリルさんには後で会えば良い。ひとまずは目の前の仕事に取り掛かろう。記者魂に一気に火がつけられた。

「全く、大手柄だよ。メールボックスに転送しといたから、早いとこ約束を取り付けて会ってきな。時事コーナーの目玉にするよ」
「は、はい! 了解しました!」
「カメラマンとレポーターもアンタに任せるよ。そろそろ信頼できる奴の目星は付いてるだろ?」
「え、良いんですか?」
「これも仕事の一環だよ」

 考えるまでも無かった。私は頷いてから、トンプソンに向かって口を開いた。

「では、カメラマンはヴァーンさんで……」
「ヴァーンね。いいんじゃない」
「レポーターはエイプリルさんを」
「はあ!? 」

 エイプリルさんの名前を出した瞬間、それまでニコニコしていたミス・トンプソンの顔が酷く歪んだ。

「オニールはやめときな」
「な、何でですかっ?」

 突然不機嫌になってしまった上司へ恐怖心を感じつつも、湧き上がった疑問の方がやや勝っていた。

「サックス氏へのアポ取りはエイプリルさんがきっかけを作ってくれたんですよ? この件は彼女抜きでは……」
「そうはいってもねえ、マナ。やめといたほうがいいよ」
「でも……」
「だってオニールはクビにしたから」
「え、えぇー!?」

 何でそんなことに!!
 昨日の夜から今朝の間の、このたった数時間の間に、私の周りでは信じられないような出来事が起こりすぎではないだろうか。

「クビだなんて! 一体何故ですか!」
「何故っていわれてもねえ、あたりまえじゃないか。あんな……おや、噂をすればだね。ほら」

 ミス・トンプソンは自身の背後にある窓を覗きこむように下界を指差した。見ると、黄色のレザージャケットに身を包んだ女性が、大荷物を抱えて会社の外に立ち尽くしていた。
 慌てて踵を返すと、私はオフィスを飛びだし、一階に向かって全速力で走り始めた。
(了. 2015/12/12)
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