記者見習い、「彼ら」に出会う

 子どもの泣く声がした。わあわあと、尋常じゃない声量でもって泣き叫ぶそれが、自分のものであるということはすぐにわかった。これは昔の私だ。異国の街での生活に恐怖を抱いて日々を過ごしていた、子どもの頃の私だ。

『やめて、やめてよお父さん!!』

 幼い私は、自分の身体の何倍もある大人に―――父に追い縋っていた。泣きながらも、必死に彼の背にしがみついて、涙声の日本語で、何度も叫んでいる。

『お願い、返して!お願いだから……』

 繰り返される悲痛な声に、思わず耳をふさごうとした。しかし、そうするにはもう遅すぎたのだ。あの頃の私の声が耳穴の中に入り込み、脳髄を揺さぶり始めていた。

『返して、みんなを返して……!!』

 声から逃げるために、私は意識を“浮上”させた。


******


「呼吸は正常、脈拍も安定―――」
「チッ、お医者さんごっこかよ」
「頭を打ったかもしれないだろ、念の為だ」
「それにさ、女の子をこんなとこにほったらかしにしたら危ないもんね。助けるのが趣味と自称した連中がうようよ集まってくるよ……」
「皆、もう少し彼女をゆっくりさせてあげてよ」

 起き抜けに鼓膜を震わせたのは、複数の男たちの声だった。
瞼を開くと同時に、首筋に何かの感触を感じた。暖かく、皮膚に軽く食い込む感覚で、それが掌だということがわかった。

「ねえ君、大丈夫?この町の名前、言える?おおーい」

 カチカチと指を鳴らす音をぼんやりと聞いていると、眼球が焦点を合わせてゆき、次第に目の前の「彼ら」の姿が網膜に映し出されていった。

「貴方たちは、一体……」

 間近で見た「彼ら」はやっぱり普通の人ではなかった。……いや、そもそも人ですらないように見えた。
 私の問いかけを聞いた「彼ら」のうちの一人、青いマスクを身に着けた男が、私の首筋に当てていた右手を離し―――そう、あの掌の主は彼だったのだ―――それを、拳にした左手を包むようにして、独特のポーズをとった。その一瞬、彼が背中に2本の棒状のものを負っているのが見えた。

「俺たちは、“ニンジャ”だ」
「……ニンジャ……?」

 横たわったまま、呆けたように鸚鵡返しをしていると、頭上にあった他の男たちが、青いマスクの男に続くように次々と口上を述べていく。彼らもマスクをつけており、口を開いた順に赤、紫、オレンジ色をしていた。

「“ミュータント”だ」
「それと“喋るカメ”」
「あと“ティーンエイジャー”! でもなんなら、アダルトな会話もできちゃうよ?」
「ぇ、ええ、っと……」

 どうしよう。本人たち直々の自己紹介を聞いても訳がわからない。
しかし、彼らが語る言葉以上に当てはまる形容は他に無いようにも思えた。私は目の前で自分を見下ろしている4人の男たちをそれぞれ見つめてから、体をゆっくりと起き上がらせた。気絶をした後だったが、幸いにも足腰はいうことを聞いてくれた。

「貴方たちは、ニンジャで……ミュータントで、カメで、それと……ティーンエイジャーなの?」
「まあ、そう言われるとちょっと馬鹿っぽいけど、そういうことだね」

 紫色のマスクをした男、じゃなくて“ニンジャでミュータントでティーンエイジャーな喋るカメ”が軽く頷いた。マスクの上からメガネをかけていて、その所為か目玉がレンズにやや拡大された状態で映っている。額にはゴーグルのようなものを装備していて、他にもよくわからない機械を色々と背中に……ではなくて甲羅に背負っていたりと、なかなか賑やかな出で立ちをしていた。
 その珍妙な出で立ちを眺めていると、正面から不機嫌そうな低い声が聞こえた。鎖で釣り上げられた私の目の前に立ちはだかり、カメラを渡すように言ってきた男の声だというのはすぐに分かった。

「俺らを化け物だと思ってるんだ。写真を撮って、友達にでも見せびらかす気か?」

 赤いマスクをしたそのカメは、4人の中でも一番大柄のように見えた。あからさまに敵意を向けられてしまったがそれも無理はないだろう。私が彼らを盗撮したのは言い逃れができない事実だから。そう思っていると、彼の隣にいたオレンジ色のマスクをしているカメが、まあまあと呟きながら、赤いカメを宥めるように口を開いた。コヤスガイのネックレスやサングラス、数珠状の腕輪をじゃらじゃらと身に着けたオレンジのカメは、晴れやかな声で言った。

「別にいいじゃん!女友達紹介してもらえるかもだし!そしたら合コンできるじゃん!」
「フン」
「そんな、別に私は見せびらかすとかそんなことは……あっ!?」

 今更だったが、その時私は自分がスマートフォンを持っていないということに気が付いた。気絶する前はしっかりと両手で握りしめていたのに、と慌ててスーツのポケットをまさぐっていると、赤いカメが嫌味っぽく鼻で笑いながら、私に向かってひらひらと片手を振った。よく見るとそこには、私のスマートフォンがある。

「探し物はこれか?」
「な、なんで貴方が……」
「さーねぇ? 何でだろうなあ」

 そう嘯きながらスマートフォンを摘まんでいる赤いカメを見上げていると、一抹の不安が過った。

「お、お願いです、壊さないでください……」
「ああ?何言ってるか全然聞こえねーんだけど」
「で、ですから、それを壊さないで……」

 うう、まるでチンピラと話しているみたいだ。いや、あながち間違ってもないかもしれない。なんてったって赤いカメは体も大きい上にかなりの強面なのだ。装いもどこかワイルドだし、私が凄く苦手な類の喋り方をしてくる。こうやって他人に威圧的な態度を取られると、怖くてどうしていいかわからなくなってしまうのだ。
 満足に意思を表明できないまま俯いていると、青いマスクのカメが溜息をつきながら、赤いカメの手から素早くスマートフォンを抜き取って私の手に戻してくれた。虚を突かれて驚いた顔をしている赤いカメに向かって、青いカメは渋い表情で窘め始めた。

「お前、いい加減にしろ。俺たちは壊さない。直すんだ。それに、データならドナがしっかり消去しただろうが」

 青いカメの説教に、赤いカメはますます不機嫌そうな顔になると低く唸った。苛立ちを隠そうとせずにそのまま青いカメの顔を睨み付けたが、それは青いカメも同様だった。

「なんでテメェがリーダーなんだよ」
「知ってるくせに」
「ヒュウ、やってるぅ〜」

 オレンジのカメが茶化すように呟くところを見ると、どうやら2人のこのやり取りは「彼ら」の間ではさほど珍しいものではないらしかった。しかし初めてこの場面に居合わせている私にそんなことは関係なかった。そもそも、“ニンジャでミュータントでティーンエイジャーで喋るカメ”を4人も(しかも全員がそこそこの巨体なのだ)目の当たりにしている時点で異常事態なのに、そのうちの2人が至近距離で喧嘩を始めてしまっただなんて、なんというかホラー過ぎる。
 どうすることもできずに事態を見守っていると、紫のカメが睨みあう2人の間に割って入っていった。

「レオナルド、そろそろ帰らないと先生にバレるよ」

 レオナルド。それが彼の、あの青いマスクのカメの名前なのか。

(……え?)

 その刹那、私は違和感を覚えた。レオナルド、という名前を聞いた時、胸がぎゅうと締め付けられるような気がした。
 なんだろう、この感じ。心が切なくて、少し痛い。
 突如湧き出てきたその違和感に動揺していると、件のカメが―――レオナルドが、私に目線を合わせて言い含めるように呟いた。至近距離に迫る彼の瞳は澄んだブルーをしていた。闇の中でもはっきりと分かるその色から、私は目が離せなくなった。

「このことは誰にも言わないでくれ。さもなければ、俺たちの方から会いに行くぞ。マナ・クサナギ」
「……」

 静かだが有無を言わさぬその声音は迫力に満ちていた。ブルーの瞳と声に気圧された私は、返事をするどころか頷くことすらもできなかったが、レオナルドはそれについては何も言及せずに私に背を向けると、先ほどまで睨みあっていた赤いカメに向かって促した。

「行くぞ、ラファエロ」
「ラファエロ……?」

 違和感が再び私の心臓を掴み、思わず胸を抑えた。それは次第に大きくなり、私を記憶ごと揺さぶり始めた。知っている。私は、この感じをどこかで知っているんだ。そう悟った瞬間、自制心が綻び始め、記憶が隙間から外へ広がり始める。次から次へと溢れ出てくるそれは、私が閉じ込めていたあの時代のものだ。この街が、ニューヨークが嫌いで、大嫌いでたまらなかったあの頃の記憶だ。

(まさか、こんなことって……)

 だって、「みんな」はあの日に―――
 早まる鼓動が苦しくなって大きく息をついていると、目の前にオレンジ色が広がった。

「ねえ大丈夫?顔色悪いよー」
「呼吸、脈拍共にやや乱れがあるね。まあ、こんなことがあった後じゃあ無理もないかな」

 オレンジのカメが顔を覗き込みながら呟き、紫のカメがゴーグル越しに私を見つめながら解説してきた。青はレオナルド、赤はラファエロ。じゃあ、彼らはもしや。
 人懐こそうな笑顔が印象的なオレンジのカメに向かって、恐る恐る尋ねてみる。

「……貴方、名前は?」
「えっ 名前? ミケランジェロだよ!皆は縮めてマイキーって呼んでるけど」
「……ミケランジェロ……」

 そんなばかな。いよいよ私の鼓動は早く、勢いづいていった。

「じゃあ……貴方はまさか……」
「ドナテロ!マイキー!何をやってるんだ、帰るぞ!」

 ゴーグルを額に戻し、眼鏡を指先で押し上げている紫のカメにも問いかけようとしたが、それより先にレオナルドの声が2人を呼ぶのが早かった。2人は素早く踵を返し、レオナルドらと合流した。4人のカメ達は、今私たちがいるビルの屋上の縁から勢いをつけてジャンプし、驚いた私に声を上げさせる間もなく隣の建物へと着地すると、そのまま走り出していっていった。
 私が慌ててスマートフォンのカメラアプリを起動し、シャッターを切る頃には、彼らは随分と遠くのビルまで行っていて、それを最後にして姿を消してしまっていた。
 まるで夢を見た後の様だった。しかし、カメラロールには不鮮明ではあるが、4人の異形の生き物がビルからビルへ飛び移ろうとしている後姿が納められていて、先ほどまでの出来事が現実であることを証明している。
 レオナルド、ラファエロ―――そしてミケランジェロと、ドナテロ。カメ達の名前と、零れ落ちた記憶、そして違和感が結びつき、私の脳裏で一つの可能性を紡ぎ始めていった。

(……こんなことって)

 私はざわざわと騒ぐ胸を抑えながら、4人のカメが消えていったビル街の闇を茫然と見つめた。

(あり得ない。だけど、)

 「それ」以外には、他に考えられなかった。
 どこで、子どもの泣く声が聞こえたような気がした。それが引き金となったのだろうか、あの頃の記憶がフラッシュバックした。

『お父さんお願い、皆を返して。ラファ、ドナぁ―――』
(了. 2015/03/02)
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