記者見習い、地下鉄で人質になる

「まさかマナのお父さんとサックス氏が知り合いだったとはね」
「ほんと、びっくり!マナってば、全然知らなかったの?」
「はい、父は自分の仕事を私に話したがらない人でしたから……」

 2人の言葉に応じながら、私は隣のシートでずり落ちそうになっている機材を押さえ付けて、シートベルトで固定し直した。

「だから研究職だということは知っていたんですけど、何をしているのか、その筋でどんな地位を築いているのか、全然知らなかったんですよね」
「サックス氏の記憶に残るくらいだ、偉大な人物だったに違いないさ。そんな方が故人だとは、惜しむべきことだね」
「全くよ。―――マナ、その……お父様の事故って」
「おいよせよオニール」

 ヴァーンさんがエイプリルさんを窘める。

「仲の良いお前にだって今まで語ってなかったんだぞ。好奇心から辛い話をほじくり出すもんじゃない」
「別にそんなつもりじゃ……いや、そうね。ごめんなさい、マナ」
「そんな、謝らないでください。単純に話す機会が無かっただけなんですから」

 私は慌てて首を横に振った。
 しかし、ヴァーンさんの読みは的を得ていた。私にとって父の記憶は―――というより幼いころの記憶は、実際あまり思い出したくないものだったから。祖国を離れ、言葉のわからない異国の街で怯えながら過ごしていた日々は、気持ちのよい思い出とは言い難い。

(そんな中でも、一応楽しみはあったけど、でも……)

 私は頭を振った。そこから先を回想できるほど、私はまだ強くなかった。

「それで、マナはどうするんだい。俺たちは直帰する予定なんだが」
「えっと……」
「送るかい?」
「うーん……ここから私の家は遠いんで、申し訳ないです。あっ……」

 ふと道路に目をやると、地下鉄の標識が見えた。この駅から乗っていけば、乗り換えをせずにまっすぐ帰れそうだ。

「この辺りで大丈夫です」
「おいおい、遠慮しなくていいんだぞ?」
「平気です、地下鉄がありますから」
「そう?」

 心配してくれている一方、ヴァーンさんの声が心持ち上擦っていることを、私は聞き逃さなかった。エイプリルさんと2人きりで帰れることが嬉しいのだろう。その点に関しては、別に悪い気はしなかった。私はヴァーンさんの恋路を応援しているから。
 ヴァーンさんは、駅の近くの歩行者用通路に車を横付けしてくれた。ドアを開けると、都会の空気がわっと押し寄せてくる。一瞬怯みそうになりながらも、私は荷物を抱えて立ち上がった。

「ヴァーンさん、ありがとうございました。エイプリルさんも。今日はお陰で、貴重な経験が積めました」
「そんなに改まらなくてもいいんだぜ?」
「そうよマナ、もっと自信を持ってよ。それと、さっきは本当に……」
「わかってますよ、大丈夫です」

 エイプリルさんに向かって微笑みかける。ようやく彼女は安心したようて、あの魅力的な目を細めて、にっこりと笑った。

「それじゃ、また明日」
「ああ、気を付けて」
「じゃあね、マナ!」

 2人の乗った車が発進したのを見届けると、私はほっと溜息をついて地下鉄に向かった。約束通りサックス氏から連絡が来たならば、明日から忙しくなりそうだ。


******


 切符を買い、改札をくぐってホームで電車を待つ。丁度先の車両が発車してしまった後らしいが、こうして待つ時間は嫌いじゃない。切符をスーツのポケットにしまい、荷物を抱え直すと、私は壁にもたれかかった。
 そうだ、ミス・トンプソンにサックス氏の件を連絡しておこう。そう思い立ってスマートフォンを弄ろうと、再びポケットに手を伸ばそうとした時だった。
 突然、衣を引き裂くような女性の叫び声がした。慌てて顔を上げ、周囲を伺う。周りの人々も不安げな表情を浮かべて声のした方角を見つめていた。
 と、その時だった。男性の大声がホーム中に響き渡った。

「銃だ!こいつら銃を持っているぞ!」

 突如放たれた物騒な単語に、その場にいた人間たちはざわめいた。怒号に悲鳴、逃げ出そうとその場を走り出す人たちもいた。
 私はというと、あまりにも突然な出来事に頭がついていかず、更には人々の声に委縮してその場に立ちすくんでしまった。銃?地下鉄で?ニューヨークの地下鉄は、たまに物騒な事件が起こる時があると聞いたことはあるけど、まさか自分が遭遇するだなんて―――と混乱していると、急に肩を叩かれた。私はその場に飛びのいた。

「アンタ、大丈夫かい!?」
「ッ!」

 私の肩を叩いたのは、スカーフで頭を包んだ中年の女性だった。人のよさそうな顔をしている。彼女も私の反応に驚いたようだったが、宥める様に背中を撫でてくれた。

「驚かせてごめんよ。でも、ボーっとしてちゃ駄目だよ」
「ご、ごめんなさい」
「早くここから逃げましょう。さ、早く―――」

 そう女性が言いかけた時だった。黒ずくめの背の高い男が、影のように女性の背後に忍び寄ると、彼女の腕を掴んだのだ。乱暴に掴まれたのだろう、女性の顔が引きつった。

「痛い、痛い!何するんだ……」
『黙れ!大人しくしろ!!』

 黒ずくめの男の顔を見て、私は息を飲んだ。その顔は生身の顔ではなく、仮面だった。この不気味なマスクには見覚えがある。間違いない、フット軍団だ。

(あ……)

 私はその場に凍りついたように身動きが取れなくなってしまった。正面の光景から目が離せない。その所為で、背後に迫るもう一人の男の存在に気が付けなかった。

「お譲ちゃん、危ない!」

 女性が叫んだ時にはもう遅かった。私は声を上げる間もなく、フット軍団の一人に体を締め上げられてしまった。腕が関節と逆方向に捻じ曲げられ、きりきりと痛んだ。
 痛みと恐怖で気が遠のきそうになったが、周囲の喧騒がそれを許さなかった。逃げ遅れた人々は、一人残らずフット軍団たちに捕まっていた。

「我らはフット軍団だ!いいか、お前たちにはこれから人質になってもらう!!」

 ハスキーな女の声が響いたその直後、人質という言葉に反応した人々の悲鳴でホームは包まれた。

(ひ、人質……な、なんで、どうして……!?)

 一体何のために、と疑問が生じたが、そんなことはいくら考えてもわかりっこない。そのまま私は、ホームの床に叩きつけられてしまった。衝撃に顔をしかめていると、隣に先程肩を叩いて気つけをしてくれた中年の女性が、私の隣に乱暴に床に転がされた。

「痛い……」
「だ、大丈夫ですか。どこか怪我とか……」

 視線だけを動かして女性を見た。目立った外傷はないようだが、全身を打ったらしく体を縮みこませて顔を顰めていた。その姿があまりにも痛々しくて、私は女性に手を貸そうと腕を伸ばした。もう少し、というところで、不意にどなり声が弾けた。

『おい貴様!動くな!!』
「あっ……」

 首根っこを掴まれ、そのまま私は引き起こされた。表情の読めない、不気味な仮面が眼前に迫っていた。

『何をしているんだ!!』
「あ、あの……そ、その人、怪我をしたみたいなんです。だから、て、手当てを、」
「煩い奴だな。そんなに死に急ぎたいのか」

 冷たく、吐き捨てられるように発せられたハスキーボイズに、私はハッとした。声のした方に顔を向けると、そこにはピンクのメッシュが印象的なアジア系の女が、こちらを睨んでいた。他のフット軍団と違い仮面を付けていないところを見ると、彼女は幹部か何かなのかもしれない。
 幹部らしき女は、男からひったくるように私の腕を掴んだ。同性とは思えない力強い握力だった。
 私が怯んでいる間に、女は自身の銃を構えて辺りを見回すと、大声で叫んだ。

「出てこい!!そこにいるのは分かっているんだ!!姿を現さないと、人質の命はないぞ!!」

 一体誰に向かって言っているんだ―――そう思ったのは、私だけじゃないはずだ。この場にいるのは人質に取られた地下鉄の利用者達と駅員、そしてフット軍団だけだ。警察は勿論、彼らが警戒するようなものはなにもない。
 女の声に反応する者は何も現れなかった。依然として人質に取られた人々の呻き声やすすり泣きしか聞こえない。そんな状況に女は苛立ったのか、舌打ちをすると再び叫んだ。

「1分以内に出てこい!さもないと、この女を殺す!!」
「えっ……あ、うわっ!!」

 幹部の女は私を羽交い締めにずると、器用にもそのままの状態で銃を抜いた。こめかみに冷たくゴリゴリとする感触がする。銃を向けられてるんだ。はっきりと知覚し、血の気が引いた。
 女は1分と言っていた。1分。1分以内に「何か」が出てこなければ、私は死んでしまうんだ。今、今何秒たったんだろう。10秒? いや、もう少したったのだろうか。
 息が荒くなり、心臓が早鐘の様に鼓動し始める。いやだ、まだ死にたくない。これから記者としての第一歩が始まるというのに。

(折角サックスさんに取材をOKしてもらえたのに……)

 「何か」が何であるかは知らないが、命が助かるならなんでもいい、虫でもネズミでも何でもいいから、とっとと姿を現して私を解放してほしい―――



―――そう思った瞬間、ホームを照らしていた照明が、ひとつ残らず消灯した。
(了. 2015/02/14)
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -