突然、体に感覚が戻ったのが感じられた。とはいっても、自分は今の今まで気を失っていたのだから、正しく言えば感覚を取り戻したために意識も回復したのだ。


「……ッ!!」


 気がつくと、自分は仰向けに寝かされていた。不明瞭だった視界は元に戻っており、アイセンサーは頭上の空をはっきりと知覚できた。
 感覚だけではない、体の機能が元に戻っている。自分は死んだのか?ここは死後の世界なのか? 混乱したブレインであれやこれやと考えていると、視界に一人のトランスフォーマーの姿が映った。


「気が付きましたか?」


 声のトーンで、“彼女”が女性なのだということに気がついた。アイスブルー色をした目と、体に刻まれたオートボットのエンブレム。そして手には工具を持っている。初めてみる顔だが、どうやら敵意は持っていないようだ。
 そこでやっと自分は、意識を手放す直前にジャズに救難信号を送ったことを思い出した。彼は医療班を手配すると言っていた。おそらく彼女がそれなのだろう。そして、自分は死んでいない。納得した自分は、彼女の問いかけに頷いた。


「……ああ」
「応急処置は一通り済ませました。簡単な動きならば、じきにできるようになります」


 そういえば、爆発の後遺症で少しも動けなかった機体がどことなく軽い。しかし僅かに節々が痛むところをみると、本格的な完治には至っていないのだろう。

「何が起こったのか、覚えていますか」

 体を起き上らせながら、私はあの出来事をすべて話した。身内にしかわかり得ないディセプティコンの罠に隊がかかったこと。自分は警告したが聞き入れられなかったということ。それもいたしかたないだろう、自分は元ディセプティコンなのだから。昔はオートボットを憎み、殺していたような奴だったのだから。
 彼女も自分が純然たるオートボットでないことは当然知っているはずだ。元ディセプティコンが加入すると、不測の事態に備えて所属する者たちに情報がすぐに伝わるようになっている。彼女の場合は医療班だからなおさらだ。軍のデータはある程度把握しているであろうし、私たちを救出に来る前に隊の名簿を見たはずだ。自分の情報には、強調された文字でこう書いてある。「要注意人物:元ディセプティコン。所属時の階級は幹部」と。
 しかし、彼女は話の途中で咳き込んだ私の背中をさすったりと、非常に甲斐甲斐しく世話をしてくれている。オートボットに加入して以降、オプティマス以外にはろくな扱いを受けてこなかった自分にとって、久しぶりの他人とのふれあいであった。……まあ、恐らくは、医療班故に患者を無碍に扱うことができないのだろうが。彼女の行為をそう解釈しながら、私は自分の隊のメンバーの安否が気になり、彼女に問いかけた。


「リーダーは?他の隊員はどうしたんだ?」


 それを聞いた瞬間、彼女のアイセンサーが一瞬だけ動揺した。表情は曇り、少しだけ迷うようなそぶりを見せていたが、やがて意を決したように口を開いた。


「残念ながら、全員間に合わなかった。生き残っていたのは貴方だけ」


 今度は自分が動揺する番だった。


「俺だけ……俺だけか……」


 突き付けられた現実に眩暈がした。
 何ということだ。罠を見抜いておきながら、皆をに信用されず、救うことができなかっただなんて―――しかも、よりによって唯一の生き残りが自分だなんて―――

 情けなさを通り越して笑いが込み上げてくる。オプティマスに報いるどころか、自分は一番やってはならぬことをしてしまったのだ。
 何が罪の意識だ。何が贖罪だ……自分は一体、何のために“ここ”へ来たのだ。これならばいっそ―――いっそ―――……


「……俺が死ねばよかったんだ」


 その方が現状が良くなる気がしたし、それを望む者の方が確実に多いはずだ。
周囲の反対を押し切って自分の命を救ってくれたオプティマスには申し訳ないが、死んだチームメイトが言っていたように自分を助けたことで彼の評価に悪影響が生じているのならば……自分の存在は、一利の得にもならないはずだ。

 他者の命を奪い、多くの人々を裏切り、それらの罪が積もり積もって償うことすら許されないのならば、いっそのこと、死を持って報いるべきなのだ―――そう思った時だった。


「……お願いです。もうそんなことは言わないでください……」


 彼女が、私の手を握り締めながらそう呟いたのだ。


「貴方の気持ちはよくわかりますが―――私は、貴方を助けることができて嬉しいんです。だから、悲しいことを言わないでください」

 嬉しいとはどういう意味だ。……ああ、そうか。兵の数が減るのを懸念しているのだな。戦争中では元ディセプティコンといえども貴重な戦力だ。その観点から見れば、全滅するよりも一人生き残っている方がマシだということなのだろう。

 そういうと、彼女は語気を強めながら「違う」と否定してきた。それまで静かに語りかけていた彼女の態度の変わりぶりに驚き、私は黙った。彼女は言葉を続けた。

「私は……時々、この仕事から逃げ出したくなります。今まで数えきれないほどに患者を看取ってきました。どんなに努力しても、助からない命は凄く多くて、助けられない自分が情けなくて、悔しくて―――だから、救うことができた時の喜びは一入です」
「……だが、お前が治したとしても、兵士は再び戦場に送り込まれるだろう。この戦争が続く限り。虚しいとは、思わないのか」

 私の問いかけに、彼女は痛いところを突かれたかのように黙った。自分でもわかっているのだろう。彼女の仕事は怪我を負った兵士を回復させることだ。しかし、完治した兵士は再び戦地へと送り込まれ、再び傷つくか、命を落としてしまうだろう。彼女の仕事は、延々と続く負のループでもあるのだ。
 しかし彼女は、意を決したように再び口を開いた。

「……思わない、と言ったら嘘になります。いうなれば、私は偽善者です。命を助けることができたとしても、この人はまた戦場に行ってしまうかもしれない。思うたびにとても虚しいです。―――それでも、救える命があるということは、大きな喜びであることに変わりないのです」

 自分も彼女にとっては、「大きな喜び」になり得るのだろうか。だが自分は、元ディセプティコンだ。彼女もそれを分かっているはずだ。それを問おうとしたが、言い終わる前に彼女が答えた。

「貴方の過去など関係ないです。ただ私は、貴方を治すことができて、とても嬉しいんです。私にとってとても意味のあることなのです」

 彼女はそう語ったものの、やっと掴みかけたと思った希望を失い、心が折れた自分にはもはや、生きる意味が見出せなかった。自分の存在はオートボットにとっては災厄以外の何物でもない。それが決定的となった今、何を糧に生きていけばいいというのか。

 そう打ちひしがれる自分に対し、彼女はこう言った。


「もしも―――もしも、生きる意味が見出せないのならば、私の為に生きてくれませんか」


 先程の驚きとは比べ物にならないほどの衝撃が私のスパークを昂らせた。
 何故、このような言葉を口にすることができるのだ。慈悲か?同情か?ブレインサーキットが唸り声を上げたが、的確な答えが見つからなかった。自分に憐憫の情をかけたところで、得られるものなど何もない。
 もしくは、医療班の一種のカウンセリングか?ならば納得がいく。戦争中に兵士の精神状態がおかしくなるのは常のことだ。そういう者たちのために相応の対応方法を彼女も身につけているはずだ。
 そう思いながら彼女の目を、自身の目頭を押さえる掌越しに見つめた。今の彼女の顔を見たかった。どのようにマニュアル的な表情を浮かべているのかこの目で確かめて、暴きたてたいという乱暴な感情が私の中に過った。

 彼女は私の視線に気がついた瞬間、ついと目を反らした。
 その表情は、恐れや憐憫や、マニュアルといった言葉で片づけられるような簡単なものではなかった。彼女自身も自分が言った言葉に動揺しているようだ。私の手を握り締める彼女の手が、微かに震えているのがわかった。


「―――ごめんなさい。出過ぎた真似をしました。私―――」


 そう解釈した瞬間、強張っていたスパークが嘘のように柔らかな鼓動を刻み始めた。
 落ち着きを取り戻したところで、私は命の恩人の名前をまだ知らないことに気がついた。

「……名前」
「えっ?」

 彼女が弾かれたように私の顔を見た。アイスブルーの目が見開かれ、私を映し出していた。


「お前の名前は何という」
「……っと、あの、アクリャです。軍医のラチェットの弟子で、看護員です」
「アクリャ……」


 彼女の名を反芻するように呟いた。一語一語を紡ぐ毎に、不思議と心が安らいだ。
 アクリャは少しだけ照れくさそうに、今度は私に向かって問いかけた。


「じゃあ、貴方の名前は?」
「……俺は……」


 私が自分の名前を伝えようとした、その時だった。
 一発の銃弾が私の背後にあった壁に穴を空けた。ハッと前に向き直ると、崩壊しそうな建物の上に数人が立っており―――その全員が、見覚えのある顔であった。
 オートボットの敵であり、自分がかつて所属していた“欺瞞の民”たち。


「ディセプティコン……!」


 アクリャの声にも狼狽が現れていた。
 何故だ。ここは現場とはいえ、主要の戦地ではない。事前に聞かされていた情報でも、ディセプティコンが潜伏しているというデータはなかった。
 それに奴らもオートボット同様、戦力のやりくりに必死なはずだ。過去のトラップ、しかも自分たちが仕掛けたものしか残っていないこの地に送り込むよりも、前線に回した方が建設的といえる。ならば何故私たちの存在に―――


 ここまで考えて、はたと気がついた。彼らが私たちに気がついた理由に。

 他でもない、この私だ。私が送った救難信号を、ディセプティコンの通信班もキャッチしたのだろう。暗号化しているとはいえ、以前所属していた男、しかも裏切り者の幹部の信号だ、解析に長けた者であればすぐにわかるはずだ。

 それならば納得がゆく事態だ。こいつらは私に報復をするためにここへやってきたのだ。


「よお。まさかこんなところで会えるとはな」


 隊のリーダーらしいディセプティコン―――昔、よく自分と諍いを起こしては何かと衝突していた男が、愉快そうに私たちを見下ろした。手にはマシンガンを構えている。銃の先は私の胸に向かって真っすぐに伸びていた。


「再会できてうれしいぞ、裏切り者」


 奴の構えた銃が火を噴いた瞬間―――





目の前を、銀色が覆った。


「危ない!!」


 アクリャの緊迫した声のすぐ後に、弾が金属にめり込む嫌な音が聴覚センサーに響いた。

 気がついた時には、アクリャは私の体に覆いかぶさっていた。背中の至る部分から循環液が噴き出している。鮮やかすぎる緑色によって正気に引き戻され、慌てて彼女の肩を掴んだ。


「アクリャ!? …おい、アクリャ!!」
「うっ……うぇっ、ゴホ、ゴホッ……!!」


 アクリャは口元を押さえて咳き込み始めた。指と指の間から泡立った緑色の液体が溢れだし、更にアイセンサーが点滅し始めた。

「駄目だ、気を失ってはいかん!!」
「ガハッ……は―――」

 声も空しく、アクリャの目から光が消え、私の胸元に顔を押し付ける形で力なく倒れ込んできた。温かい循環液が私の機体の上に広がり溜まりを作っている。

「起きろ、頼む、起きてくれ!!」
「ッチ、女を盾にしやがったか……弾が無駄になっちまった」

 男の声に、スパークが怒りの感情で渦巻き始めた。

「貴様、よくも……」
「何勝手に怒ってるんだよ、盾にして助かったのは自分だろう」
「違う、彼女は―――アクリャは私を庇って……」
「アクリャ?……ああ兄貴、その名前、諜報の奴らから聞いたことがありますぜ。なんでもあのラチェットの弟子で、奴と一緒に色々やってるって話だ。リペアとか、研究とか」

 男の部下の言葉に、自身が軽率な言動をしてしまったことに気がついた。
 敵対する組織の研究員は、格好の捕虜対象なのだ。捕えた後は拷問にかけるなり、マシーンにかけるなりにして相手の機密情報を絞り出す。その後は言うまでもない。余興の為に寄ってたかって殺されて、ゴミのように捨てられる。そういう者たちを、私は何人も見てきた。
 アクリャが奴の部下の言うとおり、研究に携わっているのならば―――彼女の肩を掴む腕の力が、自然と強まった。

「ほう、そうか。軍医でしかも研究員ねえ。ふうん」

 男の赤い目が、アクリャを舐めるように見つめた。
 スパークがどくどくと脈打つ。音を上げ始める回路を宥めながら、アクリャの体を奴らの目にこれ以上触れさせぬように抱きしめた。彼女の胸元から、スパークのぬくもりが感じられた。弱弱しいが、まだ息があるのだ。連れて帰って適切な処置をすれば生き返るのだ。


 彼女を、守らねば。


そう決意を固めた瞬間、男が控えていた部下たちに指示を出した。



「死にかけの鉄屑だが、“女”であることには変わりはないだろう。デッドロックを殺した後は好きに“遊べ”。なに、死んでからでもデータはたっぷり吸い出せるからな」



「―――ッ!!」



 渦巻いていた荒々しい怒りの感情が、スパークから噴き上がった。





「貴様らああああああ!!!」



 突如激昂したことで、ディセプティコン達はビクリと怯んだ。その隙に、アクリャをそっと自身の背後に寝かせ、病み上がりの体の痛みも忘れてその場に仁王立ちになった。
 背中に負っていた刀を抜きとる。幸いにも、それは先の爆発を受けながら傷一つ付いていなかった。このように構えるのはいつ振りだろうか。なにしろ、オートボットに所属してからというもの、私は一度も敵と合いまみえることなく待機と雑務の日々を送っていたからだ。―――しかし、暇を見つけては武器を手入れし、鍛錬を積むことだけは怠っていなかった。


「彼女には指一本触れさせない!!僅かでも近寄ってみろ、その時は俺が叩き切る!!」


 男たちはしばしの間怯んでいたが、“裏切り者”に威嚇をされたことに腹が立ったのだろう。建物から飛び降りてくると、各々の武器を構えて私に向かってきた。


「殺せ!こんな死に損ないに怖気づくな!!」


 男の声に勇気づけられた部下たちが一斉に銃を放つ。
 それよりも、自分の動きの方が早かった。次々と切り払われてゆく味方の姿に、彼らは“誰”を相手にしているのか今更ながら気がついたようであった。


ディセプティコンの元幹部、メガトロンの右腕、オートボットを殺すことにかけては誰の引けをも取らなかった者―――味方内にですら“殺人鬼”と謗られた男であることを。


 気がついた時、私は最後の一人になったあの男を組み伏せて刀をその胸に向けていた。既に奴は傷ついており、武器もなくなっている。更には救難信号は出せぬよう、事前に装置を体のパーツごと壊してある。
 苦しそうな息を洩らしながら、男は私を見つめた。奴のアイセンサーに、私の姿が映っていた。奴らの禍々しい、赤い循環液を全身に浴びた自身の体と―――


「……そうだ、その顔だ。懐かしいなあ……お前がオートボットの野郎どもをいたぶっている時の表情だ……」
「……何か言い残すことはないか」
「ケッ、無視かよ……俺はな、軍の規律を乱したお前のことは本当に気に食わなかったが……お前の戦闘力と、そのイッちまった顔だけは嫌いじゃあなかったぜ」
「……」
「結局、お前は根っからの人殺しなんだ……オプティマスに口説かれて今更オートボットに入ったところで、変えようがない事実なんだ!それは奴らもお見通しだぞ!哀れな男だ、デッドロック!!あはは、あはははははは……!!」


 狂ったようにけたたましい笑い声を上げる男の胸に向かって刀を突き刺すと、断末魔の後に真っ赤な液体が音を立てて噴き出した。循環液は私の顔にまで飛び散り、思わず手でガードをしたものの、完全に防ぎきることはできなかった。



 ―――目の前が、赤い。何もかもが赤い。



 奴の体液がアイセンサーに付着したのだ。擦ろうと目を抑えようとしたが、それよりもまず、気にかけねばならぬことを思い出した。


「アクリャ……」


 男の胸から刀を引きぬいて鞘に納めると、壁の近くに寝かせてあった銀色の機体に近づく。相変わらず意識はなかったが、スパークは熱を持っていた。大丈夫だ、生きている。
 赤く染まった視界を直すことも忘れ、彼女の手を握り締めたその時、エンジンの音が聞こえた。その方角を向くと、数台の自動車がこちらに向かって走っていた。掲げているエンブレムは、オートボットだった。

 その中でもひときわ大きな、頑丈そうな車がビーグルモードを解除した。ボディカラーは黒だ。“彼”を見た瞬間、私は彼らが前線で戦うことを任務とする戦闘班であることに気がついた。


「……アイアンハイド……」
「ジャズから連絡が入ってな。敵に信号を傍受された痕跡があるから、行ってほしいと。こんなのは稀だが、今回は事情が事情だからな……生き残ったのはお前だけか?」
「……」
「おい、そこにいるのはまさか―――アクリャ!? おい、どうしたんだ!!」


 アイアンハイドは私を乱暴に押しのけると、アクリャの容体を素早く観察し、慌てた様子で背後に控えていた部下たちに指示を出した。


「ジャズとラチェットに連絡を入れろ!調査隊は1人を除いて全滅、救出のために向かった看護員アクリャは重傷を負った!急げ!!」


 部下たちが課せられた命令を果たしている間、アイアンハイドはアクリャを抱き上げ、呆然としている私を見つめた。


「……何があったか、後でゆっくりと聞かせてもらおうか」


 その目は鋭く、氷のように冷たい光を宿していた。
(了. 2014/10/09)
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