「……デル、……アデル、アデル!」
 広く、調度品も持ち主のセンスの良さが表れているある一室。
 そこに先ほどから何度も呼びかける声。
 声を掛けられていると思われる人物は、天蓋ベッドに横になったまま、フカフカの布団に丸まり先ほどから微動だにしない。
 時刻はすでにお昼を回ろうとしている。にもかかわらず、この部屋のカーテンはぴったりと閉じられ、ベッド脇にある小さなライトの明かりだけがこの部屋唯一の光源だ。
「アーデールー!!」
 そして続く声。
 この室内に寝ている本人以外の人影は、ない。
 室内には、”アデル“と呼ばれている人物のほかには一匹の黒猫がいた。この黒猫、一般の猫とは少し外見が違っていた。一見どこにでもよくいる黒猫と変わらないが、ある個所が普通とは異なっている。まずは瞳、黒猫のそれはオッド・アイ、右目はシルバー・左目はゴールドになっていた。そして決定的に違うのは尻尾。黒猫の尾は二本に綺麗に分かれていた。
「…………ん、…シャーロット……もう少しだけ……」
 布団の中から僅かに聞こえてきたのは男性の声。寝惚けているせいだろうか、若干かすれた声色は妙に色っぽい。
「…………。」
 シャーロットと呼ばれた黒猫は、そのオッド・アイをわずかに伏せると、無言でベッドを下り、フカフカの絨毯を歩いて行った。
 向かった先は、窓。
 床まである大きなカーテンの端を器用に銜えると、そのまま一気に走りだした。
「…………っ?!」
 真っ暗だった空間に一気に差し込む太陽の光。
 視界がいきなり明るくなり、余計、人物は布団に丸まった。
「アデル、…――マスター、起きてください」
 シャーロットは再び枕元に近寄り、小さな前足で主の頭をトントンと叩く。
 だが、やはり起きてくれる気配は、ない。
「マスター」
 何度か呼びかけると、布団の中から手が出てきた。その手は、優しくシャーロットの頭をなでる。
「シャーロット、僕、昨日も遅かったんだよ。知ってるだろ?だから、もう少――」
「知ってます。知ってるから、こうして起こしに来たんです」
 頭をなでる手が止まった。
 ゆっくりと、布団に隠されていた顔が現れる。
「……知ってて、起こしにきた?どうして??」
 寝起きのためか、視点の合っていない目で、問う。
 シャーロットは綺麗に座りなおり、背筋を伸ばして自信満々に答える。
「どうしてって、決まってるじゃないですか。今日がハロウィンだからですよ!」



Happy Halloween Day!! 



「……どうしてハロウィンだと、僕が早く起こされるのかな?」
 遅い朝食、いや昼食としてコーヒーとスコーンを口に入れながら、シャーロットに無理やり起こされたアデルは問いかけた。
 アデル・ヴァン・クロスフォード。黒猫のシャーロットとたった二人(一人と一匹)で暮らしている、大きな古城・クロスフォード城の主である。城の建っている村の人々は城の雰囲気からアデルが吸血鬼なのではないかと噂をしているが、あながちそれは間違いではなかったりする。事実、アデルの祖先は吸血鬼−ヴァンパイアである。だが、アデルはヴァンパイアではなく、ダムピールと呼ばれる吸血鬼と人間の混血種であり、吸血行為は一切行わなくても生きていけるのだった。
 そしてダムピールは吸血鬼を退治できる種でもあるため、アデルは時折夜中に城を抜け出し、吸血鬼を見つけては退治したりしているのだった。その事実について村の教会の神父だけが知っており、アデルのよき理解者となっている。
 村人も吸血鬼と噂していながら、アデルが神父と親しいことを知っており、また、アデルの完璧な英国紳士であるたち振る舞いや、その外見にすっかり心を許し、村を歩けば誰もが話しかけ、女性たちは羨望の眼差しで見つめているのであった。
「そんなわかりきったこと、聞かないでくださいな。今日はハロウィンなんですから、夜になったら村の子どもたちがここを訪ねて来るんですよ?そのための準備をしなければならないじゃないですか」
「準備って?」
「子どもたちに配るお菓子の準備です」
「誰がそれを用意するの?」
「マスターに決まってるじゃないですか」
 私猫だから作れませんもん、と飄々と言ってのけたシャーロットは、アデルの使い魔である。使い魔だから、喋る。
「……なんで僕が…?」
 寝起きで一切結っていないアデルの銀髪が、小さく揺れる。
 シャーロットは一瞬だけ動きを止めると、うっとりとした表情で右前脚を顔に当て、二股の尻尾をゆらゆらと揺らす。
「だって……マスターの作るお菓子は絶品なんですものっっ」
 気のせいだろうか、シャーロットの語尾にハートマークが見えた。


†  †  †


 城中にお菓子の甘い匂いが漂っている。
 出所はキッチンで、誰がその匂いの元を作り出しているかと言えば、この城の城主アデルだ。彼はシャーロットの押しに負け、現在お菓子作りに励んでいるのだった。アデルの眼前には、ボウルで混ぜられた生地。それをこれから棒で伸ばし型を取ってオーブンでこんがり焼くのだ。出来上がればそれはかぼちゃお化けのクッキーになる予定だ。また、大きな冷蔵庫ではこれまたかぼちゃお化けの形をしたキャンディが静かに固まるのを待っている。キャンディくらいは近くの町で購入してきてもいいのでは?とシャーロットに持ちかけてみたが、その提案は即刻却下されてしまった。
 そのシャーロットはというと――
「――マスター!人手が足りません、もう少し欲しいです」
 自分が獣であることを承知しているようで、キッチンの扉を顔が見えるくらいのところで止めたシャーロットが現れた。
「足りないの?まだ?ロッタ、何してるの?」
「私は飾り付けをしているんです。私の手の届かない所を手伝ってもらわないと、終わりません」
 確かに猫の姿のシャーロットでは、届く範囲に限界があるだろう。
 アデルは小さく息を吐き、作業していた手を止めると、その手を綺麗に水ですすぎ、おもむろに小さなナイフを取り出すと躊躇なく自分の左薬指を切りつけた。薬指の先からは鮮血が滲みだしじわじわと指先で小さな雫を作り出している。雫が指から落ちる瞬間、アデルはその雫を自分の影の上にぽとりと落とした。影の上に落ちた雫は徐々に影の中に沈み込み完全に血痕が消えると同時に影が動きだした。影はみるみる大きくなり、やがて人の形となる。
 城には召使は一人としていない。にもかかわらず、城の中はいつでも綺麗なままだ。それはこの通称《ブラッディ・ドール》と呼ばれるアデルの血液から作り出される使鬼が、アデルやシャーロットの代わりに毎日掃除洗濯を行ってくれているからなのであった。ただ唯一、食事に関してだけはシャーロットの我が儘もあり、アデルが毎日作っている。
「――これくらいいれば足りる?」
 ブラッディ・ドールを更に4体作り出したアデルは、自らの薬指を血に染まったまま口元へ運ぶ。アデルの赤い舌が血液を舐めとると、薬指に付いていた血液とその傷口は跡形もなく綺麗に消えていた。
「はい、充分です。……すみません、マスター。毎日疲れているのに私に付き合っていただいてしまって…」
 シャーロットの形のいい耳が垂れ下がり、申し訳なさそうな声が耳に届く。
「――いいよ。ロッタがイベント好きなのは今に始まったことじゃないし、それに、こういうイベント事は年に何回もあることじゃないからね。いつもロッタには世話になってるし、たまには君の我が儘に付き合ってあげるよ。だからシャーロット、気にしなくていい」
 お菓子作りの手を止めずに、アデルは優しい口調でシャーロットに語りかける。そう話す横顔は、村で人々に話している時よりも、何倍も優しくて柔らかい。
 思い出すのは初めて会ったあの日のこと。シャーロットはこの柔らかい笑顔に心を許し、一生ついていくことを、アデルの使い魔に下ることを誓ったのだ。
「マスター…」
「ねえロッタ。今日はハロウィンなんだよね?子どもたちがここにたくさん来る。僕は、どんな格好をして彼らを出迎えてあげればいいのかな?」
「!」
 それは既に答えが出ている質問だった。
 アデルの微笑が、いたずらを思い付いた子どものような笑みに変わった。


†  †  †


「――似合うかな?」
「はい!とってもお似合いです。やっぱりヴァンパイア様の血を引いておられるだけあります。倉庫の奥に仕舞ってあった先代の着ていたお衣裳ですが、マスターにもぴったりのサイズですし、マスターの銀髪にも血のように赤い瞳にもとても合っています!」
「……褒めすぎじゃないかな?」
「そんなことありません。それに――自慢のマスターを自慢してなにが悪いんですか?」
「………君には負けるよ」
「お褒めいただき光栄です」
 アデルは先代の纏っていた衣装、つまり本物のヴァンパイアの衣装を身に纏い、シャーロットはブラッシングしてもらい更に色艶良くなった真っ黒な毛並みに、真っ赤なリボンを付け、小さなお客様が来るのを待っていた。
 遠くから聞こえる、賑やかな話し声。
 その声が徐々に近づいている。
 アデルは腕に抱えた籠に入っている、さまざまな種類のお菓子に目を向ける。どのお菓子も上々の出来栄えだ。
 今年も、喜んでくれるだろうか?
 子どもたちの喜ぶ顔を想像するだけで、自然に笑みがこぼれた。
 それはシャーロットも同じのようで、彼女の人前用に変化されたグレーの瞳と一つの尻尾は先ほどから楽しげに揺れている。


 人の気配が、扉の前で止まった。
 ノックをする音が室内に響く。
 
 ――さあ、楽しい夜の始まりだ。


Trick or Treat!
(お菓子をくれなきゃ悪戯しちゃうぞ!) 
Happy Halloween!
(ハッピーハロウィン!) 



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