Special | ナノ

 Spring Triangle

 シェイナはミネルバに仕える補佐官だ。
 ここは北の星団、通称「北のポラリス」という名で知られる、空や星などの調査や管理を一手に引き受ける研究調査機関。雲や風の動きを読み気候を把握し、星を読み解いて先を予見することもある。
 この機関の主でありシェイナの上司であるミネルバは、普段滅多なことでは自室を出ることはない。それは彼女が怠慢なのでもなく、自室に膨大な量の仕事を抱え込んでいるわけでもなく、ただただミネルバ自身が極度の「人見知り」であるがためだった。
 仕事は迅速丁寧、かつ的確にこなし、シェイナをはじめ彼女に仕える多くの従者のミネルバに対する信頼はとても厚かった。容姿も麗しく、初めて謁見する来客は皆息を飲むほど。毎日会っているシェイナでさえ、いつも見惚れてしまう。

(あんなに綺麗なお姿なのに、人に見られるのが恥ずかしいだなんて、一体何が嫌なのか…)

 自らが仕える主の姿を思い浮かべ、少しずれた眼鏡を直しながら、シェイナは小さく息を吐いた。
 ミネルバが滅多に部屋を出ないため、補佐官であるシェイナは日々奔走している。
 従者から運ばれてくる情報や報告を一つ一つまとめ、それをミネルバに伝える。さらに、ミネルバからの伝達があればそれを相手へ言付け、来客があればその対応もする。膨大な仕事量でありながら、ミネルバに仕える補佐官はシェイナただ一人だった。人手不足なのは、ひとえにミネルバが、多くの人と顔を合わせるなんて考えられない、と人材の補充をしたがらないことに他ならない。
 それでもシェイナは自らの仕事に誇りを持ち、多くの仕事を表情一つ変えずにこなす優秀な部下だった。元来の仕事好きというのもあったが、それより何より、シェイナ自身がミネルバを敬愛していることが一番の原動力であったりする。


☆  ☆  ☆


「シェイナ」
 呼ばれた方向を振り返ると、通路の窓から1羽の白いフクロウが舞い降りるところだった。夜空に煌めくかつての英雄や動物をモチーフにした星座が散りばめられた潤沢な床に、フクロウが脚を降ろす瞬間、大きな羽根を拡げた身体がみるみるうちにシェイナと同じ、二つの腕と二つの足を持つ姿に変化した。
 首から下だけが。
 首から上、即ち頭部にあたるソレはなぜか変化することなく、フクロウのままである。
「レオニス。どうした?」
 レオニスと呼ばれたフクロウは胸の前に右手を当て、小さくお辞儀した。
 ミネルバには数多くのフクロウが従者として仕えていた。彼等は夜になるとミネルバの住まう屋敷を飛び立ち、巡回してはその都度仕入れた情報をシェイナに報告することを仕事としていた。普段はフクロウの姿をしているが、こうして屋敷に戻ってきた時などでは人間の姿を取っている。
 ちなみに頭部も変化することは可能なのだが、屋敷内にいる時はほとんど頭部のみフクロウの形をとるようにしている。理由は言わずもがな、ミネルバの人見知りが大きい。このレオニスも本来であれば精悍な顔つきの好青年であるのだが、こうして普段はフクロウの姿を余儀なくされている。
 以前、束の間の休息の時に一度だけ「頭と体が別で違和感はないのか」シェイナは聞いたことがある。するとレオニスは笑って答えた。「どちらも自分の身体のことですから。違和感はないですよ。それにミネルバ様に仕えていることが自分にとっての誇りですから。そんなことは少しも気になりません」
 ミネルバに仕えていることが自らの誇り。そんな共通の認識を持っている二人は、補佐官と従者という立場でありながら、友情のそれに似た絆ができていた。
「お疲れ様です、シェイナ。実は今日は報告があって」
「報告?」
 首を傾げるのと同時に、シェイナの豊かなブロンドがゆらりと流れた。




☆  ☆  ☆


――コツ  コツ 
      ――コツ  コツ

 ミッドナイトブルーの廊下に響く靴音。
 床は夜の空を切り取ったような漆黒に、小さな宝石が散りばめられている。
 いや、コレは宝石ではない。
 コレは、夜空そのものと言ってもいい。
 “夜空の間”
 そう主のミネルバは言っていた。
 外に出ることを極端に嫌がるミネルバだったが、静かな夜の空に瞬く星空を愛し、愛するが故に自身の屋敷の廊下に全く同じものを再現したのだった。
 だからと言って頻繁に眺めに部屋を出てくるわけでもなく、相当に大事な要件でしかこの廊下を使わない主以外に、この廊下を主に使用しているのは、毎日のようにミネルバに会わなければならないシェイナだった。
 ミネルバの力によって創り出されたソレは、創造主の心情をよく表すものらしく、機嫌の良い時には眩くきらめき、落ち込んでいる時などには薄雲が掛かっていた。どん底までに落ち込んでいた時などは光すら皆無で完全なる漆黒だったこともあった。それはもう、いつのことだったかも覚えていない程、遠い昔の話だが。
 お互いにまだ、精神的にも幼かった頃のこと。
 あの頃のシェイナは、ミネルバに振り回されてばかりだった。いつも機嫌を、顔色を伺っていたシェイナにとってこの廊下ができたことは、主の機嫌がわかりやすくなったと同時に、落ち込んでいることもわかりやすくなり、余計部屋へ入ることが躊躇される日が増えただけだった。
 だがいつの頃か、その煌きが穏やかになっていることに気付いた。それまでは暗く、怯えたように輝いていた小さな星が、静かに穏やかに輝いていることにシェイナは気付いたのだった。
 それと同時にシェイナは理解した。この人は、ただ怯えていたのだ、緊張していただけなのだと。いつも淡々と己の仕事をこなしていただけの補佐官「シェイナ」という人物像が掴めずにいた彼女は、自分と同じなのだと。お互いにお互いの顔色を伺っていただけなのだ。
 そのことに気付いたシェイナは、ある時いつもの報告とは異なる話題をミネルバに持ち出してみた。その内容はただの世間話。「今夜の星は綺麗ですよ」程度のものだった気がする。内心シェイナも不安になりながらミネルバの反応を伺っていたが、その時のミネルバの表情は今でも覚えている。
 あの時、彼女は微笑った。
 今にも泣き出しそうな、それでいて心の底から安堵したような表情で。
 あの夜からだ。
 この廊下が、とても美しく輝きだしたのは。


☆  ☆  ☆


「――新しい星が生まれた?」
 コーヒーを口に含みながらレオニスの報告を聞いていたシェイナは、カチャリとカップを皿に置くと指を組んで眼前に座るレオニスを見据えた。
レオニスに呼び止められたシェイナは、一旦行き先を執務室へ変更することにした。
 シェイナの忙しい身の上を表しているかのように、彼女に与えられた執務室の壁一面には膨大な量の資料が所狭しと敷き詰められ、机の上にはシェイナが座ると恐らく座った彼女の姿が見えなくなると思われるほどの量の書類が積み上げられている。
 それでも、来客を招くためにと応接セットであるテーブルとソファだけは、埃一つない状態を保たれていた。二人の間にあるテーブルの上には、先ほど彼女が淹れたコーヒーの湯気が揺れている。
「はい。他の仲間もそんなことを話していました。それに民の中からも徐々にその声は増えてきています。自分もここ数日注意して見てきましたが。ほぼ、間違いないかと」
「そうか。レオニスや他の者達も同意なら、私が疑う余地はないだろ。それで、その場所は?」
 シェイナに問われたレオニスは、己の右手を差し出すと握られていた拳を静かに開いた。
 その隙間から、ひらりと一枚の羽が落ちる。羽を拾い上げると、それを部屋の天井へ向けて思いきり放り投げた。
 すると、羽はみるみる原型を無くし、室内である筈の天井に見事な夜空を作り出した。
 シェイナの執務室は、あっという間に星の瞬く夜空に変化した。
 その漆黒に浮かび上がるのは小さな煌き。
 それらを指さしながらレオニスは先を続ける。
「ちょうど、デネボラとアークトゥルスの近くです。この明るくて、青白く輝いて見える――」
 レオニスの指差す先を見ると、なるほどそこには、確かに青く光り輝く小さな星があった。それは先日までは認めたことのない、新しく生まれた輝き。若々しくも力強いその輝きを見たシェイナの頬が僅かに緩む。
「本当だ。今まで気付かなかったよ。私ももう少し、こういうことに気付ければいいんだがな」
「シェイナは今のままで十分です。これ以上優秀になったら、我々の仕事がなくなってしまいます」
 シェイナの呟きに、レオニスは生真面目に応える。
 そんな彼に、シェイナは小さく微笑んだ。
「そんなことはないよ。レオニス達も十分優秀だ。しかし、新しい星となると……、これはサザンクロスにも知らせてやらんとな」
「南の星団にですか?あそこは確か、最近できたばかりと聞きましたが」
「そうだな。この星のように、まだ立ち上がって間もない機関だ。だが、それでも“機関”なんだ。同じ空を見る同志として、礼儀は必要だぞ?」
「そう、ですね」
 シェイナに窘められ、レオニスは言葉に詰まる。
 南の星団、通称サザンクロス。最近出来た南の研究調査機関らしいが、レオニスに言わせてみれば、その実情はポラリスそのものと言っていい。なんでも「北にあって、南にないのはおかしい」という理由だけの勢いで立ち上がった機関らしく、出来て間もないとはいえ、組織としてはまだまだ不十分なもののようだ。トップはミモザという女性で、ぐいぐい外に出てくる人物のようだ。この点についてが、北と南の大きな違いだろうか。
 レオニスからしてみれば、まだまだ未熟な機関にこちらが敬意を払うものなのか疑問なところもあるが、シェイナに言わせてみれば「どちらも同じ機関であることにかわりはない」らしく、ミモザと定期的に連絡も取り合っているようだった。
 ミモザの天真爛漫で破天荒な姿を思い出し、レオニスは小さくため息を吐く。
 その間も、シェイナは熱心に新しく生まれたという星を見つめていた。
「――なあレオニス」
「?何ですか?」
 呼ばれたレオニスは、シェイナの方へ顔を向け、彼女へ歩み寄った。
 レオニスの方へ向き直ることなく、彼女は続ける。
「これ、繋げると面白い形になると思わないか?」
「これ……?デネボラとアークトゥルスとこの星を、ですか?」
「ほら、こうして、この三つを繋げると……」
 シェイナは三つの星を指さし、一つ一つ指先で繋いでいく。その表情はどこか楽しそうだ。
 レオニスもまた、シェイナの指の動きをじっと見つめ、出来上がった形を思い浮かべた。
「――三角形、ですね」
「そう!三角形になるんだ。夜の空に浮かび上がる大きな三角形、大三角形だ」
 シェイナはまるで子供のように笑った。レオニスもまた、つられるように微笑む。普段は沈着冷静で優秀な補佐官も、時として子供のように己の感情を出すことがある。それを他の従者に話したところで信じてはもらえないだろう。それほどにシェイナが感情を表出することは珍しいのだから。それはきっと、彼等の主であるミネルバも同じこと。シェイナが心を許せる相手として己を認めているのかは定かではないが、この貴重な瞬間に居合わせていることが、レオニスのちょっとした自慢だった。
「さて、この新入りに名前をつけてやらんとな」
「シェイナが、ですか?」
「まさか、最終決定権はミネルバ様にあるよ。ただ、私にも考える権利くらいはあると思わないか?」
「まあ……考えるくらいは…」
「だろう?」
 そう言うと、シェイナは腕を組み右手を口元に持っていくと、実に楽しそうに考え始めた。
 こうして、時々新たに見つかる星やモノの現象に名前を付けることもミネルバの仕事である。仕事であるのだが、こうして時折部下が思い付いたものを、そのまま採用することも多々あった。それを知っているシェイナは、ミネルバに報告する前に自身で考えることがある。今もこうして楽しそうにしてはいるが、内心はかなり真剣なのだろうとレオニスは確信していた。
「ん」
「――なにか、閃きました?」
 レオニスの確認に近い問いかけに、シェイナは満足そうに振り返る。
 腰に手を当て、振り返ったその表情は実に得意げだ。
「こういうのは理屈を抜きにして、その時に感じた音を当てた方がいいんだ」
 仰々しく髪を払い、眼鏡を指で上げた。
 レオニスは黙って目の前の彼女を見つめる。
「……な、なんてな。私にはそういうことはよくわからない」
「でも、何か思い付いたのは確かなんでしょう?」
「まあな。……笑うなよ?」
「笑うわけがないでしょう」
「……」
 並んだ二人の身長は、僅かにレオニスが高い。必然的に見上げる形になるシェイナの視線を一切避けることなく、真正面からレオニスは受けとめた。
「――スピカ」
「スピカ、ですか」
「ああ。見た時からそんな音が浮かんでいたんだ。凛々しく輝く一等星スピカ」
「スピカ……。悪くありませんね」
 再度言葉にすると、レオニスは静かに微笑んだ。
「そうか?」
「ええ」
「そうか」
 シェイナは満足そうに、それでいて少し照れくさそうに頬を緩ませた。


☆  ☆  ☆


――コツ  コツ 
      ――コツ  コツ

 先程まで歩いていた廊下を再び歩く。
 床をよく見てみるとさっきまでは気付かなかったが、レオニスの報告通り、新しい輝きが加わっている。いつも見ていたはずなのに、どうして今まで気付かなかったのか。シェイナは苦笑いした。
 さて、彼女に報告をしたら、次はサザンクロスへの報告文書の作成だ。南の星団は出来て間もないことは確かだが、次々と新しい星を見つけては名を与えている。さぞ仕事熱心なのだろうとシェイナは思っているが、レオニスはそれを競争心なのだと言う。何でも真似をしているとレオニスは言うが、それはあちらが北を参考にしてくれているからなのではないだろうか。レオニスの言うほど、南の動きに警戒は必要ないとシェイナは考えている。
 それに、いくら南が頑張ったこところで、ポラリスの主ミネルバには誰も敵う筈がないのだ。最初から勝負にすらなっていない。
 己の補佐官にそう思われているとは微塵も知らないそのミネルバは、件の自分の案に何と返事をしてくれるのだろうか。
 自分に命名権が無いことは重々承知だ。
 いつも静かにシェイナの報告を聞きいれ、全てを聞いた上で最良の判断をする主。その主が聞いた上で違うものをというのならば、それが一番いいのだろうし、自分の意見を受け入れてくれたのならば、それは誇るべきことだと思う。自分は自分の仕事をするだけだ。全ての決定権は彼の人にある。
 あの星の名前がどうなるのか、それはわからないが、確かなことが一つだけある。
 きっと主は、この新しい星の誕生を子供のように喜ぶに違いない。
 子供のように驚き、
 子供のように無邪気に微笑み、
 そして、女神のように新しい命の誕生を祝うのだ。
 その様子を思い浮かべ、シェイナもまた美しく微笑みながら主の部屋の戸をノックし、手をかけるとゆっくりと開いていった。



〜Fin〜


【水屑町】の逸那さんとコラボレイトさせていただきました。
氷雨が先に「3月」「西洋」「ファンタジー」のお題を出して、それに対して逸那さんが一枚絵を描く。その後、その絵を見て、氷雨がお話を書くというものでした☆
「3月」は二人で出したお題でしたが、結果そのお題に苦しめられるという(笑)
でもでも、とても楽しかったですー♪



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