酷く遠慮がちに伸ばした手が掴んだのはふわり靡いた死覇装の袖。振り返ったギンは唖然とした深紅をその先に向けた。
視界に映ったのは小さく、何処か戸惑いに揺れる金色…。
「……あ…あの、すいません…」
「――…どないしたん?」
視線が合えば慌てたように掴んだ手をパッと離すも逆に間合いを詰め寄られ、とうとう逃げ場を失い壁に追いやられたイヅルはドンッと背中を打ち僅かに眉を潜めた。
「………藍染隊長がお捜しで…」
目の前を支配する影を見ないように視線を下げながら言葉を紡ごうとしたイヅルは、しかしスーッと躯のラインを撫でる指先に言葉を濁した。
「……ッ、何を…!」
「……別になぁんもあらんよ、ただいつ見ても綺麗な躯しとるなァ思て」
躯を這う指先にビクッと肩を揺らしながら慌てて顔を上げれば目の前も目の前、あと数センチで唇が触れ合うのではという程の距離に浮かんだにんまり笑顔。
逃げようにも左右に伸ばされた腕はそれを許さずイヅルは困惑した面持ちでおずおずと顔を伏せた。
「………ッ」
「そーやって怯えとる姿も可愛ぇけど…ボク笑っとるイヅルも好きなんやけどなァ…」
スッと耳元へと寄せられた唇から囁かれる低く掠れた声。背筋を走るゾクリとした感覚に硬く瞼を閉じたイヅルは耐えきれず目の前のギンの胸板を両手で強く押し返す。
「…っ…副隊長と僕は…男同士ですッ」
「…またそないな事…いつも言うてるやろ?そんなん関係あらへんよ…」
華奢に見えても相手は五番隊副隊長。それなりの実力があるとはいえ未だ平隊員の一人でしかないイヅルの腕力が其れに適う筈は無く、寧ろ抵抗する姿はギンの欲を逆撫でし行為をエスカレートさせていく。
「…なァ、イヅルはボクん事嫌い…?」
ぽつり、言葉を漏らしつつ耳元に寄せていた顔を首もとへと埋めれば首筋に唇を添え吸い上げる。血色の悪い白色の肌に赤く浮かび上がった其れはまるで己の所有物とでも言わんばかりにその姿を主張した。
嫌いか、と訊かれれば何とも言えず否定しきる事が出来ない自身の内の感情に戸惑い逃げ出したくなるも、力でも言葉でも適わない相手にただ黙りこくり耐えるイヅル…。
ゆっくりと、躯を撫でていた指先がイヅルの帯紐に掛けられた瞬間……――。
「――…ギン、何をしているんだい?」
トン、と肩に乗せられたら手と聞き慣れた声にギンは不機嫌そうに顔を上げ振り返る。そこに佇むは酷く呆れた表情を浮かべた自身の主…。
「何やの藍染はん、ボクの邪魔…――」
「…ッ…失礼します」
ほんの一瞬、普段の笑顔を崩す事なくどす黒いオーラを放ちながら自らの主を威嚇するギンの隙をついたイヅルはスルリとその腕の中から抜け出しその場から逃げるように立ち去っていった。
「――…藍染はんのせいで答え訊く前に逃げられてしまいましたやないの」
その背を見つめわざとらしく唇を尖らせたギンは不服げに肩に乗る手を払いのけ、盛大な溜め息を一つ漏らす。
「…昼間の、どんなに少ないとはいえ人目もある廊下の真ん中で平隊員に手を出しているなんて事が総隊長の耳にでも届けば面倒な事になるだろう?」
膨れるギンを余所に淡々と藍染は言葉を紡ぐ。
「隊長への昇進話も湧いているんだ…もう少し考えた行為を…――」
「…そないな事言うて…藍染はんかてあの子の同期で入って来よった女の子に手ぇ出してますやないの……嗚呼、夜中に部屋に招くんは問題あらへんっちゅう事ですの?」
「―――……ギン…」
一瞬流れたピリピリとした重い空気。
普段温厚な表情の藍染はしかしながら眼鏡越しに浮かぶ瞳を僅かに細め、自身の副官たるギンを見やった。
「――……なァ藍染はん…ボクあの子ん事欲しいねん…躯も心も脳内も感情も…髪の毛一本たりとも残さず、全部全部独り占めしてしまいたいんよ……ボクおかしいんやろか、なァ藍染はん、ボクの"愛"間違うてはりますか…?」
ぼんやりと、藍染の怒りなど軽く受け流しイヅルの姿のなど遠に消えた廊下の先を見つめながらぽつりぽつりと唇から言葉を零すギンの姿はどこか狂気的で。
「――………午後から隊首会が開かれる、それまでに机に置き去りにしている書類を片付けておいてくれ…」
悲しげに紡がれる言葉とは対照的に浮かび上がる笑みに諦めたように視線を外した藍染は羽織を翻しその場を後にした。
ギンの横を過ぎる瞬間――微かに動いた唇。それを耳にしたギンはゆるゆるとその場に座り込み壁に背を凭れ、ただ一人…狂ったように小さな笑いを漏らした。
『…君の愛情は普通じゃあないよ…』
…なァ、"普通"て何なん…?
それは、誰かが決め付けたもんやろ?
勝手に押し付けんといてや…。
ボクはボク…そないな型にハマれる訳ないやないの…。
世間はそれを"普通やない"言うて区別する…ボクはボクでしかあらへんのに…。
なァ、君はボクを好いてくれる?
――否、
どうか…
ボクを愛してください…――。
(イカレたボクが君を壊してしまうその前に…)
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