すっかり陽も落ち、暗闇に浮かぶ欠けた月。
春だというにも関わらず未だ肌寒さの残る外気に身を委ねるように縁側に腰を下ろした男は一人ぼんやりと暗闇を見つめる。
男はたいそう頭の良い秀才であり、何かを思い悩むなど有り得ず、悩む事事態を愚かと考える人間であったが…男は珍しく物思いに耽った表情を浮かべていた。

先程湯を上がったばかりの髪は湿り気を帯び、そよりと吹く風はその熱を奪う。
普段滅多に露わとしない素顔をさらけ出し、ひんやりと心地良い空気に冷静さを保ちながらも解の出ぬ悩みに眉間には緩く皺が寄る。


「――……マユリ様、そのような場所に居られては体を冷やしてしまいます」


ふと背後から掛けられた鶯のような澄んだ声。振り返らずとも、霊圧を探らずともわかる声の主に緩かった皺は深さを増した。

「――…お前は一々余計な世話を焼くんじゃないヨ!私は能の無いガキじゃァないんだ」

「……申し訳ありません」

姿を見た訳ではない、しかしきっと背後の女は頭を下げているのだろう。
機械的な言葉。
決められた行動。
感情をつくらずただ己にのみ従う其れは普段ならば心地良いものであったが今のマユリにはただ煩わしいだけのものでしかなかった。

「――……ネム」

苛立ちを抑え、ぽつりと名を呼ぶ。
他に何か伝えた訳でも、手招いた訳でもない其れに、しかし意味を理解したネムは未だ縁側に座り込み背を向ける主に静かに歩み寄り傍に跪く。

「…マユリ様?…どうか為さいまし………ッ…」

確かに呼ばれたと解釈した。
だが近付けば何も言わぬ相手に、はてと小首を傾げたネムは様子を伺うように顔を覗かせる……と瞬間、伸ばされた白く華奢な一本の腕。
その腕はネムの顔の横を過ぎるとがしりと後頭部を掴み美しい黒髪を乱しつつ無理矢理に顔を引き寄せ、言葉を紡ぎかけていた薄紅色の唇は形は良くも血色の悪い其れに塞がれた。

うっすら開く唇に舌をねじ込み、恋仲の男女がする其れさながらに口内を犯し、わざとらしく水音を響かせる。
体を引き寄せ抱き締め、密着する相手から伝わる体温に湯冷めしていた己を知り温もりを求めるように荒く甘い口付けを続けたマユリは、しかしそうして暫くすれば流石に呼吸に難を感じゆっくりと重なっていた唇を解放する。


………腕を解き、視界に入ったのはやはり感情の籠もらぬいつも通りの女の表情。

(…嗚呼、何を期待して……私は馬鹿だネ…)
解放された唇にくすり、浮かび上がった自嘲の籠もった笑み。

すらりと伸びた手足、均等の取れた美しい曲線を描く体、産まれ持つ才、類い希た能力。
誰もが羨み憧れる"完璧"な人形。
…しかし男は科学者だった。
"完璧"などというものは科学者にとっては不必要なもの、希望も夢も無い…ただの"絶望"であった。

だからこそ、男は"完璧"の中に欠陥をつくった。

時折見せる苛々させる動作。
緩い訳ではないのに何かしら欠けた頭の中身。
百回のうち一回は薬品の調合を間違える間抜けさ。

そして…………誰かを、何かを愛するという感情の欠落…。
(…下らぬ感情だと、期待を生み出さなかったのは…私自身だというのに)



「…あの…マユリさ…」
「――…もういいヨ、お前はさっさと寝てしまえ。明け方には阿近が新種の虚を持ち帰る予定だからネ…明日は忙しくなるヨ」


言葉を遮るように紡がれた内容は今し方の行為など無かったかのように伝えられる。
まるで忘れてしまえと言わんばかりに。

ふらり先に立ち上がったマユリは袖を靡かせ一人残したネムに背を向けながら足早に室内へと姿を消した…。







…弱い月明かりの下。

残されたネムは長い睫毛を僅かに伏せ影を落とし、最早冷えきった唇にしなやかな指先を這わせた。
触れればやはりひんやりとする唇は…しかしながら酷く熱を持つような錯覚を生む。

思考を支配するのは…ほんの一瞬。
立ち去る際に視界に映った主の何処か悲しげな表情で。


ゆるり立ち上がったネムは己の中に渦巻く理解しようにも理解出来ない感情に小さく、本当に小さく一つの溜め息を漏らし主の消え去った室内へと続くように足を進めた…。







(――…もしも……。


もしも、マユリ様以上の神がこの世界にいらっしゃるとするならば……


どうかこの愚かな傀儡に


燃えるようなこの唇の熱の意味を、お教え下さい………)




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mixiでマイミク様に捧げた文*
NLだけどちょっとマユネム有りだと感じたからサイトにもupしちゃいました(笑)

興味無いのに誤って読んじゃった方、申し訳ありませんっ。




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