〜ランプの魔神と御曹司〜 ある晴れた昼下がり、浜辺をのんびり散歩していたダイゴは小さなランプを拾いました。 それは古びて汚れていて、普通なら目にも止まらないような代物でしたが、ダイゴはそのランプに嵌っている大きな石に気を惹かれたのでした。彼は大の石愛好家であり、収集家なのです。 ダイゴは絹のハンカチでごしごしと石を拭きました。 するどうでしょう、ランプの口から煙と共に美形の男が現れたではありませんか! 呆気にとられるダイゴの前で、男はふわふわと浮きながら口を開きました。 「初めまして人の子よ、私はランプの魔神」 美しい所作で一礼するのに、つられてダイゴも同じく礼をします。 「はあ。…僕はダイゴ」 「ダイゴ君、しきたりに従って君の三つの願いを叶えましょう」 「願い…?」 「そう。富も名声も、容姿も力も!叶えられないことはないですよ。ああ、ただ死者を蘇らせろと言うのはナシです。それはタブーだ」 「はあ」 「いまいち状況が掴めていないという顔だね。無理もない」 実際のところこれは魔神の勘違いで、この時のダイゴは「そろそろメタング(愛犬の名前です)にエサをやる時間だなあ」と思っていました。 ダイゴは頭二つほど上で緩く上下する顔を見上げ、ようやく口を開きました。 「いや、特にないからいいよ」 「OKOKお安いご用――って何ですって!?」 あまりにさらっと言ってのけた台詞に、魔神もうっかりノリ突っ込みです。 「ないって…願いが、ない?」 「うん。僕はお金持ちだし、社会的地位も高いし、見ての通り美形だし、その割に喧嘩も強いし。特に望むものはないなぁ」 「………」 魔神は黙り込んでしまいました。翡翠色の髪を覆うターバンがずり、と傾きます。 対してダイゴは素っ気ない顔。 「じゃ、メタングにご飯をあげる時間だから」 「ちょっ…と!待ちなさい!」 魔神は慌てて、ダイゴの襟首を掴みました。 猫の子のように引かれた青年は当然ながら、むっとして魔神を睨みます。 「乱暴はよせよ」 「らん…これは失礼を」 尖った声を出すのに、魔神は素直に謝ります。謝りながら(可愛い顔をしているがこの子は意外と凄みがあるな)と思いました。 足を止めて襟を整えるダイゴに、魔神は言います。 「願いがないってことはないでしょう。ちゃんと考えてるのかい?欲しいものはないのかい?」 「ほしいもの、ねえ…」 「ダイゴ、君、好きなことは?」 「石」 最後の質問には即答です。そりゃあもう迷う様子もなくイシ、と言い切ります。 「石?」 「ボク、珍しい石を集めるのが趣味なんだ。宝石だけじゃなく、はるか昔に英雄が力を封じられたと伝えられている石とか、神々が形を変えているという石とか、1000年に一度の七夕の日にだけ真の姿を現すらしい石とか――」 「あー、はい、わかりましたわかりました」 突如始まったダイゴの語りに、魔神はなんとか割って入りました。このまま喋らせれば冗談ではなく日が暮れそうな勢いだったのです。 「石ね。珍しい石をコレクションするのが好き、と」 「そう」 「私に願えば、百個だって一瞬で出してあげますよ」 いいでしょう、3つの願いのうち、1つで百個です。 そう言って胸を張る魔神を、しかしダイゴはこの上なく冷たい眼で一瞥しただけでした。 「……君さァ、話聞いてたかい?」 「えっ?」 「僕は珍しい石を"集める"のが好きなの。集めるっていうのは、噂を聞きつけて、調べて、交渉して、時には冒険して、手に入れるまでの色々な過程すべてのことを言うの。それをなんだい?君に願って、ホイと目の前に山積みにされるのかい?とんでもない!そんな勿体ないこと誰がさせるものか」 「………」 魔神は口をつぐみ、一歩――宙に浮いているので、一歩分、ということです――後ずさりました。 滔々と発される言葉は怒り3割呆れ7割といったところでしょうか。魔神にとっては下手に怒られるよりも、このどうしようもない愚か者に諭すような口調が効きました。 だって魔神は、他者にこうまで愚弄されたことなど一度もなかったのですから。 ダイゴが言いたいことを言って満足したのか、ふんと鼻を鳴らしたのに、魔神は口を引き結びました。 「…それは失礼。生憎わたしにはそんな奇矯な趣味もないし、またそんな趣味を持つ知り合いもいないものでして」 皮肉を言ったつもりですが、ダイゴはまったく堪えた様子がありません。 「さ、君の見識の甘さは解ったから、君の住む世界に帰りなよ。僕も家に帰る」 メタングが腹を空かせて待ってるし。 そんなことをつれなく言い放って、今度こそ歩き出します。 魔神はその後ろ姿をしばし眼で追い、 「――待ちなさい!」 とうとう意を決したように、追いかけました。 「なんだよもう、しつこいな」 「しつこいとかじゃなく、わたしには君の願いを叶える義務がある!」 「ないでしょ」 「ランプを擦った君には願いを言う義務があるんですよ!」 「ないって、そんなの」 片方は歩き、片方は漂いながらの問答です。ダイゴは始終、嫌そうに眉をしかめています。 魔神はその横にぴったり付きながら、ああもう、と言いました。 「何て人間だ――願いがないなんて、そんなはずはない!聖人君子にだって欲はある、君は強がって、善人ぶってでもいるつもりか!?」 と、ダイゴが急に、魔神に顔を向けました。 「あのね」 ぎくりとして停止した魔神に合わせ、ダイゴも足を止めます。 「僕はずっと同じ事を考えている」 真っ白な浜辺から見る地平線のような、深い色をしたダイゴの瞳が魔神を睨み付けます。 「――自分の名前すら名乗らない者に、心底の願いなんて誰が教えるものか」 そういうこと。 三度、つんと顔を背けて歩き出したダイゴの姿を、魔神は呆然と見送りました。 強気な人間の細い背中は、じきに浜辺の先に消えていきました、 * * * その夜。 ダイゴが湯浴みを終えて自室に戻り、あちこちに好きなように飾ってある石のコレクションをうっとりと見て回っていると、その中にひとつ入れた覚えのないものがあることに気が付きました。 古ぼけた、しかし美しい石の嵌ったランプ。 「……何してるの」 ダイゴが不機嫌な声でそう言うと、一拍の間の後、ランプからしゅわわわと煙が吹き出し、 「……」 困ったように眉を下げた美青年の形をとりました。 「何で僕の家にいるわけ?」 ダイゴがそう聞くと、魔神は困り顔はそのまま静かに答えました。 「あのランプを擦ってわたしを呼び出した時点で、わたしの主は君になった。主の居場所は離れていても解るし、主のためなら魔法を使うこともわけない」 「なにが主のため、だ」 ダイゴはむくれました。ストーカーっていうんだよそれ!と魔神に言い、どさりとカウチに腰掛けます。 「そもそもさぁ。どうしてそこまでして願いを叶えたいんだい?主が要らないって言っているんだ、それでいいだろう。仕事減ってラッキーじゃない?」 少しは話をする姿勢になった様子のダイゴに魔神もようやく眉を解き、しかし刺激しないようにかそろそろと口を開きました。 「そういう問題ではないんです。我々魔神にとって、人間の願いを叶えるなど取るに足らぬこと。呼び出されておいて願いの一つも叶えずに帰れば、もし叶えたとしてもそれが人間が妥協したような、つまらない願いであれば、落ち溢れの能なしと嘲笑の的です――私ほど有能な魔神ならそりゃもう余計に」 「つまらないって、そこのゴミ捨ててとか、部屋掃除してとか、そういう願いは?」 「駄目ですね。そもそもそれは使用人かパシリの仕事であって、魔神がすることではない」 それは人間側からすれば随分と傲慢で利己的な話でしたが、ダイゴは同情したような顔をしました。 「…大変なんだね魔神も」 「いえいえ…哀れむのなら」 「願いはないよ」 ピシャリ。音が聞こえてきそうなにべもない返事に、魔神はがっくりと肩を下げました。 「さっき言ったような小さなことなら、人助け――いや魔神助けと思って言ってあげようかとも思ったが、心底の願いを叶えさせろなんて」 「君は!」 魔神は悲鳴にも似た声をあげました。 「夢がないのか!とても叶いそうもない、けれど憧れることがないのかい?」 ダイゴは冷たく顎を上げて言いました。 「あるさ。だけど必要なことは自分でやる。出来ないのなら望まない。少なくとも赤の他人に委ねたりはしないよ。昼にも言ったとおり、初対面の人間に肩書きだけ名乗って満足するような無礼者相手ならなおさらだ」 しばしの沈黙が、広い部屋を包みました。 険悪な雰囲気ではありません。ただ、冴えた緊張感がありました。 ――先に口を開いたのは、魔神でした。 「…君は本当に変わった人間だ」 「何だって?」 「今までわたしを呼び出した人間は、わたしが魔神と聞けばそれだけで願い考えることに夢中で、名など一切構わなかった。いやそれどころか、名乗る人間だって少数だったのですよ」 「…ふうん」 「変わった、人間だ…」 しみじみとした物言いに、ダイゴは言葉を返しませんでした。気分を害したのではありません。(なにしろ”変わり者”とは、”お坊ちゃま”の次に言われ慣れた言葉なのです) 黙してダイゴを、魔神はついと見返しました。 そして、 「わたしの名はミクリ。水の魔神、ミクリ」 そう言い、口の端を持ち上げて笑いました。 「君の真実の願いを聞き届けるまで、私は帰らない。君も大概プライドが高そうだが、わたしはそれ以上なのだよ」 その笑みにあるのは服従ではなく挑戦。 魔人の赤い唇を見たまま、ダイゴは初めて、瞳に面白がるような色を浮かべました。 「次ぼくの石コレクションに入ったらキャラバンにたたき売るからね」 こうして御曹司と魔人の、不思議な生活が始まったのでした。 おしまい。 ------------ じょじょに友情やら愛情やらが芽生えてくるかもしれない。 にしてもこの話、先のNゲンとかぶりすぎた!ワンパターンェ… |