「あなたは何者?」


その妙に気の急いた声が己にかけられたものだと気付くまでたっぷり20秒ほどを要したゲンは、ルカリオに促されてようやく振り返った。



◇◆◇迷子の王様◇◆◇
◇◆◇迷子の王様◇◆◇




ここはリュウラセンの塔、というらしい。
イッシュ地方の西に壮麗に聳えるこの古い塔は、伝説のドラゴンに由来するものだと聞いた。
最上階に到着したゲンは、大きく崩れた壁から広がる絶景にほうと息を吐く。時刻は16時をいくらか過ぎた頃、初夏の夕暮れにはまだまだ時間がある。
同族の気配に騒ぐボーマンダをボールから放し、彼がその巨躯を空にくねらせるのをルカリオと共に見ていたところだった。


「…私に言っているのかい?」
ゲンは振り返った先に音もなく佇んでいた青年に、静かに問うた。
萌葱色の明るい髪色をしたその人物は、帽子のつばで影になった顔を小さく傾ける。肯定。
「突然何者、と言われても。ただの旅人だ。君にとってそれ以上の回答は不要だと思うが」
ルカリオが眼を細めて警戒の色を浮かべるのを軽く手で制し、押し黙る相手の様子を観察する。
年の頃は16、7だろうか。シンプルな服装に、ところどころで存在感を主張するアクセサリーの類。塔の頂上は吹き抜ける風も強く、背の後ろで長い髪がふわふわと揺れている。
そしてその――ゲンやルカリオが読み取ろうとするまでもなく、全身から溢れて伝わってくる、彼の波導。

(哀しい、依り辺のない。困惑した、途方に暮れた…そして、何て純粋な感情)

例えるなら年端もいかぬ幼児が放り出されて泣きそうに顔を歪めている、まさにそんな瞬間の、訴えかけるような爆発的な波導。
ゲンは、ふいと青年から顔を背け、再び塔に穿たれた大穴から空を眺めた。
(ゲン様)
ルカリオが波導で呼びかけてくる。
(あの人間は一体…)
(さあ、知らないが、関わり合う必要もない。ルカリオも気にするな)
(はい)
1分、2分。
ボーマンダはイッシュ地方の色鮮やかなドラゴンポケモンと意気投合したようだ。ボーマンダが穴から首を突っ込み、ゲンに向け『こいつと一緒に外の湖まで行ってくる、いいよな?』と聞くので、頷いて言葉を返す。
「いいよ。でも野生のミニリュウはそっとしておくように」
了解、と赤い羽を振って飛び立つのを見送るゲンの背中に被せるようにして。驚愕を含んだ若い声が届いた。
「…やっぱり!」
ゲンは動じない。ルカリオは耳をぴくりと傾ける。
「今、貴方はポケモンと会話をした。ポケモンの意図を察するのでなく、確かに会話を。…ボク以外にそれを出来る人間がいるなんて!…ボクはポケモンの言葉が解る。未来が視える。でもそれはボクが人間じゃないから…いや、不完全な人間だから。いびつな存在だから。…化け物だから?」
「おい、君」
突然青年は、ゲンが驚くような早口で語り始めた。舌を噛みそうなスピードの言葉はしかし淀みなく、明瞭に不可解な内容を紡ぎ出す。
ゲンはここにいたってようやく、再び青年に向き直った。彼は言葉尻に疑問符を重ね、ついには頭を抱えてしまった。それは酷い頭痛を患ったようにも、錯乱したようにも見え、どちらにせよ声をかけずにはいられなかったのだ。
「君、大丈夫かい?もしかしてどこか悪いのか?」
近寄って膝を折った青年を支えるようにすると、彼はむずがるように身体を震わせゲンの腕から逃れる。
「ポケモンの言葉がわかるボクがばけものなら、ポケモンと会話をしたあなたはなにものなの!?」
「……?」
「いや――ボクの正体なんぞは大した問題ではないんだ、大事なのは、ボクの正義が間違っていたこと。ボクの目的が間違っていたこと、ボクの夢は砕け散り意味のないがらくたへと変貌し彼が代わりに正義となり真実となり夢を追い――」
「……」
モノトーンの帽子がぱたりと落ちた。青年の身体から力が抜け、床に膝を着く。倒れる前に今度こそゲンが受け止めると、青年は気を失ったようだった。

「…さて、どうしたものか」
ゲンは呟き、傍らのルカリオと顔を見合わせた。


石壁の向こうで複数のドラゴンの咆吼が聞こえた――気がした。



 * * * 



それから小一時間が経過した。
ゲンはちらと青年を見る。怪我や病気ではなさそうだが、疲労が濃いのであろう事は、ともすれば生命を感じさせない蒼白な寝顔からも察してとれる。
成人もしていない子どもを一人置いていくのは当然ながら気が咎めたので、こうして床に横たえゲンは静かに本など読んでいるのだが。
(そろそろ起きてはくれないかな)
いまいち頭に入らない文字の羅列に視線を戻し、思う。
と。
ルカリオが鋭く吠えた。
振り向くと、ルカリオのまん丸く開かれた赤い瞳。視線をずらせば、特徴的な形の尾、を、ぎゅうと掴む白い手。ルカリオが振りほどくかどうするか迷う間もなく、ずずと引きずられ、青年がもう片一方の手を伸ばす。
『ゲン様…』
青年に抱き込まれるような形になってしまったルカリオを見、『待ちなさい』と伝える。まるで縋るようにルカリオにしがみつく青年の肩をそっと揺すると、う、と声が漏れた。苦しげに歪んだ眉はいかにも悪夢を見ているようで痛ましい。
ゲンはさりげなく触れた肩から己の波導を流し込み、静かに言った。
「…君、起きてくれ。そんなに無体に扱っては、私のルカリオがかわいそうだ」
――しばしの間をおいてぱちりと目を開いた青年は、己が抱き締めているポケモンと間近に覗き込むゲンを認めて、真っ赤になって後ずさった。



「私はゲン。旅人だ」
ごめんなさい申し訳ないと謝罪する青年を宥め、勧めた缶ジュースをおっかなびっくり飲んで美味しいと微笑んだ青年を見守ったゲンは、そろそろいいだろうと漸く名乗った。
「旅人」
「そう。イッシュ地方には来てからまだ1週間だ。面白いところだね、ここは」
おもしろい、という表現に首を傾げる青年に、ゲンは軽く笑って言う。
「完璧に整備された交通網、いたるところに設置されている自動販売機、ポケモンセンターと一緒になっているフレンドリーショップ。限りなく効率化されていて、本当に興味深いよ」
青年は解ったのかどうか、妙な角度に頷きながら「そう」と言った。
「…」
言葉が止み、沈黙が下りる。青年は沈黙を使って、タイミングを逸した自己紹介をした。
「ボクはN。」
ゲンは心中、妙な子供だ、と思う。言動も妙なら名前も妙。もしかして偽名を名乗っているのだろうか?…何のために?
鎌首をもたげた疑念をごまかすように、話題を変える。
「君はポケモンが好きかい?」
脈絡のない問いだったが、Nと名乗る青年はすぐにはっきりと頷いた。
「だと思ったよ。じゃあこのポケモンのことは?」
ゲンとNの間に立つ青い獣を示してそう言うと、Nは頬を弛める。ルカリオを見る目が、この上なく甘い。
「ルカリオ、波導ポケモン。リオルから進化するんだよね」
「その通り。ルカリオの種族は生まれながらに万物の波導を読み、操ることが出来る。――そして、私も。」
ゲンが付け加えた言葉に、Nは目を見開いた。
「貴方も?」
「私もだ。おそらく生まれつき。ルカリオと修行を重ねることで操るすべも身に付けた。だから例えば――私は君の心を読めるのだよ」
「………」
淡々と語られる言葉に、Nは目を丸くするばかりだ。この表情だと、先ほどよりはるかに幼い印象になるな、とゲンは思った。
「ボクの心が」
「そう。君は先ほど、ポケモンの言葉が分かると言っていたね」
うん、と再び首を縦に振る。
「私は彼らの言葉はわからない。だが、彼らの波導はとても解りやすく意志をもって届く。だから君には、私とボーマンダが言葉を交わしているように思えたのだろう。私はボーマンダの波導を汲み、言葉で返したのだ」
「そんな、こと…」
あるんだ。
呟く青年にゲンは笑いかけた。
「ある、あるんだよ。そういったことは。私の知り合いには、心で思うだけで物体を浮かせる少女がいた――そういえば彼女は今こちらに帰っているのだっけ。また、他所の地方にはポケモンと語り癒すトレーナーもいるそうだ。」
君みたいにね。そうつけ足すと、Nは恥じ入るように顔を伏せた。ゲンは続ける。
「君はポケモンの言葉がわかるからばけものだと言う。では私は?私は波導の力を持っているからルカリオなのだろうか?」
「それは…姿形は人間に見える。」
「私もそう思うよ」
Nはゲンを護るようにして立つポケモンに「ねえ、彼は君と同じ?」と聞いた。ルカリオは普段ゲンに対してする波導による意思疎通ではなく、正しく彼の種族の言葉で返す。ゲンには「がうがう」としか聞こえなかったが、Nはリズムよく相づちを打った。
「…そうなんだ。」
「ルカリオは何て?」
「貴方は絶対に同類ではない。けれど、何であろうと関係ないと言っている。もし人間じゃあなくっても、そんなことはどうでも良いって。」
「ふふ、ルカリオ、ありがとう」
嬉しい言葉にゲンは微笑んで頭を撫でると、ルカリオは胸を張った。
「……」
その様子をNは目を細めて見守る。ひどく眩しいものを見るように、ほうとため息を吐いた。
「キミたちは本当に――いや、世界には本当に、何て信頼し合うポケモンと人間が多いのだろう」
「多いさ」
唐突な独白にも、ゲンは静かに言葉を返す。
「君も同じだろう。何よりもルカリオへの優しい波導がそれを証明している」
「…ボクは…」
Nは更に深く俯いた。あざやかな髪が彼の顔を隠してしまう。
薄い唇から溢れるのは、淡々とした言葉――いや、懺悔だ。
「ボクはポケモンが大好きです。ポケモンはトモダチで、その彼らが常に人間に虐げられていると、そう教えられて今日まで生きていて」
虐げられて、のくだりでゲンは眉を顰めた。
「誰がそんな事を?」
心中に反して穏やかに繰り出した問いに、Nは無言。言いたくないというふうに、ほんの小さく首を振る。
「ボクは…ボクはトモダチを、世界中のポケモンを助けたいと、そう思った。皆も賛同してくれて、ボクの力は、…ポケモンの声を聴く事が出来る力は、聖なる力だと言ったから。だから…」
だんだんと速度を増していく語り口を聞くうち、ゲンは思い出した事があった。

――イッシュ地方に蠢く怪しい集団がいる。
――ポケモン解放、とかいう題目を掲げて、ひとのポケモンを強奪する。

「もしかして、君が…」
ゲンは流石に動揺を滲ませてNに問いかけた。
ただの噂、都市伝説の類だと思っていた。目の前のこの若者が関わっている――いや、この口振りだと。
ゲンの予想を裏切らず、Nは緑色の頭を深く下げた。
「ボクが…プラズマ団の王だった…」
絞り出された声は、激しい後悔に震えていた。
「王…」
ゲンは呟きながらも、うっすらと背景を察し始めていた。
組織の長に王とは、何と象徴的な肩書きだろう。むしろ、象徴そのもの――だったのではないか。
そしてポケモンが虐げられていたというあまりに極端な話を信じていた点を重ね合わせて、導き出された結論に今度こそゲンは顔を歪めた。
――傀儡だ。
彼はもしかしたら、ろくに外界に触れずに育てられたのだ。大人たちの言うことだけが全てで、与えれたポケモンの迫害をすり込まれて。
こう考えれば最初に感じた波導の違和感にも納得がいく。社会を知らない子どもは、さじ加減によって限りなく純粋に育つだろう。

ゲンは丸くなって震えるNを見下ろす。
哀れな王は、抑えた手の間から悲痛な言葉を漏らしている。

「何もかも間違っていたんだ…」

ゲンは口を開きかけ、躊躇った。
今、この子は真実を知ったのだ。
そして己の為した事の残酷さを知り、己の存在意義を見失った。
迷子の子ども、そのものだ。

(無明の闇からヒトの世界へと放り込まれたのが彼ならば、ヒトの世界に必死に寄り添っているのが今の私だ)
進むべき道が、未来が見えないままに生きてきた。

ゲンがNに語る言葉など、思いつかなかった。

Nの嘆きは深くなる。
震える白いシャツの背に、ゲンは手を伸ばす。
「君、も…う」
続く言葉がない。と、ゲンの手を柔らかな感触が覆い、ぐい、と引かれた。
「!ルカリオ」
傍らに立つ青い獣が、その愛らしい手を、ゲンの手ごとNの背に触れさせる。
びくりと大きく震える体と同時に、ゲンも困惑の眼差しをパートナーに向けた。
『ルカリオ』
波導で呼びかけると、同じように波導で返される言葉。
『この青年はゲン様に似ているように思います』
ルカリオの紅玉の瞳が、どこまでも真っ直ぐに訴えかける。
『だからこそ、貴方の言葉は彼に届くでしょう』
さあ。
ルカリオの手が離れた。

「君…ねえ、君」
「……ボクは…」
「落ち着きなさい。さあ」
むずかるように頭を抱えた少年の肩を包むように抱く。傷付いたポケモンにするように優しく。
「君が今、自分の存在価値を見失っていることはよくわかった。泣いても呼んでも、手を取り導いてくれるひとがいないんだね」
その気持ちはよく解る――とは言わなかったが、おそらく少年はうっすらとでもゲンの共感を感じとったのだろう。強張った肩から力が徐々に抜けていく。
「…人間としてのボクはあんまりに不完全だ…」
か細い声。ゲンは少年が言った化け物という言葉を思い出す。
「そんなことは些細なことだ。さっきも言ったが、君が化け物なら私だって化け物だ。君にこの生き方を強いた者もまた人の心を欠いた化け物だよ」
ゲンは少年に、顔を上げるよう促した。抱えた膝に埋めていた顔を持ち上げ、前髪から大きな瞳が覗く。中世的な顔立ちを引き立てる大きな瞳は濡れて揺らいでいた。
「さあ、顔を上げて。見なさい」
「…?」
少年はゲンの指差す方向を見た。塔の光源、崩れた壁と、広がる夕空。
それが…と問おうとした少年は、ごうと吹き上がった風に眼を閉じた。
「!何…」
「来たようだ」

穿たれた大穴から吹き込んだ風が捌けた時、そこには夕日を遮る巨躯が浮かんでいた。

Nの目が見開かれる。
「れ…」
肩を支えるゲンもまた、驚きに喉を鳴らす。
堂々とした腹と細い首、がっしりとして鋭い爪の目立つ足。体型は完全にドラゴンのそれだ。
夕焼け色に染められらながらもなお白い身体は、ふわふわとした羽毛のようなものに包まれていると解る。
大きく広げた翼は重苦しくなく、通った鼻筋の根本に嵌る一対の瞳は輝くブルー。
数えきれないほど多くの種を見てきたが、それでも息をのむほどに――現れたポケモンは美しかった。
「ドラゴンポケモン…しかしこれは…?」
傍らに立つルカリオを見れば、何と突如現れた見知らぬポケモンに畏まったように膝を着いている。また、空に浮かぶ威容の背後にゲンのボーマンダが控えていた。
ゲンは眼を細めた。ポケモンには敬うべき存在が解る――
「伝説か、はたまた神話の存在か…」

「レシラム…!」

Nの呼んだ名に応えるように、竜は咆えた。
高く美しいその声は、女性的な優しい響きをもって届く。
Nがふら、と立ちあがるのを、ゲンは止めずに手を離す。一歩、Nの足が進むのに、レシラムは静かに羽ばたいて距離を詰めた。
「なぜ君が…?」
震える声にゲンが答える。
「君を迎えに来たようだ。君が意識を失っている間から、私には彼の波導が届いていた。」

――何処にいる。
――我が主よ、何処にいる。

「君のことを主と呼んでいるよ」
レシラムは優雅に首を上下させた。ゲンの言葉を肯定したのだろう。N――美しいポケモンのマスターは、立ち止まってその髪をなびかせる。
わななくように拳を握り、首を振った。
「ボクはレシラムを解放したんだ!レシラムはボクを選んだが、ボクはレシラムに相応しくなどなかったから――」
「だが事実、レシラムは君を捜し求めていた」
「でも…」
Nの声が震える。
ゲンは身を引き、床に落ちていた白黒の帽子を拾い上げた。
「私は思うのだが――」
ぽん、と軽く叩いて埃を払い、Nに歩み寄る。
「君を導く者がいないのなら、君が導くことが出来ないのなら」
帽子を萌葱色の頭に被せ、向かい合う。少年の深緑の瞳は今にも泣き出しそうに濡れていた。
そこに映る己を見ながら、ゲンは静かに続けた。

「君と、君の友達とで一緒に道を探すという選択肢はないかな」

「いっしょ…に?」
「そう。一緒に」
おうむ返しに復唱するのにはっきりと頷き、続ける。
「一人では蹲ってしまうような暗闇に放り出されても、頼れる誰かと手を繋いでいれば、少しずつ歩くことが出来る。行き先はふたりで決めるんだ」
「ボクにそんな…ひとが」
か細く言ったNは、そこではっと気が付いたようにレシラムを窺った。白い神獣はたおやかに体を揺らして見せた。私がいる、と存在感を主張する。
「レシラムでは不足かい?」
こう、と静かな鳴き声。Nがくしゃりと顔を歪める。
波導を読まずとも、言葉を解せずとも分かった。行こう、と言ったのだ。
「レシラム――ボクのことを――ボクのトモダチになってくれるの?」
Nはレシラムに向き直った。石床に降ろされた白い毛並をそっと撫で、囁くように問う。
「ボクは世界のことを何も知らなかった。これから知っていくことも正直怖い。でも君と一緒なら…」

――ボクはボクの真実を探す旅に出られそうな気がする。

瞬の間風の止んだ塔の内部に、若者の宣誓が厳かに放たれた。
レシラムはゆるりと首を下げ、Nの額に鼻面を寄せた。と同時に、ゲンの頭の中に玲瓏たる声が響く。

『我が主、お前の真実をこの眼で見届けるまで、傍を離れぬと誓う』

レシラムの応えに、Nは一瞬驚いたように身を固めた。そして――

「ありがとう、ありがとうレシラム。至らないボクだけれど、よろしくね」

ふさりと瞼を閉じた竜の頬を抱いて、透明な涙を流した。



 * * * 



「行きます」

暫くの間レシラムに顔をうずめて泣いいたNは、随分としっかりした声で言った。
「ゲンさんの言う通り、ボクとレシラムでとりあえずあちこち周ってみます」
帽子を深く被り直し、白い手をレシラムの背に置く。その手が若干震えているのに気付いたゲンは、そうそう、と明るく言った。
「一人と一頭で、は良いんだが、うん、これは私の経験則から言うのだけどね」
「?」
「世界には、時々びっくりするほどの変わり者やおせっかい焼きが居るものだ。そういう類の人は、もしかしたら気まぐれに君に道を指し示すかもしれない。…そんな時は、敢えてその道に進んでみるのも手だよ」
そこまで言ったところで、Nがくすりと笑う。
「ゲンさんみたいな人のこと、ですね」
「私なんて序の口だ」
肩をすくめて見せると、あはは、と軽い笑い声。冗談じゃないんだけどな…と一層眉を下げるのに、Nは跨ったレシラムの背から言った。
「また――会えますか?」
ゲンは頷く。
「ヒトとヒトとの"縁"とは不思議なものだ。君が会いたいと望めば、きっと私に限らず誰にだって会うことができるよ」
「そうだったら嬉しいな…」
Nはゲンの言葉を心の内に仕舞い込むように、拳を胸に当てた。
「絶対にいつか会わなくてはいけない人がいるんです」
つ、と見据えるはイッシュの空。世界がどれほど広くても、生きている限りはこの空の下にいる。
レシラムが一声吠えた。出発する、という意味だろう。ドラゴンタイプの巨躯は優雅に、しかし力強く中空に舞出る。
「ゲンさん!本当に――本当にありがとう!ボクがこのリュウラセンの塔に来たのも、貴方がいたからかもしれない」
風を掴むために大きく振られる翼の間からNが叫ぶ。
「ありがとう――サヨナラ、ゲンさん、ルカリオ!」
ゲンは手を振る。隣ではルカリオが胸に手を当てて彼流の礼をしている。
レシラムの尾が赤く光った。ぶわ、と体毛が浮いたところで、Nの思い出したような声。
「あの!ボクの、ボクの本名は――」
主の言葉が言い終わるのを待たず、レシラムは飛んだ。風の音に、青年の声は容易くかき消されてしまう。
「さようなら!」
ゲンも声を張って別れを告げた。

冠を脱ぎ捨てた王と、その手を取る従者の影は、夕焼けの中にあっという間に吸い込まれていった。


 * * * 


ゲンはほぼ日の沈みかけた空を見、息を吐いた。

『行ってしまいましたね』

そう言ってゲンを見上げるのはルカリオだ。
「ちょっと…偉そうなことを言ってしまったかな」
苦笑気味に呟く主人に、とんでもありませんと生真面目な否定。
『ゲン様以外には出来なかったと思います』
誇らしげに青い耳が立っているのを見て、ゲンは相好を崩す。ルカリオが言うのなら、きっとそうなのだろう。
『本名を聞き取れませんでしたね』
「ああ。…次に会う時までのお楽しみにしようか」
『それは良い考えです』
ゲンは塔の床に置いてあった荷物をまとめ、階段に向かう。「私たちも帰ろう、ルカリオ」

すっかり光量の落ちた塔内は暗く、特に足元など、気を付けなければ階段を踏み外しそうなほどだ。
ゲンは手持ちの荷物から明かりをだすか迷い、いいかと判断する。これくらいなら、大丈夫。

と。

ゲンの手を、柔らかい肉球が握った。

『ゲン様、足元が危ないです。私が先に。』
「ルカリオ…」
少々驚いている主を知ってか知らずか、従者は平然と歩み始める。
『早くせねば、夕食時を逃してしまいますよ』

右手に感じる温かい手。柔らかい手。優しい波導。


ゲンはこみ上げる笑みを抑えて、ルカリオに遅れないよう歩き出した。



「これからもよろしくな、ルカリオ」
『何を今更?こちらこそ、ゲン様』





--End.






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