あなたの手の色 発端は、クロツグがコクランに貰った――いや、押し付けられた、小さな鉢植えだった。 「きれいですね」 「ん?ああ、そうだろう」 クロツグはそう言い、手にしていたペンをくるりと回した。 ゲンが見ているのは、窓際にちょこんと置かれた観葉植物だった。 胸に抱えるほどのサイズで、細身の葉が青々と鮮烈な彩りを主張している。 クロツグの部屋に色づいた観葉植物があることは珍しいので、自然目立ってはいたのだが、入室していくらも経たぬうちにゲンはその事に触れた。 「珍しい。貰い物ですか?」 「そうだ。今朝方コクランが持ってきてな――カトレアが気に入ったから大量に購入したものの、もう飽きたようだからと各部屋に配っているらしい」 「……」 仕様もない理由にゲンが苦笑する。それに軽く肩を竦めることで同意を示し、書類に視線を戻す。面倒な、実に面倒な書き仕事だ。 「クロツグさん、草花を育てたりなんかは?」 「しないなあ。嫌いじゃないが、どうも下手なんだ。俺は」 「下手ですか」 「ああ。」 珍しくゲンが会話を切らない。暇なのか、いや、彼は今ナントカという高名な学者の手伝いをしていると言っていた。何でもその学者が落ち着いて仕事をできるようにとリゾートエリアのホテルを借りてくれたらしい。レポートを書くために一等級ホテルを1ヶ月貸し与えるなんて一体どこのお大臣だ、と思ったが、口には出さずにいた。ゲンには何というか、酷く人の常識を惑わせる能力がある。 では、時間が有り余っている訳でもなんでもないこの男がこうしてクロツグの元を訪れ、くだらないとは言わないまでもさして意味のない話を引っ張るのは何故か。 ――こいつも、仕事に厭きているんだな。 俺と同じように。 クロツグはそう自己完結し、ペンを置いた。 「そう、植物を愛でる心はあるんだがな。きちっと本を読んだこともあったが、どうにも駄目だ。」 椅子を回しゲンと鉢植えを見ると、ゲンが"あるもの"を見ているのに気が付いて ばつが悪そうにする。 「それもな――ひと月ほど前に、挑戦者から貰ったものだ」 「酷いですね」 コクランから貰った鉢と反対側にある出窓に、ひっそりと置かれているやや大きめの鉢。そこに花は一輪もなく、枯れかけてひょろりと土を這う枝のみが哀れな姿を晒している。土に挿された栄養剤が無性に寂寥感を煽る。 「そう言ってくれるな。私も結構、傷付いている」 はあ、と深い溜息を吐きながらそう言い、あまり愉快な話ではないという意思表示に再び書類に向き合うと、 「みどりのて、ですね」 ふいに、耳慣れない言葉を呟いたのにクロツグはペンを止めた。 「…なんだって?」 「"緑の手"です。ご存じないですか」 「知らないな。どういう意味だ?」 ベッドを振り返るとゲンと目があった。俗っぽさを感じさせない微笑み。 「園芸がとっても上手い人のことを、"緑の手をもつひと"と言うのだと、以前何かで読みました。そこまで特別なことはしていないのに、不思議と植物が活き活きするそうです」 「はあ…」 ゲンの流暢な解説に、感嘆符を洩らす。洩らした後、少々顔を顰める。 「なるほど、そういう言葉もあるかも知れんが、俺はまったくその反対じゃないか」 「ええ、ですから。クロツグさんのようになぜか植物を枯らしてしまう人のことは、"茶色の手"あるいは"赤の手"というんだとか」 「茶色の手……」 クロツグは己の両手を見下ろした。年相応にくたびれた手のひら。あまり家事をしない手のひら。ポケモンを操り、勝利を収めることに関しては大いに黄金の手だと自認している、この手のひらが。 「茶色の…」 なんだか、妙に――ショックだった。 呟いたっきり俯いてしまったクロツグに、ゲンは声の調子を明るく改めて語りかけた。 「まあ、いいじゃないですか。人には向き不向きがありますから」 ベッドから腰を上げ、枯れてしまった花の鉢植えに近付く。「世の楽しみは園芸だけではありませんよ」 鉢をそっと撫でる指先を眺めながら、ふ、と一息。 「相変わらず達観しているんだな、ゲン。…お前はどうなんだ?」 「何が?」 「いや、手の話だ。緑の手か?それとも…」 ゲンはその問いに、一瞬考え込む素振りを見せたが、結局は応えずに微笑みを返した。 はぐらかすのが得意な奴、と肩を竦めて、二人の話題は最近のトレーナーの傾向についてに移っていった。 小一時間ほど、会話を続けただろうか。 「ではクロツグさん、もう行きます」 ゲンがそう言って帽子を手に取った。 「もうか。というか、何しに来たんだ?気晴らしに?」 「ばれていましたか」 「…ああ、本当にそうだったのか」 当て推量だったんだが。したり顔をつくってみせると、ゲンは悔しがっているような恥ずかしがっているような微妙な表情を見せた。たまにこうして面白い反応を返すので、この男と話すのは飽きない、という思う。 「リゾートエリアのホテル、あれは私のようなものが泊まって良い場所ではないですね。ベッドなんかは馬鹿げて巨大です」 「そうかそうか、そりゃあ良い。よし、今夜拝みに行ってやろうじゃないか」 さりげなく腰に手を伸ばしながら言った言葉は冗談4割本気6割といったところだったが、ゲンは軽く笑って首を振る。 「昼に油を売ってしまったから、頑張らないと。――貴方もね」 「仰るとおり。仕事が終わった後の、褒美として受けとっておこう」 「まったく、そういうことを…」 ゲンはポケットからボールを出し、窓の外へ放った。ピジョットがひらめくたてがみも美しく、空に現れる。 こうして窓を出入り口にすることを最初こそ咎めたが、今ではすっかり諦めていた。ゲンはいつだって丁寧で穏やかで、礼節を重んじる常識人だというのがフロンティアブレーンの共通認識らしいが、どうもクロツグにはそう思えない時があった。 軽い身体がピジョットに跨るのを見ていると、ゲンが不意に口を開く。 「そうだ――クロツグさん、あの枯れてしまった鉢植え」 「ん?」 部屋の隅に隠すように置いておいた、先ほどゲンがやけになまめかしく撫でていたあれか? 「もう少したら日向に置いてください。東側の出窓が良い」 「…?ああ、わかった…?」 はっきりした指示に、拒否する理由もないので頷くと、ゲンは満足げに微笑んだ。 翌朝のことだ。 眼を覚ましてベッドを抜け出し、カーテンを引いたクロツグは、出窓に設置した鉢植えを見て目を丸くした。 ひと月前に挑戦者が贈ってくれた、あっという間に枯らしてしまった。 扱いかねて栄養剤を挿しておいたその鉢に。 花が、溢れていた。 昨日までの惨めな様子は欠片もない。茎は緑に伸び、葉は青く繁り、花びらはみずみずしく開ききって、朝日をいっぱいに受けている。 (なぜ、なぜ、なぜ。) クロツグの寝起きの頭は情報を処理仕切れずに悲鳴を上げている。 (昨日には一本の蕾すらなかったものが、一晩で鉢植えを埋め尽くすなんてそんなことが、有り得るのか?ゲンが――あいつが何か――?) ふと、思い起こされるのは、鉢植えを撫でていた友人の姿。去り際に、こいつを東側の窓に置けと、そう言って… 「緑の手……?」 昨日知ったばかりの言葉を思い出す。緑の手の持ち主が面倒を見ると、草花が活き活きと育てられるという―― (いやいやしかしこの育ち方は尋常ではないだろう、これはもう活き活きとか、そんな次元じゃ――) クロツグの理性は否定するが、感情はもういいだろそういうことで、良かったじゃないか復活してと投げやりな肯定を促している。 「……なんだかなー…」 結果クロツグは、起きたままの下着姿で10分間鉢植えの前で首を捻り続けたのだった。 ------- ゲンさんは波導の力をつかったとおもわれる。 いや、草花にも波導とかあんじゃね?ゲンさんってホラ、すごいから。マジすごいから、波導を分け与えるくらい、できんじゃね??トトロみたいじゃね??? っていうおはなしでした。 にしてもクロツグさんはこれでいいのだろうか。 |