小説置き場 | ナノ
  相模の大名・北条氏康は酒を飲みながらひたすら考えていた。それは自分の妻の事。

「たっく…餓鬼みてぇに拗ねやがって」

  城の女中に酌を頼んだだけで張り手を喰らい、しかもしばらく話さないと宣言されてしまった。自分の酒を制限しているのは妻だった、酒を取られてしまったら何もする事がなくなってしまう。

「こりゃ直接かけあうしかねぇなぁ」

  そんな事を呟きながら空になった猪口を寂しそうに見つめた。

氏康とその例の嫁は政略結婚だった、戦国時代である今の世には珍しくないがそれでも2人は仲睦まじく相模の領地でもそれなりに有名だ。氏康の妻への寵愛っぷりと尻に引かれっぷりは。

「おい、成田のせがれ」

「娘です!」

「そんな事どうでも良いんだよ、あいつはどこ行った」

「お方様の事ですか?」

  部下である成田のせがれ、ではなく娘である甲斐姫に乱暴にそう聞くと甲斐姫はきょとりとした表情からニヤリとした笑みを浮かべる表情に変える。

「まーた喧嘩したんですね」

「……ド阿呆」

「図星ですか…。どうせお館様が何かしでかしたんでしょ」

  妻の事となると唐突な行動をしたり明らかに沈んでいたりとわかりやすい氏康にいつもは勝てない甲斐姫はここぞとばかりに氏康をからかった。

「お方様に何があったのか聞いてこよっと」

「……小せぇんだよ」

「きっこえませーん!」

  氏康に舌を出し走っていく甲斐姫に煙管の灰をかける、「ひどっ」と聞こえてきたがそれを無視して歩き出す。

「何だか機嫌悪いですねー、氏康のダンナ」

「武田の…」

「ご無沙汰しております」

「何だぁ、また戦か…」

  甲斐の領主である武田信玄からの遣いで来ていた真田幸村とその配下の忍・くのいちが前からやってきたのを見て溜め息を漏らす。武田と同盟を結んでいる北条家は武田から要請をもらい戦に出る事があるのだ。

「お前ら俺のかみさん見なかったか?」

「氏康のダンナのおかみさんですかー? いやいや、見てないっす」

「申し訳ありません、私も同じです」

  様子からわかっていたが一応聞いてみただけだった、煙管を吹きながらボリボリと髪を掻くと城から見える城下を見つめる。
妻はこの城下が好きだと言っていた。人が笑い泣き、喜び、悔しがりながら生きていく道が一番幸せだとも。妻が産んだ子供とこの国の人間、そして何より妻のために天下が静かになる事を望む。

「こーら! 待ちなさい!」

「は、母上! 勘弁願りまする!」

  緊迫した表情で部屋から出てきた息子に何事かと思うが妻の声が聞こえてきて思わず身体を動かしてしまう。部屋から自分の妻が出てきてハッとしたが当人は氏康を見つけると目を吊り上げて睨み付けた後息子を追い掛けた。

「おい…」

「きちんと片付けなさい! それだから婚儀の話が来ないのよ!」

「か、勘弁して下さい母上!」

  追い事を始める2人に、と言うよりは自分の話を聞かない妻に氏康は腹立たしげに煙管の灰を投げ捨てる。

「お前そんなに怒ってると兄に更に似るぞ」

「誰がよ! 兄様と比べるなって言ってるでしょ!!」

「やっとしゃべったな」

  氏康にそう言われハッとする妻に手を伸ばすが──

「触れないで、しばらく話さないって言ったでしょ!」

「あらら、言っちゃいましたよ」

「たっく、何でこうもうちのかみさんは怒りっぽいのかわからねぇなぁ」

「私が聞いてきましょうか? 同じ女ですし」

  「こっちは弾みますけど」と言われ一瞬迷ったが妻のためにくのいちと手を組んだ。それに幸村は微妙な顔をしていたがまあ良いだろう。

「それでは行ってまいりまーす」

「頼んだぞ」








「で、何であんたが居るのよ」

「あたしだってお方様が心配なんですー」

  争う2人に苦笑するのは2人の目的である氏康の妻だった、2人が自分の事を心配して来たのを知っていたため優しく微笑む。

「お方様、どうしてお館様と喧嘩なんかしちゃったんですか?」

「そ、それは…あの人が……」

「氏康のダンナが?」

「他の女の人に酌なんてさせるから…起こしてくれれば良かったのに」

  氏康への不満を言いながら少し頬を染める、嫉妬なんて恥ずかしいけどあの人だから出来るんだ。
だってあの人の隣は私のものだから。好きな人、愛しくて、大切で、だから戦をしないで欲しいのに。

「たっく、ド阿呆が」

「お館様!」

「……小せぇんだよ」

  氏康にそう言われくのいちと甲斐姫は自分の胸をバッと見て氏康の妻の胸を見比べる、複雑そうな表情をする妻の手を取ると歩き出した。

「ちょ、ちょっと!」

「俺の隣は誰のもんでもねぇ」

「………」

「俺のかみさんのもんだ」

  頬を染めた妻に笑いかけ部屋に入ると愛しげに妻を抱き締める。

「酒持ってこい」

「はぁ?」

「お前が酌をしろ」

  「お前の場所だろ」なんて口説き文句を口にしながら氏康の瞳はただ一心に愛を語っていた。








「飲み過ぎですよ」

「うるせぇよ」

「……はぁ」

「おい」

「はい?」

「愛してる」

  囁かれた愛に嘘なんて吐かない、お前の全ては俺のもんだ。

「酔ってるんですか?」

「酔ってなきゃ言えねぇから言うんだろうが」

  そう言って眠ってしまった氏康に微笑むと愛の言葉を耳許で返す──

「愛してるのよ、私も」

  戦乱に生きるあなたの夢がせめて穏やかでありますように、そう願いを込めて。

せめて夢だけは穏やかでありますように‥

白黒様提出 0529
お題:花影様より

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