空は果てしなく青い。そこには白い雲すら浮かんではおらずどこまでも続くそれはまさに「無限」と言うべきか。
しかし彼は思う。1つくらい雲が浮かんでいても良いんじゃないか、と。どんよりとした雲があると気分は重くなるのもたしか。だがこんなに青いと逆にない方が落ち着かない気がした。
「(何を柳生みたいな事を考えとる)」
詩人じゃあるまいし、と苦笑いを溢す少年・仁王雅治は風に靡く自分の髪を払い屋上のタンクの上から見える町並みを見つめ続ける。
それに意味はないとわかっているがやる事が何もない、サボってきたのに退屈だと思う自分を思わず鼻で笑ってしまう。
「ん?」
屋上の扉が開く音が響き仁王は顔を上げる。こんな時間に来た、という事はサボりなのだろうか? そんな事を思いながら煩い女子ではない事を祈りタンクから入ってきた人物を見下ろす。
「女か…」
入ってきたのは案の定女生徒だった。しかしどこか見覚えがある少女に仁王は首を傾げる。
「あーおいー、そーらー、しっろいくもー、クリームソーダにー…シャッ、ボン玉!」
「2年の不思議ちゃんじゃな…」
赤也から一度だけ聞いたその少女の噂。赤也曰くかなりの電波でいつもふらふらと授業を抜け出してはどこかに行ってしまうらしい。
またいつも1人でいるらしいが1人でも嬉しそうに笑ってばかり、3階から木に飛び移ったりプールに金魚を放したりと教師も手を焼いている。
「不思議ちゃんが何をするのか気になるのう」
これをダシに不思議ちゃんを手玉に取る事が出来るかもしれない。そんな悪い事を考えながらしばらく不思議ちゃんを観察する。
仁王にとっては暇潰しのそんな時間、だが鞄から沢山のシャボン玉の容器を出しシャボン玉を造り出す不思議ちゃんを見ていると不思議な感覚に陥る。
「本当に不思議ちゃん、じゃのう」
彼女は誰もいないのに笑い続けシャボン玉を造り続ける。小さなシャボン玉から大きなシャボン玉、それを割らずにどんどん空に送り続けていた。
仁王の横を通り抜けてしばらく経ってから割れてしまうシャボン玉──
「誰ですかー?」
「(気付かれたか…)」
不意に顔を上げられ目が合ってしまう。くりくりとした瞳が不思議そうにこっちを見つめている。
「お前さん、サボりは駄目じゃろ」
「だって空が青かったんですもん」
「もんって…まあ、ええじゃろ……不思議ちゃん、お前さん無意味にシャボン玉を吹いてて意味があるんかのう?」
降りてきた仁王をじーっと見つめながらもその質問を理解しようとする不思議ちゃん。だが不思議ちゃんはへらりと笑うと「無意味じゃないですー」と言った。
「青い空に白い雲! そこにシャボン玉! クリームソーダじゃないですか!」
だからシャボン玉を、と納得する。やはり彼女を不思議ちゃんと呼ぶのは的確だと思った仁王。不思議ちゃんはまるで仁王に興味があるように見つめては考えるような仕草を繰り返す。
「あ! テニス部の──」
「………」
「詐欺師センパイ!」
名前を呼んでくれない、多分覚えてないんだろうが…そんな彼女は不思議ちゃんなのだからと無理矢理納得させた。
「詐欺師センパイ、何してるんですかー?」
「これはこっちの台詞じゃ」
「私はさっき言ったように…」
「泡を浮かべてた──じゃろ?」
そう言うと不思議ちゃんは嬉しそうにはい! と頷く。その笑顔に何だ普通の女の子じゃないかと赤也を恨む。
「詐欺師センパイは毎日ここに?」
「気が向いたら、じゃが」
「えっへ、私は泡を浮かべるために生まれた泡戦士なんです!」
訂正、やっぱり電波だった。
「また、会いにきます」
「は?」
「じゃ、バイバイ詐欺師センパイ!」
「俺の名前は詐欺師じゃないんだがのう…」
もしかして素で詐欺師センパイと言っているのか? だとしたら一文字もあってないのだが…。
「それにしても雲なんてないじゃろ………あった」
綺麗な白い雲、もしかして…やっぱり彼女は本当に電波なんじゃ…。
不思議ちゃんと会ってから1日
「詐欺師センパイ!」
2日目
「詐欺師センパーイ!」
3日目
「詐欺師! 先輩!」
……何か、なつかれた。しかも彼女は自分を名前ではなく通り名の「詐欺師」の方をひたすら呼んでいる。
「詐欺師センパーイ」
「いったい何じゃ」
「おはようございます!」
「もう昼休みじゃがのう」
呆れながら不思議ちゃんの頭を軽く撫でてやると嬉しそうに笑顔を向けてくれる。
あれから何回か不思議ちゃんと会っているがやっぱり不思議ちゃんは不思議ちゃんであった。とにかくやる事なす事全てに意味がない、時には動物と話している姿も見掛ける。
「何が出るかな、何が出るかな、何がでるかはわからないー」
「今日は何を持ってきたんじゃ?」
「じゃじゃーん!」
「水鉄砲…お前さんも暇じゃのう」
空に射つような体勢で「キラーン」と声をあげる少女に苦笑する。しかも2個持ってきている事から考えて自分も強制参加なのだろう。
「じゃ、勝った方が明日のご飯驕りで」
「って、お前さん弁当じゃろ」
「負けたら弁当は詐欺師センパイにあげます」
お菓子しか入っていない弁当を弁当と言っていいのか迷う、それにあの弁当をくれても困る。丸井の方が喜びそうだが。
「用意、ドーン!」
「相変わらず唐突すぎだのう…」
それからしばらくして勝者が決まった。仁王の圧勝である。
「うー、あんなの反則ですよ詐欺師センパイ」
「詐欺師じゃから当たり前だ」
「もうっ」
珍しく普通の反応を見せた不思議ちゃんだが制服はかけられた水のせいで透けてきていた。いくら不思議ちゃんだと言っても女の子なのに変わりはない。
どんどん熱が顔に集まっていき不思議ちゃんを直視出来ない。
「詐欺師センパイ、何か寒いー」
「っ、お前さん…本当に──」
ふわりと重なった唇に言葉を失くす。彼女の唇は不思議な味がした、甘いようでどこか違うような…そんな彼女の唇の味。
「んー、暖かい」
「負けじゃ」
「…?」
こんなの勝てるわけない、だって自分の敗北はもう決定されていたのだから。
「俺の負けじゃ、お前さんには本当に勝てんのう…」
「へへ、じゃあこれからよろしくお願いします“仁王”センパイ!」
笑顔を向けてくれる彼女に笑顔を溢す。しかし彼女が、彼女の声が、自分の名前を呼んだ事に気付き目を見開いた。
「お前さん…」
「仁王センパーイ、仁王センパイ! 仁王センパイ!」
ああ、やっぱり彼女は──不思議ちゃん。
─────────
敗北もキスも、恋すらも不思議
0209
オリオン。様に提出