「洋服、貸してもらえますか」
すっかり男はいつもと変わらない様子に戻っていた。機械的で、つまらないあの彼。つまらない、と言うと大袈裟だけれど。
「前と同じのでいい?」
「はい、お願いします」
2人でしばらく、ベッドの上でいちゃりとし、彼が先にシャワーを浴びる。その間にシーツを剥がして洗濯機にぶち込んで。ものすごい熱を帯びた身体は、ようやく静かになっていた。
「すみません、先に」
「ん、いいよ」
「あとやっておきます。新しいのどこですか?」
オンとオフの切り替えが上手い男だった。そっち、と指をさして彼に伝えて。
「ね、」
腕を掴まれて、くるりと振り向く。何で照れてんの、って。そりゃあ照れるよ。さっきまであんなことしてたんだから。
「赤葦くんが異常だって気付いてる?」
「いえ、全く」
「自覚してほしいけど、こちらとしては」
「だって俺、恥ずかしいことしてないですし」
正論すぎて笑ってしまいそうだった。確かに、この男は普通にセックスをしただけで、勝手に私が興奮して盛り上がっていたのだ。
ダサい部屋着はやっぱり彼には全然似合っていなくて。飲み物いいですか?って半ば独り言の様に言ってこちらの返事も待たずに冷蔵庫を開ける。結構図々しくなったもんだな。どこで躾を間違えたのだろうか。
「なまえさん、」
ごく、と動く喉仏が色っぽい。思わず目を奪われてしまう。湿った髪と艶っぽい瞳。いいなぁ、と羨ましくなるほどで。なんか、こう、女の私が羨ましくなってしまうのだ。その美しさに。
「一緒に住みません?」
明日の天気はなんですか?
それと同じような言い方だった。特別な感情とか、そういうものはあまり込められていないように感じた。ぽけぇ、としていると彼が言葉を続ける。
「今すぐでもいいですし、先でもいいんですけど」
いずれ、そうしたいと思って、と続く言葉。この男、ついこの間物件契約をして住み始めたばかりだろう。何を言い出すのやら。
「…大変だよ?引越し」
「なんの為に仕事頑張ってると思ってるんですか」
「え?」
「うち、給料、一部歩合じゃないですか。だから」
だから俺、仕事がんばってるんです、って言われるが、意味がイマイチわからなくて。そんな私を見て彼は少し恥ずかしそうに説明をする。
「なまえさんと一緒にいたいけど、今の部屋じゃ狭いし…新入社員だからのんびり働いていたらお金貯めるの時間かかるから」
だから頑張りましたって。なんなの、それ。ちょっとは相談しなよ。
「お金なんか私が出すよ」
「そんな訳にいかないじゃないですか、俺がそうしたいんだし」
「…赤葦くんって本当、思い込み激しいよね」
私だってそうしたいよ。
そう伝えてやればこの男は子どものように笑うから。ベッドの上での悪い癖なんて、これでチャラだ。正直それだって嫌いじゃないし。
啄むようなキスを数度。出会ったばかり。付き合ったばかり。仲直りしたばかり。重要な決断をしたばかり。
口紅を買う時、大抵迷うのだ。ベージュ?レッド?ピンク?オレンジ?高いバッグ買う時もそう。ブラックにしようか、キャメルにしようか。
でもこの決断は迷わなかった。口紅よりも高いバッグよりも、ずっと大切なことなのに。
寧ろ、とても清々しい気分だったから。新しい生活が欲しい。そう思うばかりだった。
2016/02/28