美容部員松川 | ナノ
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男女が平等に働ける世界。
まぁ、聞こえはいいが、なまえはいまこの状況に耐えかね、そんな世の中は一体如何なものだろうと頭を悩ませていた。松川の手はひやりと冷たい。

この辺りでは1番栄えている街の中心部。百貨店は日曜の午後なので人口密度が高いだろうとタカをくくってはいたが、それに加え上の階で大北海道展が催されている影響なのか、そこはよりごちゃりと混み合っていた。

「みょうじさん、こんにちは。申し訳ないです、只今混雑しておりまして」

なまえの性格を一言で、と問われれば究極的な面倒くさがりである、と答えたい。その上厄介なことに優柔不断で自分の意思がない。そもそも、大抵女という生き物はそういう人間が多い。多数派であればなんだっていいのだ。だからこそ流行りものやトレンドに敏感で、常にアンテナを張り巡らせて生きている。それがきっと、彼女たちの生き甲斐なのだろう。
そんな性格だからか、生きていく上で、社会人として必要な化粧品諸々は、百貨店のコスメカウンターで選んで“もらう”ことが多かった。
ここまで聞くとなんとなく聞こえがいいだろう。ドラッグストアやディスカウントショップで調達せず、それらよりも価格帯の高いショップにわざわざこうして足を運んでいるのだから。だがこの女は根本的になにかが違うのだ。

「自分で選ぶのが面倒、友人に頼んで選んでもらうものでもない。ならば多少の金を出してその道に詳しい人間に選んでもらうのが手っ取り早い」

これがなまえが出した結論である。

これももしかしたら偏見かもしれないが、ワクワクするだろう、普通の女、は。普通の女、という表現はあまりにも抽象的ではあるが、百貨店のコスメカウンターと聞けば敷居が高く感じるし、フロアに蠢めく従業員たちの化粧は計算しつくされ、見事に整えられている為か美しくじぃと観察したくなる。それゆえなんとなく近寄りがたい。それでもそこに飾られているキチンと整列した製品たちはカラフルで上品、やたらと凝ったデザインで、世の女たちを夢中にもさせる。
なまえにはその胸の高鳴りがなかった。なんでもいい、金はある程度なら払うからさっさと選んでくれ。口を悪く言えばそんな心境なのだ。

「すみません、今、私も接客中で…この後松川が手が空くので」

聞きなれない名前になまえは脳内にあるこの店の販売員の名前と顔のリストをぐるっとチェックしてみる。それと同時に店内をくるりと見渡せば、1人、男が立っていた。どんな男か、と問われれば即答でこう言うだろう。
知的な雰囲気を纏った、背の高い男だ、と。なまえが松川に向ける視線に気づいたのか、なまえに声をかけた店員は松川に関する解説を付け加えた。

「今月から、店舗移動でこっちに」
「あぁ、そうなんですか」
「みょうじさんのことは話しておくので…今日もお決まりのものですか?」
「はい、アイシャドウとチークとリップを」
「アイシャドウとチークと…リップですね。色、変えますか?」
「いいです、いつもので」

彼女はかしこまりました、とセオリー通りの笑顔を向けた。大抵、彼女がなまえの対応をしているせいか、慣れた様子である。販売員はカツコツとヒールを鳴らして接客に戻るので、なまえは店内の、さして興味もないカラフルなそれらをぼおっと見ていた。ここから一色を選ぶなんて気が遠くなる作業だ。なにより煩わしく、面倒である。似合うのか、似合わないのか。会社につけていけるのか、普段の洋服に合わせられるのか、唇は乾燥しないのか、持っているチークとの相性は悪くないのか。そんなことを考えながら選ばなければならないなんて、胸が高鳴るどころか吐き気をもよおしそうになるだろうな、となんともつまらないことを考えている時だった。6センチのヒールを履いているなまえの頭上から、低い声が聞こえた。どう考えたって男の声だった。

「みょうじさん、こんにちは。お待たせしております」

少し離れたところで松川を観察した時は知的だと感じたが、近くで見ると色っぽいという表現の方がしっくりときた。少し濡れたような質感の黒髪に、なんとなく気だるそうな目元は縦幅はさしてないが横幅が広く、とても印象的だ。顎には上品に髭が蓄えられている。

「…みょうじさん?」
「あぁ、すみません、ぼおっとして」
「いえ、お待たせして申し訳ございませんでした。以前お使いいただいていたアイシャドウとチークとリップなんですが」

イケメン、と表現するのは語弊があるが、間違いなく男前だとなまえは思った。その独特の雰囲気に吸い込まれるように珍しくじぃと見惚れてしまう。松川は松川で、そんな状況に慣れているのかさして慌てることなく会話を続けた。

「何度もリピートしていただいてありがとうございます。綺麗なカラーですよね」
「あ、はい…そう、ですね」
「どの辺りを気に入っていただいていますか?」

男なのに、いい香りがする。そんなことばかり考えて、松川の声を流しそうになるなまえは、ハッと我に返り質問に答えた。

「え、っと、え?」

どの辺りを気に入っているのか?
答えようとして、答えられないことに気付いた。そんなの当たり前といえば当たり前である。別に、気に入っているわけじゃない。勧められたからそれを買って、そしてそれを繰り返し使い続けているだけだから。もっと言ってしまえば、なまえは自分がいま何色のアイシャドウを使っているのか、チークやリップに至っても同様だが、説明することが出来ない。

「やっぱり」
「…はい?」
「あぁ、ごめんなさい。なんかさ、全部人気ナンバーワンの製品だから。ファンデーションとか…アイブロウとか、一通りうちの製品使ってくれてるけど、全部人気あるやつで、」

松川は、少し砕けた話し方になる。彼はとても器用な人間だった。他者との距離を測るのが上手く、微妙な隙間にするりと入り込むのだ。そのせいか彼を慕うお客は多かったし、彼自身、自分のその特技に気付いてもいた。だから今も、なまえに対しては、このくらいの丁寧さで良いなと判断し、声色や話す速度を調節しているのだ。

「みょうじさん、仕事であまり派手な色使えないとか?」
「え、いや、ある程度自由ですけど、」
「じゃあ、せっかくだし試しませんか?つけてみたい色教えてください」

松川の声は滑らかでとても耳に心地よいが、なまえは困惑していた。決まったものを伝え、代金を支払ってさっさとこのフロアから立ち去る予定だったのに。松川は近くの席になまえを座らせると一般男性よりも高い視線を腰を折って自分に合わせてくれる。

「…みょうじさん?」
「っ、あの、私」

なまえは頭を悩ませていた。彼女はそんなに人見知りをする訳でもないし、気の強そうな女店員に怯むこともないが、色男には弱いようだ。なまえ自身も、たった今それを痛感し、男の美容部員は苦手だ、と悟った。女ばかりのイメージのある職種に男が参入するのは別に悪いことではないが、自分が巻き込まれるのはごめんだ、と思う。

「あはは、ごめんなさい。僕、怖いですよね」
「…え?」
「よく言われるんです、ガタイ良くて人よりも背が高いし、こんな顔でしょう?でも俺、人見知りで今も結構緊張してるんで」

松川は、慣れたようにそう言った。笑いながら、だ。その端正な顔がくしゅ、と崩れる瞬間、あぁいいなぁと、なまえはぼんやり思うのだった。なんて素敵な男だろうか、と。
松川は人見知りなんかじゃない。そんなことはなまえにもわかった。優しい嘘をつくんだなぁと、その時からわかっていた。

「松川さん、あの、」
「はい、なんでしょう」
「あの、私、正直化粧品興味ないんです。似合うとかどうとか、わからなくて」
「はい、だろうなぁと思いました」
「…バレてました?」
「たまにいらっしゃるんです。自分で選べなくて、僕たち店員が勧めるものを勧められるがままに購入する方。いや、いいんですよ勿論。似合わないものは勧めたりしないので」

でも、みょうじさんはこっちの方が素敵だと僕は思います。
そう言うと松川は、凛々しい赤をなまえの唇にのせようとしたのだ。突然のことにギョッとする彼女に気付き、松川はあの柔く低い声で問う。

「普段、つけないですか」
「つけたことないです」
「本当ですか?もったいないですね」
「…え?」
「みょうじさん、唇がすごく綺麗だから」

ここが百貨店の化粧品フロアでなく、照明のしぼられた雰囲気のいいバーだったら確実に口説き文句として受け取るが、残念ながらそうではない。一瞬頬を赤く染めかけるが冷静に平然を装ってみた。
松川はなまえが普段は地味な色しか唇にのせないことを知ると、リップブラシをしまい、凛とした赤を指に付着させる。そしてなまえの唇に、とんとんとそれを馴染ませるのだ。ごつ、とした松川の指が柔らかな彼女の唇をリズム良く叩く。左手はなまえの丸い顎を固定していた。

「つけ慣れないなら、ふわっとつければいいんです。ブラシでも直塗りでもなくて、こうやって唇の中心から赤が滲み出るように。そうすると自然に馴染むので使いやすいですよ」

甘い言葉には動じずに済んだなまえだが、これにはさすがに白旗を掲げた。こちらを捉えて離さないような瞳に、彼女は完全に捕まえられていた。多分もう逃げられない。

「ほら、綺麗でしょう?」

鏡に映る自分よりも、鏡越しに合う松川との視線から目が離せなかった。松川の問いには無言でこくりと頷いたが、内心は貴方の方が綺麗ですよ、とぼそり呟くのだ。

2016/07/25