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お姉さんすみません隣、空いてます?


五月の、大型連休明け。太陽は高く、キラキラと水面を照らす。とぷっと、イルカが水中に潜った。賑やかでポップな音楽。海と比べたら大変に狭く、浅い水槽なのに、そんなことは関係ないと、すいすいっと心地よさそうに、さぞ楽しそうにヒレを動かす。そして合図とともに勢いよく跳ねる、落ちる。弾ける水飛沫に、前方の観客からきゃあっと声が上がる。

ちょっと休め、お前
頑張ってんのはわかるよ
でもなんつーか
もうちょっとこう、落ち着いて頑張れよ
周りが疲れんだって、いまのお前見てると

こんな楽しげなシーンでも私の頭には、先日、上司が困ったように、呆れたように吐いた言葉がこだまする。
このイルカは、きっとおそらく頑張っている。でも、落ち着いて頑張っているのだろうか。周りのイルカは活躍するこのイルカを疎ましく思っていないのだろうか。だとして、それにこのイルカは気付いているのだろうか。そして、それを気にしていないのだろうか。
私みたいに「ふん、僻みやがって」と一掃しているのだろうか。
気分転換に、と訪れたはずだ。なのに、そんな訳のわからないことを考え始めてしまったものだから気分が紛れることはなく、逆にどっぷりと落ち込んだ。そんなところで、声を掛けられた。覚えのある声。まさかな、と思いつつ見上げる。先週、上司から届いた言葉たちのせいで掘り起こされた記憶が、再び蘇る。

俺は頑張っていない側の人間だと思うけど
そんな俺に言われたくないのは重々承知だけど
たぶんナマエさんは頑張りすぎ

過去の記憶、チラついていた男の顔。せっかく、忘れかけていたのに。脳裏に浮ぶだけならまだしも、実際、目の前にやってくる。なんの嫌がらせだろうか。

「ね、空いてる?」
「……空いてません」
「あ、まじ?誰かと来てた?」

言い淀んでいると、花巻くんは「よいしょ」と、勝手に私の隣に掛ける。ほどほどの距離感。ほどほど、と表現したが、これが元・恋人との適切な距離なのかどうか、私にはわからない。

「ナマエさんだな、って思ってさ」

彼はとても当たり前のように話し始めるが、私はとても気分が悪かった。こんな、ゴールデンウィーク明けの平日の真っ昼間、水族館に居る結婚適齢期の女。しかも、一人で。
そう、一人で。
恋人や友人が隣にいる訳でもない。小さな子どもを連れているわけでもない。どちらかと言うと、私はこの場で、明らかに不自然だ。
「働きすぎておかしくなってんだよ。ちょっと休め、アレだ、リフレッシュ。そう、リ・フレッシュだ」
そう告げられ、急に現れた退屈な時間。それを消費しているのだ。昨日は家でひたすら映画を流していたが、字幕に表示される言葉が無駄に心に響いて、余計に疲れてしまった。だから、今日はどこか外出しようと思った。思ったはいいが、適切な場所が思い浮かばず、ここに来てしまった。
この水族館の年間パスポートの期限、そろそろ切れるし。
なのに全然、あれっきり行っていないから勿体無いし。
そんなわけで、昼間、一人きりで水族館に居る。そんな不自然な私に話し掛けてくる彼はいったい、なにを考えているのだろうか。問いたかったが「ナマエさんは何してんの?」なんて聞かれたらと思うと、悍ましくて聞けなかった。

「五分くらい待ってたんだけど隣、誰も来ないから」
「……五分間監視してたの?」
「監視、というと急に犯罪っぽくなるね」

見惚れてただけだよ。
そう届いて、私は脳内にある「見惚れる」の意味を、誤って記憶しているのではないかと不安になる。それか、彼が誤用しているか。
私は引き続き、隣の男ではなく、狭い水槽で職務を全うする哺乳類を眺める。彼からの視線には、気付いている。横顔、自信ないから、そんなに見ないで欲しい。いや別に、正面も自信ないけどさ。

「で、誰も来ないからさ。まさか一人なんじゃね?って思ったんだけど、違った?」
「ひとりだよ」
「あ、まじ?よかった」
「……嫌味?」
「いや、違う違う。つーかやっとこっち見てくれたね。そしてそんな睨まなくても」
「こういう目付きなの」
「嘘じゃん、ナマエさん目、可愛いもん。いや目だけじゃなくて全体的に可愛いけど」

あ、久しぶりに言われたな。異性から「可愛い」なんて。びっくりするもんだなぁと、びっくりしている自分にびっくりした。そういえば花巻くんはよく「可愛い」と言ってくれるような人だった気がする。そういう人って、貴重だと思う。彼と離れて気付いたこと、その一だ。

「飲む?」

声を出さない私に、彼は手に持った派手なデザインの紙コップをひょいっと掲げ、差し出す。戸惑っている私に、続ける。

「カルピス好きだよね?意外に」

そう問われ、なにも返事をしないまま、ひやっとしたそれを受け取る。

「……わざわざ、買ってから声掛けたの」
「ん?え、うん」
「……いいのに」
「いいえ、心ばかりのものですが」

離れて気付いたことその二。花巻くんはかなり、相当、優しい男性に分類されると思う。初めて花巻くんの家に行く前に寄ったコンビニで、買ったんだっけ。
ナマエさんジュースとか飲むんだ、かわいーね。水かお茶か……それもルイボスティーとかジャスミン茶とか、コーヒーしか飲まなさそうなのに。コーヒーはアレね、粉じゃなくてドリップするやつ。
そんなことを、言ってくれたっけ。陳列棚からカルピスを選ぶだけで「可愛い」の評価をくれるんだな、この男は。随分、甘い審査員だ。

「ありがとう」

それだけ。その五文字だけを返す。
喉元までやってきた「そんなことよく覚えているね」は、慌てて飲み込む。心の中に、ぎゅうぎゅうに圧縮して押し込む。

「いいえ、どういたしまして」

花巻くんはそう言って、前を見る。だから私も、同じ方向を見つめた。でももう、悠々と泳ぐそれらに対する興味は薄れていた。
隣の男の方が、よっぽど気になるから。

もっと適当でいいんだよ、ナマエさんは
仕事、出来過ぎちゃうからさ
ナマエさんの適当は一般市民の本気だから
ナマエさんが本気出しちゃうと、追いつけないんだよ
だから六割くらいの力でいーんだって
誰も気付かないし、咎めないよ

そう、あの日。さっき思い出した言葉の、続き。今回の件よりずっと前のあの日。花巻くんにもこうやって言われたんだ。
咎める、なんて言葉知ってるんだ。
私はまず、歳下の優しい恋人をそうやって罵倒した。半笑いで。で、いま以上に根性論的なもので生きていた当時の私はそのまま勢いよく逆上して、野生の肉食獣が咆哮するかのように、別れると突拍子もなく告げた。彼の困惑したような、見知らぬ土地に投げ出されたような表情は、今も脳裏にある。花巻くんは教えてくれていたのだ。わかっていたのかもしれない。未来予知が使えたのだろう。私がいつか、こんな、平日真っ昼間にイルカショーに参列するダメな社会人になる、と。

「ナマエさん、元気だった?」
「休み?今日」
「質問答えてくんねーんだ」
「花巻くんも答えないじゃん」
「休みだよ。いまの仕事不定休なんだよね、忙しかったり暇だったりでさ。つーかイルカ、マジ賢いね。ワンチャン俺より賢いんじゃね?」
「何してるの?」
「ん?何って」

元カノ口説いてる。
ふうっと笑んだ彼にそう告げられ、意味を理解できない私はじいっと、固まってしまう。「なんの仕事してるの?」と質問をしたつもりだった。いま、この瞬間の話はしていない。そんなことくらい、文脈でわかるだろうに。今度は花巻くんが前を向いたままで、でも彼の色白な肌が、耳が、じゅうっと染まるのは、わかる。恥ずかしい発言だったと、わかっているのか。可愛い人だな、と思う。自分で勝手に、言ったくせに。

「ま、あんま上手くいってねーけど」

漫画とかドラマみたいに、上手く行かないもんだね。運命の再会を果たしたってのにさ。
じゅるっと、ソフトドリンクを啜って、残念そうに、うんざりするように。中身、何だろう。コーラかな、映画館で飲み物頼む時、大抵そうだったもんな。あ、意外と覚えているんだな、こういうの。好きだったからか。あ、そっか、私、花巻くんのこと結構好きだったんだな。で、多分、花巻くんも私のこと、結構好きだったのだ。隣に掛けた彼から漂ってくる香水が懐かしくて、その香りごとぎゅうっと、抱きしめたくなったりしている。
彼女、だったらなあ。まだ私が彼の恋人だったのなら、許されるのに。それってものすごい特権だったのだと、こうなって気付く。私はやっぱり、どうしようもないのだ。仕事も、私生活も。キャリア・ウーマンなんかじゃない。いい恋人でもない。ただの無能なのだと打ちひしがれる。

「……そうじゃなくて」
「そうじゃないの?」
「……花巻くんは、聞かないの?」
「なにが?」
「なんでこんな真っ昼間に、一人でこんなとこいるのって」

自分で声にして、自分でうんざりした。なにしてんだろ、私。触られたくないところに自ら、手を引いて触らせて。彼の気遣いとか、優しさを無碍にしている。あの日も、いまも。やっぱり無能なのだ。無能、ムノウ、ムノー。

「……つーかマジでひとりなの?ラッキーすぎんだけど」
「仕事は?って、聞かないの?」
「え、なに?聞いて欲しいの?」
「……聞いて欲し、くはないけど。でも普通聞くでしょ」
「んー、そうだね」

そうかもね、でもさ。
花巻くんはいっしゅん考え、そして言う。あんまキョーミないかも、と。

「つーかそれより、いま彼氏いんのかなー……とかさ、好きな人いるのかな、とか。その辺が気になる」
「…………興味ある?それ」
「大アリ。寧ろそれしか興味ない。あとさ、腹減ってる?」
「え?」
「このあと空いてる?飯行かない?」

怒涛の質問ラッシュ。返事をする合間さえ与えられないまま、彼は真剣な顔で私を見つめる。相変わらず、白い肌はほんのり火照っている。
なんかこんなの、運命みたいだからやめて欲しい。
私が今日ここに来たのは、彼を思い出したからだ。だいたい、一年弱。それくらい前に別れた彼のことを。
あれは久しぶりの、何の予定も入っていない休日だった。昇進して役職を与えられ、比喩でもなんでもなく「バリバリ」と仕事をこなし始めた時だ。休日はあるようでなくて、でもその日は珍しく、仕事の皺寄せもなかった。美容院もネイルサロンも脱毛もまつげパーマもピラティス……はサボりだけど。とにかく、まっさらな休日。泥のように眠って過ごそうかと思っていた。しかしなぜか目は覚めてしまって、布団の中でうだうだする私に、彼は告げた。昼過ぎだったと思う。
息抜きしなきゃダメだよ、ご飯も食べたほうがいいし、家で一日中寝てるのもまぁ悪くないけどちょっと外出てぼうっとした方がいいって、と。
半ば無理やり叩き起こされる。化粧が、身支度が面倒だと嘆く私を「そのままでじゅうぶん可愛いって。洋服もTシャツにデニムでいいし、日焼け止めだけ塗ればいいんじゃねーの?髪はほら、俺のキャップ貸すからさ」と宥め、帽子の中に私の前髪を引っ詰めると、ここに連れてきた。大人二枚お願いします、と。未だ気乗りしない私を館内へ誘導する。ここまでずっと、外出を渋っていた私だが、一歩、足を踏み入れると雄大な魚たちに心癒され、よちよちと歩くマゼランペンギンは愛おしく、なにを考えてエラ呼吸をしているのか不明な深海魚は趣があって、非常に気に入った。連れてきてくれてありがとうまた来たいな。そんなふうに、伝えたと思う。そうしたらなぜか彼はジンとして、また来よう、毎週来ようって、今日購入したチケットに追加料金を払って、年間パスポートにしてくれた。本人確認のために証明写真を求められ、日々の疲れとノーメイクでどこからどう見てもやさぐれていた私は今度でいいと拒否したが、花巻くんが「俺としか来ないんだし、俺とここの職員さんしか見ないじゃん」「つーか朝も言ったけど可愛いって。俺、メイクしてる時のナマエさんも綺麗で好きだけど何もしてない時も好きだよ、子どもみたいで可愛くて」なんて。閉館間近、人がゾロゾロと出ていくエントランスで声高らかに必死に述べる。恥ずかしくって、どうかしてしまいそうだった。興奮気味の彼に「やめてよ」と告げるがあまり効果はなく。何故か水族館の職員さんも彼に便乗して「今日作った方が絶対にお得ですから」「本当に毎週、来てくださいね」「またお二人とお会いできるの楽しみにしています」と。そうやってにこやかに笑うものだから、こそばゆくて嬉しくて、擽ったかった。

「俺、よく来てたんだよ。ここ」
「……好きなんだね、水族館」
「そういうわけではなくですね……ナマエさんってもうちょい察してくれる感じの人じゃなかったっけ?」
「一年ぶりだからね、ちょっと鈍ってるのかも」
「まあ好きだけどさ、水族館。どちらかと言えば」

そうじゃなくて、……そうじゃなくて、なんか、ナマエさんのこと思い出す度に来てた。未練がましいよね、キモいでしょ?
こちらとチラッと覗き見た彼に、言えばいいのだろうか。貴方のSNSを探し出して、近況を知ろうとしていた私の方がよっぽど、気持ちが悪いしタチが悪いよ、と。

「連絡しようと思ったこともあったんだけどさ。ナマエさん嫌いじゃん、そういうの。絶対無視されんなー、最悪着信拒否とブロックのダブルパンチ食うだろうな、と思って」
「……私、そんな最低?」
「最低とかじゃなくて。白黒つけてくれるタイプだからさ、ナマエさんは」
「性格がキツいだけでしょ」
「そう?凛としてていいじゃん。でさ、未練がましい俺はその度にここに来ちゃってさ。あの時作った年間パスポートで。ナマエさんに想いをはせたりして」
「馳せる、の意味わかる?」
「わかるよ、漢字は書けるか微妙だけど。だからもう、イルカショーの開催時間も把握しちゃってるわけですよ。三十手前の独身男性が、ですよ?もう見飽きてんのについフラフラっと。まぁ他の展示も見飽きてっからさ。でも、来てみるもんだね」

そう、結局、あれっきりだ。あれから一ヶ月も経たないうちに私は叫喚し、この年間パスポートはスポットライトを浴びぬまま来週、期限が切れる。今日はようやく、日の目を浴びたのだ。花巻くんが所持していたパスポートは何度か出番があったらしい。幸福な人生だったろう。

「ごめんね」

なぜ今更、この年間パスポートをふうっと思い出したのか。いや、忘れていたわけではないのだ。私はしっかりばっちり覚えていたのに、必死に「忘れようと精一杯努力していた」のだ。その為に必要以上に仕事に力を入れたりして、結果的に空回って、それで。

「え、だめ?飯」

別れようなんて言わなきゃよかった。会いたかったし、声が聞きたかった。花巻くんSNSやめちゃったんだっけ?またやってないかな?って血眼になってアカウントを探す夜は少なくなかった。生理前だからだ。仕事でストレスがかかっているからこんなことしてしまうのだ。そう言い聞かせもしたが、わかっていた。別に、そうじゃない。これは私の本来の姿なのだ。しかし、こんな自分は見窄らしくて惨めで情けなくて大嫌いだ。目を背ける為に、花巻くんを思い出さない為に仕事に熱を注ぎ、休日にはぎっしり予定を詰めた。そうした結果、結局、誰からも、どこからも、鬱陶しいと思われている。私もこんな私を、醜いと思っている。いつの間にこんな、格好悪い女に、格好悪い大人になったのだろう。

「ううん、そうじゃなくて」
「飯はいいってこと?」
「ちょっと聞いてよ、話」

私は、色々下手くそなんだろうな。勉強もスポーツも、家事もそれなりにできるけど、加減がわからない。あと、変にプライドが高いから「できない」が悔しくて「努力」を選んでしまう。そして「できない側」に火を吹く。もっと頑張ってよって、強要する。自分の苦しさを、相手にも味わわせようとする。

「あの日、ごめんね」
「……どの日?」
「ごめんね」
「え、いや、どの日?」
「……私が怒鳴った日。花巻くんが正しかったのに怒ってごめん、図星だったから怖くなって怒っちゃった」

ドナッタ?と。
彼はその単語の意味を知り得ないかのように繰り返し、そして「あぁ」と、力の抜けた顔をした。ナマエさんが別れようって言った日ね、と。どうやら花巻くんは、別のタイトルを付けてラベリングしていたらしい。私の醜態よりも別れを告げたことの方が記憶にあるんだ。この人はやっぱり優しいのだな、と痛感した。タイトルの異なった思い出を擦り合わせ、一致したところで、私はもう一度、謝る。

「ごめんね」
「……いや、いーけど、そんなの」
「そんなの、じゃないでしょ」
「怒った?のはどうでもよくて……てかナマエさん怒ってた?」
「怒ったよ。野生の虎みたいに」
「ヤセイノトラって?虎?タイガー?」
「うん、タイガー。肉食動物の」
「……マジであんま記憶ないな、ソレ。つーかナマエさんが怒るとしたら大抵俺が悪くない?」
「……それはぜったい、そんなことないよ」
「つーかソレ、俺も悪いじゃん。タイミングとか、ナマエさんのこととかなんもわかってなくて。言葉の選びとかもよくなかったんでしょ、どうせ」
「違うよ、そんなことないの、ほんとに」

どこまでも、優しいんだな。何でこんなに優しいのだろう。惨めになる。哀れだと思う。自分の心の狭さが。職場の同僚に呆れ、大きなため息を態とらしく吐いて「もっとちゃんとやってよ」「できないんならできないって言ってよ。間に合わないって言ってよ。誰が尻拭いしてると思ってんの?」なんて、何様?としか言い表せない発言をしてしまう自分が、本当に情けない。ハッとして謝って、そして上司が「ごめんなー、こいつ真面目だからさ。お前らはもうちょっと進捗報告すること。ミョウジはもうちょっと部下に歩み寄ること。な?」と締めくくってくれたおかげで、最悪の状況は避けられたが、それでもかなり、酷かった。少なくとも私は、私のような上司に従いたくない。こんな人間が、肩書を持つべきじゃない。瞳の奥が熱くなる。
「私、こんなにどうしようもないのに、なんで花巻くんは優しくしてくれるの」って、聞きたくなる。あぁ、慰めて欲しいと思ってしまっているのか。最低だ。慰めてもらう資格なんてない。肯定してもらう権利なんてない。罵られる要素しかないくせに、ほんと、何様なのだろうか。
なんでまた、愛してもらえると思っているのだろうか。どこまで図々しいのだろうか。

「それよりさ、別れようって言った方をさ、なんつーかこう……謝って……欲しいわけじゃないんだけど……なんつーか、改めて欲しいというか」

だから、なんで?なんで私なんかを口説くの?大丈夫だよ、花巻くん。貴方、平均よりずうっと格好いいし、背も高いし、お洋服のチョイスも相変わらず可愛いし。
ものすごく、どうしようもないほどに優しいし。

「良い感じに、無かったことにしてもらえたりしないですかね」
「……私、好きな人いるから」
「……やっぱ誰かと来てるんじゃん。どこにいんの、ソイツ。イケメン?なんか不満とかない?俺話聞くよ」
「すぐ近くにいる、イケメン。それですごい、優しいんだよね」
「え、なに、惚気?俺泣いちゃ……え?なに?なんでナマエさんが泣いて、っ」

好きな人、目の前にいる。どうしようもないくらい優しいから、いま、こんなどうしようもない私の目の前に居てくれてる。
じわっと溢れそうになる涙を、どうにか表面張力で留めたくて、上を向いた後でそう告げる。すると彼はぶわっと、頬を染めた。桃の花のような、綺麗な色に。そして狼狽える。「え」と「なに」と「どういうこと」を繰り返し、困ったように「俺、別に優しくないよ。ナマエさんのこと好きだから、大事にしたいだけ」って、とんとん、背中を摩ってくれる。

2023/12/17