シンデレラ・ボーイ | ナノ
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「もしもし、」
「なまえさん?楓」

告げられた名に、電子小型機器を通して聞こえる少年の声に、心臓がざわざわした。彼だとわかっていた。ディスプレイにちゃんと、彼の名が表示されたから。わかっていたのに、こんなにも騒めくものだろうか。いっしゅん声が出せなくて、数秒遅れて「こんばんは」と、とても普通に挨拶をした。彼からは愛想のない「こんばんは」が返ってくる。まだ彼のことは何も知らないが、これが彼の通常だと、やっぱりどうしようもなく勝手な私は勝手に解釈しているので、特にどうとも思わない。流川くんはどちらかというと、たっぷりと間をとって話すタイプだ。そしていま、私は、最近感じたのことない緊張のせいでのろのろ話している。だから、会話のリズムが狂っていた。幅広く、緩やかなテンポ。

「試合」
「ん?」
「練習試合……あ、いま平気?」
「あ、うん。大丈夫だよ」
「試合あるから、電話した。練習試合だけど」

あ、覚えててくれたんだ。嬉しくなって、彼にこちらの表情が見えていないのをいいことに、ふうっと笑んでしまう。電話機を発明した、なんちゃらベルに敬意を表する。いい文化だ、電話は。文明の発展に大きく貢献した人物の名を、この電話を切った後で検索し、確かめてやろうと思う。それくらいには、偉大な発明家に感謝していた。

「本当に連絡くれた」
「なにが」
「忘れちゃってると思ってた」
「忘れない」
「ね、忘れてなかったね」

ふと、思い出すことがあったのだろうか。それとも、ずうっと頭の中にあったのだろうか。どちらにせよ、普通に、とても嬉しかった。私は、あの日の出来事を何度も繰り返し思い出し、じわっと心をほぐしていたから。彼も同じように、一瞬でも一秒でも、あのワンシーンが頭に浮かんだのなら、それは非常に、光栄なことで。

「次の土曜、試合開始が十時で」

そんな私の心情を、彼はもちろん、察したりしない。淡々と述べられる開催事項。ちょっと待って、と慌てて告げた。

「流川くんちょっと待って、メモするから」
「うん」
「手帳……あ、はい、だいじょうぶ、教えてもらってもいい?」
「次の土曜の十時」
「次の土曜の、……じゅうじね。十時は試合開始時間?」
「そう」
「ちょっと前に行ってた方がいいのかな」
「……時間過ぎたから会場入れない、とかはないからどっちでもいいんじゃない」
「そっか。でもはじめっから観たいし、ちょっと早めに行くね」

会場も告げられ、私は復唱して確認をする。うん、そう、合ってる。相変わらず淡々とした返事がやってくる。

「嬉しい、楽しみができた」
「来る?」
「ん?」
「なまえさん、来る?」
「うん、行くよ。バスケする流川くん観たいし」

あと、もう一回会いたいし。
あ、多分これは言わない方がいいな。そう判断し、引っ込めて、思う。以前も、その前もこうだったなぁ。思わず苦笑する。どれを伝えていいのか、伝えない方がいいのか。それを頭の中で考えてから言葉を発するのは、かなり気を遣う。普通に、溢れそうになるから。今日は何してたの?学校楽しい?寒くなってきたね、あったかくして寝てる?
そんな他愛ない台詞を届けてもいいのだろうか。なんなんだこの人って、嫌がられたりしないのだろうか。さっき発言した「バスケする流川くん観たいし」も、あまり適切でなかったろうか。ぐるぐるそんなことを考えて、何も発することができず、自ずと沈黙が訪れる。あ、そうだよね、歳上の私が、ピリオドを打つべきだよね。

「ありがとう、電話くれて」

それじゃあね、おやすみ。
そう締めくくろうとしたのに、そうはならない。

「待って」
「ん?なに?」
「…………なんでもない」
「え、なにそれ、気になるじゃん」
「なんで来るの」
「あ、やっぱやだ?」
「やじゃない」

流川くんはちょっと黙った。それから、言った。それは私が「電車でちょっと会っただけの人が行くの、迷惑だよね」とおちゃらけて伝えようとした、少し前のことだった。

「なんで、来てくれるの」

少し、ほんの少し声のボリュームが絞られたように感じたが、私は自分勝手で、その上かなり都合がいいので、気のせいかもしれない。少し恥じらいを含んでいるような、ぼそっと、気まずそうな声。これも勿論、私の都合のいい耳が都合よく、勝手にそう感じ取っているのかもしれない。

「……さっきも言ったけど、バスケしてる流川くん見たいし」

もう一回会いたいなーって、思ってたから。
それを伝える。言わない方がいいだろうなゾーンに置かれていた言葉を告げたせいか、彼は「そう」「わかった」「じゃあ」と、矢継ぎ早に言葉を残し、電話を切る。
ふーん、なるほど、コレ、たぶん、言わない方がよかったな。ごめん、流川くん。ちょっとお姉さん、調子に乗ってしまって。誠に申し訳ない。
フォローにもならないと思うが、短いメッセージを送る。変なこと言ってごめんね。電話ありがとう、楽しみにしてる、と。すぐに既読がついて、次の瞬間にはスマートフォンが震えている。彼からの着信。訳がわかっていないまま、通話を繋ぐ。
「別に、言われてない」と。それがぽつんと鼓膜を震わす。

「え?」
「変なことなんて言われてない」
「……そう?」
「そう」
「ふふ、それでわざわざ連絡くれたの?」

優しいんだね。
そう告げる。流川くんはまた、黙る。あ、今度は間違いなく、困らせちゃったな。意地の悪いことを言ってしまった。可愛いなぁと思うし、実際「可愛いね」と言いかけてしまい、やっぱり慌ててブレーキを踏む。その代わり「おやすみ」と、今度こそ眠る前のご挨拶を。彼からも同じ言葉が返ってきて、またじわじわ、ほぐれる。その言葉から数秒経っても通話が終了しないので、私の指先で終えてしまう。力が抜けていく。そのまま、ベッドに沈む。先程まで彼の声を伝えていたスマートフォンが妙に愛おしく感じて、別にそうしたところでどうにもならないのに、それをぎゅっと握る。
あーあ、どうしよう、なんか、すっっごく、悪いことしてる気分だ。
なのに凄く、幸福なのだ。私、こんなの知らない。ってことは、こんな感情って、抱いてはならないものなのだ。

2023/03/30