シンデレラ・ボーイ | ナノ
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いつもの駅、いつもの電車、混んでも空いてもいない。いつも通りのこと。いつもと違うのは、ゾッとするほどに綺麗な男の子が、立ったまますうすうと眠っていることだった。席は空いているのに、だ。だから、余計に目立った。せめて座って眠ればいいのにと、可笑しかったのだ。日常に馴染まない長身の美少年が、立ったまま眠る。目を引くにはじゅうぶんすぎる材料だった。
そんな彼だったからだ。落とし物に気付いたのは。この駅で降りるのだろう。停車直前のことだ。スマートフォンだろうか、それとも交通系のICカードか。詳細は不明だが、彼が大きなバッグからその辺のものを取り出した際、何かが溢れる。車内の床に落ちたそれはぺしっと情けない音を出したが、どうやら彼はそこそこの音量で音楽を楽しんでいるらしく、虚しい落下音は聞こえていないようだ。

「あの、っ」

無論、私の咄嗟の呼びかけも聞こえていない。他の乗客は気付いているのかいないのか。知ったこっちゃないが、私にやや冷ややかな視線が刺さっているような気はした。被害妄想かもしれないが「お前が最初に気付いて声をかけたんだから最後まで責任取れよ」みたいな、そんな圧を感じる。ハイハイ、責任取りますよ。私もここで降りて、追いかければいいんでしょ。落ちたのは生徒手帳だ。拾う。申し訳ないが一応、と中身を確認する。先ほどの美しい少年の顔写真。え?証明写真ってこのクオリティで写ることあるの?可愛く映る写真アプリで加工した?あ、いや、違う違う、そうじゃなくて。それどころじゃないのだ。その横に「流川楓」とある。綺麗な字面だ。顔面だけでなく、名前まで美しいとは。名字、珍しいな。何て読むんだろう。ルカワ、でいいのだろうか。ナガカワ……ナガレカワ、って長いもんな。語呂も「ルカワカエデ」が一番優美だし。
って、だから、そんなことを考えている場合じゃないのだ。彼のものだと確信した私は、慌てて電車から脱出する。自分が降りる予定の、一つ前だった。降りた瞬間、ドアが締まる。ギリギリセーフ。数メートル先を行く彼を追う。あし、ながっ。歩くの、早い。スタスタ、というオノマトペがしっくりくる。すぐに息が上がるが、皮肉なことに彼を追う速度は上がらない。そろそろ六センチのヒール、慣れたはずなのに。「あの」とか「ちょっと」とか。こちらの情け無い呼びかけは、相変わらずイヤホンのせいで遮断され、届いていない。

「の、っ……あの、っすみません、っ」

ほとんど全力疾走で、ようやく彼に追いつく。ガシッと、バッグのショルダーを掴む。くるっと振り返った少年は、これでもかと、美しい造形の顔をしていた。突然のことにやや驚いた様子ではあるが、すっとイヤホンを外してくれる。この美しさ、いったいいつから?ねえ、スマホに幼少の頃の写真とかある?ちょっと見せて?そう問いかけたくなるのを飲み込み、言った。あの、これ、たぶん、落としましたよ、と。彼は不思議そうに、ゆっくりとそれを手に取る。少し考え込み、そしてこの一連の流れを把握したようで、ゆっくり私を見つめる。

「すみません、勝手に中、見ました」
「……ありがと、ございます」
「ど、どういたしまして。ごめんなさい、掴んで、きゅうに、」
「いや、ありがとうございます、すげー助かりました」
「あ、いえ……そんな、ぜんぜん、私も、よくもの、落とすので」

人間って単純だ。美しいものを眺めていると、心が和らぐのだから。季節が巡り、暖かくなれば入社して一年が過ぎたことになる。なのに、まだ社会には馴染めない。そしてまだ水曜日、週の折り返しだ。あと二日、アラーム音で目覚め、無理やり身支度を整え、出勤をしなければならない。帰宅後メイクを落としシャワーを浴び、歯を磨いてベッドにダイブするのが精一杯の毎日。ボディークリームをたっぷり塗り、マッサージで癒しの時間、なんてもってのほかで、堂々と浮腫みっぱなしの足。終わりかけの恋人にLINEの返信をする気力はあったりなかったり。それが私の定番なのに、今日は違った。この人を見ていると、じわっと、ほぐれる。数秒見つめているだけで、体温が上昇するのがわかった。いいな、この人と同じ学校の子たち。毎日学校行くの、楽しいだろうな。

「……あの、」
「っ、あ、ご、ごめんなさい、綺麗で」
「え?」
「え?あ、っちがっ……いや違くないんですけど、っす、すみません、私、じゃあ、これで」
「……ちょっとまって」

さて、無事、任務完了。ホームに戻ろう。
そう思い、踵を返したところで、声がかかる。がしっと、今度は私が掴まれる。バッグのショルダーじゃない。私の、腕だ。

「ここじゃないの?」
「え?」
「降りる駅」
「……もういっこ、さき、です」
「…………なんで降りたの」
「なんで、って」

なんでって、なんでだろう。普通に、人として当然では?
あ、いや、すごく最低なことを言うと、この子だったからかもしれない。別の人だったら、声は掛けたと思うが、わざわざ降りたかと問われると……どうだろう、ちょっと、そうなってみないとなんとも言えない。今日が特に予定もない休日だったら「あ、はい!降りていましたよ!」と断言できる。でも、いま、私は一刻も早く家に帰って一刻も早く眠りたいのだ。なのに、わざわざ降りた。
なんで?
この子が、美しかったから。
うわ、それって、最低じゃない?我ながら。

「電車、すぐ来る?」
「でんしゃ……ど、どうですかね、すぐ来ると思うけど」
「じゃあ、待ってる」
「え?」
「オレも一緒に待つ」

そう言って彼は、改札を通らず、来た道を戻る。え、なんで?なんでそうなるの?おかしくない?早く帰りなよ、高校生。

「だ、だいじょうぶですよ、私、大人だし。か、楓くん?は、早く帰ったほうが、」

私の言葉のせいだろうか。むっとした彼は振り返って私を見下ろし、言う。「なんもできねーから、それくらいする」と。
なんもしなくていいんだよ高校生なんだから。黙って大人に助けられなよ。
そう思うが、飲み込んでおく。彼の少し後ろを、申し訳ない気持ちを抱えながら歩く。背中、でかっ。何年生なんだろう。聞いてもいいかな。
あ、あと、名字の読み方くらい、聞いてもいいかな。

2023/03/30