7周年 | ナノ
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「ねえ蛍くん、ちょっと来て、これ見て」

洗面台から恋人を呼んだ。ちょっと待って。素っ気ない声が返ってくる。先程まで読書をしていた彼だ。たぶん、キリのいいところまで読んでしまいたいのだろう。
スマートフォンのデイスプレイ。時間を確認する。あと十五分で家を出なくてはならないが、そんなことはさておき、去年のクリスマス、イルミネーションの前で蛍くんと無理やり撮ったツーショットはいつ見ても頬が緩む。迷惑そうな、うざったそうな彼と決して可愛くはないが非常に幸福そうに笑む私が、我ながら良かった。

「お待たせ、なに?」

ぬっと、彼が顔を出す。写真の中の彼も良いが、実物はもっと良かった。先日髪を切ったから、それもまた良いのかもしれない。この人が私の恋人だなんて信じがたかった。ふふっとにやける私に、蛍くんはやっぱり、うんざりした様子だった。

「……要件は?」
「あ、ごめん。髪、巻いてほしくて」
「はあ?」
「この辺跳ねてるでしょ?それをなんかこう……いい感じにして欲しくて」
「髪なんか巻いたことないんだけど。あと指示が不明瞭過ぎ」
「動画見ればできるよ、蛍くん器用だし」
「嫌だよ、ソレ熱いんでしょ?火傷とかしたらどうするの」
「だいじょうぶ、自分でよくやるし」
「いや、そういうことじゃなくて」
「お願い、時間ないの。蛍くんならできるから」

そうやって煽て……僕のこと五歳児だと思ってんの?
不機嫌そうに言いながらも彼は私のスマートフォンで再生される「用意するのはストレートアイロンとヘアオイルだけ!不器用でもカンタン!外ハネボブが五分で完成!!」という見出しの動画に視線を落としてくれる。五歳児よりもずっと聞き分けがいい。

「後ろがね、見えないから難しくて」
「ハイハイ、わかったからちょっと待って」
「ごめんね、ありがとう」
「何時に出るの?」
「あと……十分ちょっとかな?」
「……もっと早く頼んでくれない?」
「蛍くん、本読んでたから」
「無駄なお気遣いどうも。タオル首に巻いて。怖いから」
「はーい」
「これもう使えるの?」
「うん、あっためておいたからだいじょうぶ。ここ熱いから気を付けてね」
「はい、前向いて。ぜったい動かないで」
「ふふ、はーい」
「……なんでそんなに楽しそうなの」
「嬉しいんだもん」
「なにが」
「蛍くんが、髪の毛いじってくれるのが」

そおっと触れる指先が擽ったい。鏡越しに見える彼の真剣な表情が格好いい。ひとつひとつの気遣いが嬉しい。それらがぜんぶ混ざって、幸福としか言い表せない気持ちが生まれる。あーあ、行きたくないなあ、職場の送別会。せっかくの休みなのに。蛍くんと一緒にいたいのに。こんな日に限って、メイクが上手くいくのだ。まつ毛は根本からバチっと上がったし、眉も綺麗に描けた。先日購入したモーヴピンクの眉マスカラも程よく発色し、髪色とよく合っていた。コスメボックスの奥底で眠っていたアイシャドウ、付けてみたら意外と可愛かったんだよなあ。ベースに塗ったほろほろっとしたラメが可愛いクリームシャドウと、ネイビーのアイライナーとの相性も良かった。昨日リップクリームをたっぷり塗ったせいか、唇のコンディションもいい。蛍くんとデートの時は上手くいかなくて自分に嫌気がさすのに、こんな、どうでもいい日に限って。

「はい、いいと思うけど」
「ほんと?ありがとう」
「オイルは?」
「え?付けてくれるの?」

否定も肯定もしない。これ?と。それだけ言って、動画で説明していた通り、毛先から馴染ませ、全体に。前髪に残った分を塗ってくれる。やっぱり器用なんだよなあ、頭もいいし、今は全く関係ないが、顔もいい。背も高い。
今でもたまに、いや、しょっちゅう思う。この人、本当に私の恋人か?私のこと好きなのか?って、思う。

「ありがとう」
「どういたしまして」
「可愛い?」
「可愛い可愛い」
「思ってないでしょ」
「思ってますよ」
「蛍くん、聞かないの?」
「……主語がない質問、やめてくれる?」
「何時に帰ってくるの?とか」

男の人いないの?とか。
性格の悪そうな質問だった。私の声色も相まって、とても、非常に、嫌な感じだ。

「あのさ」
「うん」
「思ったことぜんぶ、言えばいいってこと?」
「……例えば?」
「ナマエさんみたいに、バカみたいに」

ずいっと、彼が私を、この狭い脱衣所の壁に押し付ける。もう付き合って二年と少しが過ぎるが、こうやって蛍くんに見下ろされるのは、いまだにドキドキする。

「だいだいさ、なんで可愛くしていく必要があるの?」

蛍くんの声色も、いい感じに不機嫌だった。下腹部がゾクゾクするのを感じて、ますます送別会が嫌になる。空から槍でも降ってこないだろうか。

「このワンピースだって、僕、見たことないんだけど」

それは蛍くんが悪いよ。先週、蛍くんが私とのデート、ドタキャンしたんじゃん。仕事だから仕方ないけどさ。

「僕と会う時、こんなアイライン引かないよね」

あぁこんな数ミリのことにも気付くんだ。嬉しくなる自分に思う。私も蛍くんのことが好きで好きで、たまに「可笑しいのでは?」と思うが、どうやらそうではないようだ。
私も、彼も、可笑しいようだ。
そうだよ、だって蛍くんとセックスすると、苦しくて気持ちよくて泣いちゃうんだもん。その時、アイメイクがヨレても汚くないように、蛍くんと会う時は赤とかピンクしか使わないんだよ。落ちたって黒とかブラウンみたいに目の周り、汚くならないから。知らなかったでしょう?

「よく気付くね、そんなこと」
「好きだからね」

突然やってきた「好き」に、私は分かりやすく有頂天。加えて、首筋に唇が這う。わ、やった、と思う。我慢できなくて、声に出す。

「蛍くん」

送別会行くのやめる、エッチしたい。エッチしよ?
背伸びをしたって全く届かないが、精一杯爪先立ちをして、彼の耳元に向けて、言う。すっかりその気になった私に、はあ?と、呆れた声が返ってくる。

「ちゃんと行きなよ」
「……エッチしないの?」
「しないよ」
「じゃあ、なんで」
「ほら、時間じゃない?」

再びスマホのディスプレイを確認する。相変わらず幸せそうな私たちと出発予定時刻を二分過ぎた時刻が表示される。

「やだ、なんで行かなきゃいけないの」
「なんでって……社会人として当然のことでしょ」
「……だって、いましたい」
「…………帰ってきたらね」

はあ、と大きなため息を添えて、蛍くんはうんざりした顔で。帰宅後の楽しみができた私を玄関まで押し出すように見送り、早く帰ってくるね、と笑む私に言う。

「あのね、僕、ナマエさんが思ってるよりナマエさんのこと好きだよ」

たまに自分でも嫌になるから。
そう聞こえた気がするが、気のせいかもしれない。聞き返す前に、彼が扉を締めてしまう。そして、スマートフォンにメッセージが浮かび上がる。彼が、私に宛てた文章だ。私たちの幸せいっぱいの写真を背景に「楽しんで」と「さっさと帰ってきてね」が、浮かび上がる。

2023/02/12