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土曜日には、雪が降るらしい。電車の中で近くに立っていた女の子たちが話していたのを聞いた。四時間半のアルバイトを終え、草臥れた身体と精神。そこに加えてそんな話が耳に届いて、嫌だなぁと、つくづくげんなりした。一郎くんと会う約束をしている土曜日に雪が降るのも嫌だったし、今日がまだ火曜日で、その日まであと三日もあるという現実も嫌だった。最近、とにかく時間が合わないのだ。約束をしていた日に私が体調を崩したり、一郎くんに外せない仕事の依頼が突如舞い込んだり、私のバイトのシフトが急に変更になったり。些細でよくある、どうしようもない理由ばかりだ。だから鼻を曲げたって仕方ないのはわかるが、いくらなんでも寂しい。手のひらサイズのディスプレイに表示される文字じゃ足りない。電波を通して届く声じゃ足りない。素直に伝えればいいのかもしれない。でも、一郎くんに面倒だと思われたくなかった。いつも不自然なくらいに優しい彼だ。私が言えば多分、大切なことを犠牲にして会いに来てくれる。それは避けたかった。それに、もし一郎くんも同じ気持ちなら。私と同じで会いたいを募らせていたらあの人は勝手に会いにくる。会いたいって言ってくる。多分、そんな感じの人だ。残念ながら、私はそんなに正直で澄んだ人間じゃない。会いたいって伝えた時の彼のリアクションが気になって言えやしなくて、こうやっておひとりでフラストレーションと虚しさを抱えてみるものの、いい加減抱えきれなくなって、全部どうでもいいやって、自暴自棄になったりして。我ながら面倒な女だと思う。家までの道のり、考えるのは大好きな彼のことばかり。バイト前に送ったメッセージは読んでもらっているようだが返信がなくて、それもまた私の「どうでもいいや」を加速させた。

「なまえさん、おかえり」

もしかしたらって思って、もしかしたらって思って期待している自分が浅はかで嫌で、もしかしたらなんて思わないようにこの十数メートルを歩いてきたのに、私に向かって発せられた声は大好きな一郎くんの声だった。自宅のマンション近くの街灯に、彼はぼんやりと照らされている。手にはコーンポタージュ。私がさっき通ってきた道にポツンと設置されている自動販売機で買ったのだろう。それを両手で包んで、鼻は赤くて、もっと厚手のアウターでも羽織って来ればいいだろうに、マフラーもせずに佇んでいる。「ただいま」と言うのが正解なのだろうが、それよりも先に言ってしまう。どうしたのって、問うてしまう。

「ん?」
「なんで、」
「この間、会う約束してたのに俺のせいでダメにしちまったから」
「…そんな、仕方ないよ。仕事だもん」
「ってのは建前で、ごめん。普通に会いたいから来ただけ。土曜には会えるってわかってたんだけど…」

力が抜けたような、柔らかい笑顔を見せ、私が嬉しくなってしまう言葉を彼はくれる。鼻の奥がじわじわ痛くて、泣いてしまいそうになっていることに気付いた。これ以上好きにさせないでほしい、今だってこんなに好きで、もうどうにかなってしまいそうなのに。また会いたいって思っちゃうよ。今日こうやって会いに来てくれたから、また不意打ちで来てくれるんじゃないかって。会いたいって念じて強く思っていたら、会いに来てくれると期待してしまう。そんなに彼は暇じゃないし、こうやって私のために時間を割いてくれることが、会いに行ってみようかなと思ってくれることが嬉しくて、それでじゅうぶんなはずなのに。

「悪い、急に。そういう気分じゃなかったか?」
「ううん、違う、嬉しい」
「ごめんな、連絡もしないで」
「びっくりした」
「びっくりするかなって思ってた」

一郎くんが私の頬に触れる。いつもは温かい手のひらが冷たくて、左手に握られたままのコーンポタージュの缶はおそらくじんじんと温かかったはずだがもうすっかり、熱を失っていて。

「一郎くん、いつから待ってたの?」
「え?あー…いつからだったかな」
「…覚えてるくせに」
「あはは、怒んないでくれよ。本当、覚えてないんだって」

風邪でも引いたらどうするつもりだろうか。彼の家のこともある、仕事もある。一郎くんは、なんか、こういうところがある。自分をぞんざいに扱うというか、己のことはいつも二の次で無理をするのだ。もっと楽に生きればいいのに、なんか、こう、上手く言えないのだが、どうにかしてやりたくなる。そんなに頑張らなくても大丈夫だよ、もうじゅうぶんだよと、口に出すのは簡単だが彼の隅々まで知らない私がそれを言う資格はないような気がして、声には出せない。私に彼を掬い上げる力があればなと、もどかしくもなる。だいたい二年、私が長く生きているのにどうしてやったらいいか全く、わからないのだ。どうしようもなくて、結局、ギスギスした言葉を伝えることしかできない。

「…一郎くん、もうちょっと自分のこと大事にしてよ」
「ん?うん、了解」
「わかってないでしょ、意味」
「なぁ、なまえさん」

家寄ってもいいか?
耳に、彼の息がかかる。最近彼は、こういうことを覚えた。ずるくて、いじらしくて、私がどうにも対応できない術を身につけた。こちらの返事なんてわかりきっているくせに、私が返事をするまで、彼は楽しそうな表情を保ったまま、何も言わない。絞りに絞った、ほとんど聞こえないような声量でイエスの旨を伝えるとニカッと笑って、私の手を取って、私のペースに合わせて歩いてくれる。一応、私の方が早く生まれているはずなのに一郎くんの方がずっと大人で余裕があって全部見透かされているような感じで、悔しかったりする。私だってもっと、大人みたいな恋愛がしたい。年齢的には成人してオトナという区分に振り分けられているし、一郎くんの区分はまだコドモなはずなのに。こうなってしまうと完全に彼のペースだ。冷たい手のひらが繋がったって結局冷たいだけなはずなのに、触れ合わせていると熱く感じるものなのだ。部屋に入ればほろっと解け、ぎゅうぎゅう、一郎くんが包んでくれる。私の「待って」は彼の耳に届いているのだろうか。洋服の中にスルリと入ってくる彼の指はやっぱり冷たい。思わず身体が強張ってしまう。それを瞬時に察した彼は一瞬、手を引っ込める。

「っ、ごめん、冷たかったな、」
「ううん、へいき、」
「いい?」

こうやって何度か身体を重ねているが、未だに許可を取られるのがなんとなく可笑しく感じて。いつもなら可愛子ぶってゆっくり頷くのだが、今日は背の高い彼の綺麗な顔をじいっと見つめて、言ってみる。ダメだと思うのって、必要のない質問をする。私の言葉を聞いた彼は一瞬不思議そうな顔をして、でもあっという間に唇を貪ってくれる。このくらいなら、ちょっとくらい我儘でも強引でも構わないのに。彼は少々、大人すぎる。いったい何が彼のこの、絶妙なバランスを築いたのかはわからない。出会った時からずっとそうだ。いつもこちらが優先で、自分のことは後回し。まだ、十代の男の子だ。もっとなりふり構わず、好き勝手にしていいのに。彼は自身に大きな枷をつけているような、そんな男だった。付き合って暫く経てば何か変わるかもしれないと、そんな風に思っていたがそれもなく。好かれているのもわかる、大切にされているのもわかるが、何となく、変な気遣いを感じてもどかしくもなるのだ。まぁ、そんなことを考えられたのもつかの間で、溶け合う舌と欲しい量を与えてもらえない酸素のおかげで、脳は活動を放棄し始めた。程よく散らかった狭い部屋の隅にあるベッドは何度かこういうシーンを経験しているはずだが、いまだに毎回、ギシッとやかましく軋む。いい加減慣れてくれないだろうかと思ったりもするが、向こうからすれば文句があるのなら買い換えろと主張するのが筋だろう。わかりきっていることなのでいちいち喧嘩を売ったりしない。

「ねぇ」

一郎くんの指先が体温を取り戻しているのか、私の肌が冷たさに慣れたのか、どちらなのか判断がつかなかった。いつもはされるがままな私が一郎くんに声をかけたのは、大きくて柔らかさのない彼の手のひらが下着の金具を外し、膨らみにやわやわと触れている頃だ。もっと強く触ったって壊れやしないのに、擽ったいくらいの刺激しかよこさない。そんなところが好きなのだろうと言われれば、まぁそれは確かに一理あるのだけれど。

「好きだよ」

身を寄せて、突然、それだけ言う。ピアスを開けた跡がある耳元で、こっそり、内緒話をするみたいに。顔を赤くする彼を見ると、私に初めて好きだと、そう伝えてくれた彼を思い出す。あの頃ももう、彼はちゃんと大人だったけれど、好きとか、そんなことを言うのにはまだ少々躊躇いがあって、可愛かった。それがしばらく経ったらこれだ。好きもおはようもおやすみも、全部サラッと言いやがる。私はまだ、一郎くんからの好きに全く、慣れない。口に出して気付いた。自分が彼に好きだと言う方がまだ、恥ずかしくない。綺麗な、澄んだ瞳に捕らえられて好きだと真っ直ぐな声で伝えられるより、よっぽどよかった。そして多分、見たところ、それは彼も同感らしい。唇を寄せた耳は、じんじんと熱く、赤く。

「一郎くんのこと」
「…どうしたんだ?急に、」
「一郎くんのこと、すごい好き」

じんわりと滲む程度だった赤が、どんどん色濃くなっていく。染まる頬を手のひらで包むと、歳下の可愛い男は少々ムッとしていた。子ども扱いされるのが嫌なのだろう。彼の性格だ、その心理はなんとなくわかる。わかるから、どうにかしたくなる。

「からかってんのかよ、」
「違う、なんか…一郎くん、わかってないような気がして」

化粧水も美容液も塗っていない男の肌はやや乾燥していたが、それにしてはじゅうぶんすぎるくらいに綺麗だ。彼は結構、戸惑っているようだった。こういう空気の時は大抵、私はされるがままだから。だいたい、まともに「好き」と伝えたことがあったろうか。こんなに簡単な二文字を渋っていた自分はどうかしているのではないかと思う。たったこれだけのことで、こんなにも可愛い彼が見れるのだから。まだ意味がわからなそうな彼に続けて言う。好きって、それだけ。単純で飾り気のないそれだけを繰り返す。それが喧しかったのか鬱陶しかったのか、もういい加減にしろよとそんな感情が重なった唇から伝わってくる。ぐにゅぐにゅと舌が絡んで、もっと欲しくて仕方ないのにすぐに離れてしまう。耐えられない私が自ら貪ろうとするが、怒ったような…いや、困ったような…それとそれが半分ずつくらいの彼に阻止された。吐息がもあもあ、私たちを包む。

「…好き、」
「それはわかったって、」
「一郎くんは、私のこと好き?」
「…そりゃ、まあ、」
「好き?」
「…好き、です」
「私の方が好きだよ、たぶん」
「は?なんだよそれ…」
「好き」
「だから…!」
「一郎くん」

私も彼に言ってやろうと思った。おはようとおやすみと、それと同じくらいに好きだと、そう伝えようと思った。好きは透けて見えたりしないし、手に取ることもできない。声に出したってあっという間に消えてしまう。だったら絶えず、何度でも言おう。何より、飽くことなく再び発しようとしていた私の唇を塞いだ彼の瞳が潤んでいたような気がするから、たくさんたくさん、声に出そうと思った。今にも泣き出しそうなのに、精一杯溢れないように堪える彼は、可愛い子どものようで、ひっそり安心するのだ。偉いね、痛かったね、今までずうっと我慢してたんだね、大人だねって褒めてあげたい気持ちをぐっと抑え、たっぷり抱きしめる。漸く温まってきた彼の体温が愛おしくて、何も掬ってやれない手のひらで彼の大きな背中を何度も、何度も摩るのだ。
ダサいラブ

2019/03/08 title by 草臥れた愛で良ければ