×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
引越しは思っていたよりも面倒でなかった。あの、事故とも言える引っ越しからさして時間が経っていなかったからだろう。プロポーズをした黒尾とそれを保留にしたなまえは新しい部屋で以前と変わらぬ生活を送っていた。変わったことと言えば、寝室を共有していることくらいだろうか。暖を求め布団に潜り込み、録画してあった年末特有の賑やかでどうでもいいバラエティ番組をほどほどの集中力で眺める。

「足つめった…風呂浸かってんの?」
「女の子は冷えるんです〜」

それはなまえにとって、賭けに近いものだった。眠る時くらい自分の好きなようにさせて欲しいと思っているタイプの人間だからだ。二人の生活リズムは近いようで若干遠く「あれ?帰ってきてたの?」とか「えっ、もう出たの?昨日あんな時間に帰ってきたのに?」とか、そんな風に思うことも多々あったわけで。だから寝室くらい別にした方が互いの負担にならないのではないかと思っていたが、この時期に誰かと眠れるのはとても良かった。単純に、あたたかいからだ。

「黒尾さんあったかい」
「そうでしょうそうでしょう、あったかいでしょう」

黒尾の身体は心地よい。つい擦り寄りたくなって、冷えた足先をくっつけてしまう。最初はそこそこ嫌がられたが、この頃はなまえの冷たい身体が普通に心配なようで、拒否することも驚くこともなく、暖をとらせてくれる。

「手は?」
「て?」

身を寄せ合って眠る。そうするとなまえは、大抵のことが許せるようになった。お客から伝えられた自分に宛てられるのは理不尽だとしか思えないクレームとか、不機嫌な上司からの八つ当たりとか、後輩の「えぇ、私ソレ知らないですぅ」みたいな言い訳とか、そういうのがどうでも良く思えた。終わり良ければすべて良しなのだ。黒尾のぬくもりは草臥れた自分をほぐしていくような、そんな素晴らしい効果があって。

「わっ…つめて、って…」

で、だ。この男は無意識なのかわざとなのか知らないが、時々こうやって不意にこちらをドキドキさせる。爪先同様、冷えた指先。黒尾は自分よりも随分小さな手のひらを包み、あたためてやろうとするが、そうされた女は突然のことに恥ずかしくなるわけで。はあ、と熱っぽい吐息がじわじわ伝わり、何も言えず黙りこくってしまう。男の顔など見れるわけもなく、筋張った手を眺めるがそれはそれで大好きなパーツなので、なんだかもうやりきれなくて。

「そんな顔しないでもらえます?」
「…そんな顔って、どんな顔?」
「えっ……なんかめちゃくちゃ可愛い顔」
「可愛くないでしょ、別に」
「なんかさー…そういうところありますよね」
「なに、どういうところ?」
「どういうところっ、て…」

パチン、視線が交差すれば「あ、コレ、そういう雰囲気だな」とどちらともなく悟る。もそもそ、布団の中で黒尾が動く。覆いかぶさって、唇を重ねた後で聞いてくるのはいかがなものかと、なまえは困窮するのだ。

「…やだ?」

嫌ではない。全然、全く、嫌ではない。ただ、無償に恥ずかしかった。こうして一緒に眠るようになったら、そういうのがわかりづらくてなまえは結構…不満……とまではいかないが、やや物申したいと思っていたのだ。以前の住まいでは、分かり易かったのだ。黒尾はそういう時「今日俺の部屋来て」と言ってくれたし、なまえが御所望の時は「今日黒尾さんの部屋行ってもいい?」と尋ねればよかったから、それはそれは、分かり易かった。

「なんか言ってくんね?」
「……やじゃない、」
「ほんと?」
「その、…なんていうか、久しぶりだから」
「ん?」
「……久しぶりだから、恥ずかしい」

自分から誘うことなどできず、我ながらその辺りは慎ましくて可愛いと思うが、勿論溜まっていく感情もある。黒尾は元々そこまでがっついているタイプでもない。その辺りが相まって頻度が減った。だから、たまにこんな空気になるとどうしようもなくなるのだ。もう、何度も重なった。互いの気持ちの良いところなんてわかり切っている。黒尾はなまえのどこに触れてどこにわざと触れないでやればいいかわかっていたし、なまえだって黒尾がどうすれば喜ぶのか、じわりと興奮するのかよく知っていた。それでもなんだか、恥ずかしくて、でも触れて欲しいとは思うから、相当面倒な感情が身体中に充満する訳で。

「…黒尾さん?」

自分をじいと見つめる黒尾を不審に思い、名を呼んでみる。ハッとした男は若干気まずそうに、不思議そうに、組み敷いた女に問うた。

「恥ずかしいの?今更?」
「そう、今更恥ずかしいの。だからあんまり見ないで欲しいです、」
「それはちょっと無理です」
「なんで、」
「なんでも」
「じゃ、もうちょっと暗くしてほしい、」

まだ眠る気はなかった二人だ。黒尾は相変わらず家具を選ぶセンスが良くて、この部屋には間接照明が幾つか置かれている。リビングに比べれば暗い。しかし、抱き合うとなるとなまえにとっては少々躊躇ってしまうくらいの明るさだ。要望を伝えてみるものの、男は不満そうに声を漏らす。

「えぇ〜」
「電気、暗くして、」
「見えないじゃん、そしたら」
「見えるよ、知らないけど」
「あっち消せばいい?」
「…あっちはいいから、ここの電気」
「顔が見えないでしょう」
「見えなくてもいいでしょ?」
「すみません、あっち以外は交渉不可です」
「なんで、やだ」
「恥ずかしいとか言っちゃうなまえちゃん、レアで可愛いじゃん」
「意味わかんない、恥ずかしいよ普通に」
「前はお部屋行ってもいい?って可愛らしく言ってくれてたのに?」
「それは言えたの、」
「じゃあ何が言えないの?」

黒尾からの質問に対してなまえが黙ったので、部屋は元気なタレントたちの声だけ。それも必要ないと思ったのだろう。黒尾はサイドテーブルに置いてあったリモコンを手に取って電源を落としてしまう。あっという間に静粛が作られて、なまえは相変わらず何も言えなかった。質問の内容を忘れてしまったとは思えないが、黒尾はもう少しわかりやすく、同じことを問う。

「ね、もうなまえちゃんからは誘ってくれないの?」
「……って、…だって、黒尾さんがしたいかどうかわかんないんだもん、」
「俺?俺は大体いつでもオーケーよ」
「やだ」
「やだってなによ」
「わかんな、っ…やなの、やだ」
「…なに、泣いてんの」

突然のことに黒尾もおたおたして、またサイドテーブルに手を伸ばし、ティッシュペーパーを数枚手に取る。頬を伝う涙を染み込ませ、組み敷いていた彼女を抱きかかえ、背中をさする。

「ごめん、嫌だったね」
「違くて、」

なにも嫌じゃない。不安で仕方ないのだ。仕方ないからもう溢れてきて、言わない方がいいとわかりつつ、言葉にしてしまう。黒尾の優しさに、甘えてしまう。

「なんか、私ばっかり好きなのかなって……黒尾さん、あんまり…その、してこない、から」
「え?」

なまえがのろのろ話している間、優しい男は小さな背中を大きな手のひらでさすっていたわけだが、よく理解ができない発言を聞くとガバリと身体を引き剥がし、キョトンとした顔で女の潤んだ目を見つめる。

「なに?どういうこと?頻度が少ないってこと?」
「すくな……少ない、と言うか、その…」
「物足りない?」
「物足りなくないの、違くて、」
「一応俺、週一って決めてたんですけど」

今度はなまえがぽかんと、男を見つめる。何それ、私たちの共同生活における掟に、そんな項目あったっけ?という具合だ。

「……なに、そのマイルール」
「適切な頻度かな、と」
「誰調べ」
「俺」
「なにそれ」
「なまえちゃん、俺、この尋問結構恥ずかしいんですけど」
「知らないよそんなの、なんで勝手に決めるの」
「え、なに?じゃあもっとしていいの?」

黙るなまえ。それを見てやや嬉しそうな黒尾。若干ムッとした女だが、ここは素直になろうとこくんと頷いてやる。女の返答に、黒尾は湧き上がる感情を隠すことなどできず。ほろほろと崩れる表情。やばい、と思って冷静を装い「あら、そうでしたか」なんて言ってみるが、その表情とその言葉はどう考えてもミスマッチだった。

「やめて、そのテンション。こっちが恥ずかしい」
「スミマセン、欲に忠実なもんで。つーか、とりあえず今日はこのまましていい?」
「…ダメって言ったらしないの」
「しないよ。俺、なまえちゃんが嫌がることはしたくないので」
「さっき電気消してくれなかったじゃん」
「あ、そうですねスミマセン」
「…黒尾さん、いっつも優しいから」
「物足りない?」
「そうじゃないけど、」

もうひとつ、言いたいことがある。男のスウェットの裾をぎゅうっと握っちゃったりして、ねぇって可愛い声を出してみたりして。

「黒尾さんの好きにしてほしい、」

まだ、瞳には少しだけ涙が残っている。うるうるの目で好きな女にそんな風に言われたら、枷などつけておく必要もなく。そのまま浅く、深く口付けて今一度組み敷く。静かな部屋、絡む舌、上がる体温。煩い心臓の音が聞こえてしまわないだろうか。いや、そんなことどうだっていいか。

2020/01/14