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忘年会なんて開催しなくても、職場でのこの一年の記憶なんてもう既にほとんどないのに。上司の有難いお話を聞き流しながら、なまえはそう思って、ヘラヘラ笑った。彼が面白い話をしているのかは正直わからない。でもまぁ、一応女の子だし、ニコニコしておけば大抵、こういうシーンは丸く収まるのだ。二時間半、四千円の会費。数字を見るとさして飲んでもいないのに吐き気がした。二時間半あれば黒尾さんの隣であのDVDが観れるのに。四千円あればその際の飲食費も、ちょっと贅沢したって賄えるだろう。それを考えだすと悲しくなるのでやめた。光熱費だと思うしかない。こういうのは、生きる為に必要な経費なのだ。上司に注がれたぬるい瓶ビールは、この世のものとは思えないくらいに、不味かった。

「おかえり、お疲れ」
「ごめん、遅くなっちゃった」
「いいえ、とんでもない」

行きましょうか、と白い息。迎えに行くよと言い出したのは彼で、なまえは拒否をしなかった。いつもなら「悪いなぁ」とか「申し訳ないなぁ」と思うのだが、いいの?と甘えた。そうしてもらわないと、頑張れなかったのだ。師走、忙しない日々にやさぐれていたからだろう。そこに加えて大嫌いな会社の飲み会が予定に組み込まれていたのだ。二時間半我慢したら黒尾さんに会えるって、そう思わないとやっていられなかったのだ。

「つーか、店から出てくる皆様をそおっと視察してたんですよ、ちょっと遠くから」
「こわっ、黒尾さんてそういうところあるよね」
「どういうとこよ。話逸らすんじゃないわよ」
「ふふ、何ですか?」
「男の比率多くない?」
「黒尾さんの気の持ちようじゃない?」
「そんなことないと思うんですけど」

午後十時になろうというところ。割り切った二時間半を過ごしたなまえはほとんど食事にありつけなかった。好きか嫌いかの二択を強いられれば「嫌い」に分類される人々のグラスを空にしないという目標は、些か無理があったようだ。隣でやや不満そうにする黒尾はあまり感情を表に出すタイプではないが(特に嬉しいとか楽しい以外の感情はあまり見受けられない)職場の男女比に不満を持ち、なまえが過ごした二時間半を勝手に想像して勝手に不機嫌になっているので可愛らしい。大丈夫、貴方よりも格好いい人なんて一人もいないから。なまえはそんなことを思って、しかし、それは本人に言ってはやらなかった。醜いと言われる嫉妬が、嬉しかったから。

「お腹減った」
「食ってきたんじゃないの」
「あんまり食べられなかったの。コンビニ寄っていいですか」
「いいですよ」

煌々と光を放つ看板に吸い寄せられるように入店。店内にはカップルと思わしき男女が一組、スーツ姿のサラリーマンがチラホラ。店員はそこそこの声量で「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。

「こんな時間に揚げ物食べたらまずいかな、メンチカツ食べたいんだけど…」
「俺もなんか食おうかな」
「夕飯食べたんじゃないの?」
「食べたよ」
「またコンビニのご飯?」
「うん、またコンビニ」
「太るよ」
「やだ、そんなこと言わないでよ」
「とか言って、太んないからムカつくんだけどね」
「いや、最近まじでちょっとやばいと思ってるからやめて」
「年齢的にね」
「悲しい話ですよ。あ、おでん食べる?ヘルシーじゃない?」

レジの辺りを二人できょろきょろ、物色する。心地よいテンポの会話。冬のコンビニのレジ回りは魅力的だ。揚げ物が食べたい欲求には駆られるが、明日の朝に胃が重たくなることを考えられるつまらない大人になってしまったのでその衝動はぎゅっと潰して丸めて、遠くへ投げる。

「おでんも食べたいけど、今すぐ何か胃に入れたいの」
「おでんいけるって」
「いけないから。汁びちゃびちゃになる」
「そんな酔ってないでしょ」
「やだよ、コート汚したくないし」
「買ったばっかだもんね」
「あ、私プレミアム肉まんにしよーっと」
「あ〜いいね、俺ピザまんにしよっかな」
「あとなんかいるっけ?」
「いや、平気。忘年会頑張ったので御馳走しますよ」
「え?黒尾さん財布持ってるの?」
「持ってるわ」

黒尾はジーンズの尻ポケットにねじ込まれていた財布を取り出す。すみません、と店員に声を掛けて熱々のそれが取り出されて。

「黒尾さんいいよ。私払うから、これくらい」
「これくらいだからいいよ」
「ううん、寒い中御迎えに来ていただけて嬉しいので私にご馳走させてください」

あ、ビール買って帰る?まだあったっけ?
支払いを済ませながらふと思い出したかのように問うが、黒尾からの返事はなく。男の名を呼ぶと彼は「え?何?」とすっとぼける。心優しいなまえはビールまだありましたっけ?と同じ言葉を繰り返してやる。

「ないような気がするけど、休肝日にするので結構です」
「何、どうしたの」
「君は度々僕を夢中にしますよね」

とてもいい意味で、可愛げのない彼女だ。あの春の日を黒尾は思い出す。なまえと出会ったあの日のこと。よく晴れたちょうどいい春の日。あなた失礼ですね、おかげさまで私はとても不愉快です。それが顔に書いてあったあの日。そんななまえが「迎えに来てくれて嬉しい」と顔を綻ばせる。そんなことをされたらもう、黒尾は恥ずかしくなっちゃう訳で、でもそれを悟られるのはなんとなくシャクで。

「えぇ、度々なの?私は四六時中黒尾さんに夢中だけど」

ニッと笑うなまえの発言がいつもよりも可愛らしく素直なのは、別にアルコールのせいじゃない。女の言葉の通りだ。黒尾がわざわざこんな寒い夜に守っていただかなくても平気な自分を迎えに来てくれて、職場の男女比に嫉妬し一瞬機嫌を悪くしてくれて、コンビニで数百円ご馳走しただけで(正確に言えばご馳走したから喜ばれた訳ではなくなまえの発言が黒尾を満たしているのだが)感謝される。だったらこちらもきちんと伝えねば。そう思っただけだ。別に、特別なことなんてありはしないのだ。ポカンと取り残された黒尾を横目に、女は会計をしてくれた店員に礼を言い、夜空の元へ。黒尾さん?とやや大きめの声。愛おしいが黒尾の中にどんどんどんどん、蓄積される。

「ねぇねぇ、半分こしよ」
「はぁ」
「…なに、どうしたの?食べ物シェアするの嫌なんだっけ?」
「俺の彼女、可愛いなあと思いまして」
「今更気付いた?ねえ、こっち半分にして。高校生みたいで楽しいじゃん」
「俺、高校生の頃に女の子と中華まん半分にしてシェアしたこととかないんですけど」
「私もないよ。イメージの話です」
「まじ?ちょっと安心したわ」
「意外と嫉妬してくれるよね、黒尾さん」
「好きですからね」
「ふふ、そりゃどーもありがとうございます。はい、これ肉まん。プレミアム」
「ありがと」

この時期特有のシンとした空気。周りに配慮しつつ、それなりに賑かなふたり。吐息は白く、夜の静粛にあっという間に溶ける。

「あっ、美味い。さすがプレミアム」
「なに?わかるの?」
「え?知らんけど」
「なにそれ」
「なまえちゃんと食べるものはだいたい美味しいよ」
「この間作った麻婆豆腐、やっとで食べてたじゃん」
「あれは辛すぎ、キレられてんのかと思ったわ」
「ごめんって。ねぇねぇ、寒いね黒尾さん」
「ん?マフラーいる?」
「んー?そうじゃなくて」

手が寒いなあ、黒尾さん。
なまえは黒尾を揶揄うように。半分に割った中華まんをさっさと口に放って、片手を空けてアピールする。

「…あー、はいはい」

黒尾もちゃっちゃか片手を空け、結ぶ。ぬるいふたつの手のひらが繋がる。

「スミマセンね、鈍臭くて」
「いいえ、とんでもない。それよりさ、」
「何よ」
「指絡めるヤツがいいなぁ、ギュッて」
「そっち派?」
「冬はこっち派。覚えといて」
「善処します」
「家、着かなきゃいいのにね」
「…それ本気で言ってる?」
「ううん、なんか雰囲気で言っちゃった」
「なんだそれ」

じゅっぽんの指を絡め、贔屓目かもしれないが幸福そうな彼女を見下ろして黒尾は思う。まあ、着かなくてもいいかって、本気でちょっと、思ったりする。

2020/01/06