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「#エロ」のBL小説を読む
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入店すると馴染みがあるが懐かしく、そして訳のわからない電子音がする。ファミリーレストランに、2人はいた。お煙草吸われますか?と尋ねてくる化粧っ気のない女は、まだ学生だろう。吸わないです、と木兎は告げる。お好きな席どうぞ。それだけ言い残して店員は去った。なんでこんな店に彼女と来ているのだろうか。不思議でならなかったが仕方ない。なまえのリクエストなのだから。

「なに食いたい?」

照明がオシャレで、飯を食うには相応しくない高さの、木の温かみを感じるローテーブルを置いたような、そんな女ウケがいい店もいくつか知っている。それらの店の従業員とそれなりに仲がいい木兎は、3つほど候補を用意していた。事前に確認すればどこも空席はあるようで、決定はなまえに任せようと、そう考えていて。

「1番近いところだと…」

先日のような降雪はなく、いつもの東京。しかし空気はシンと冷たくて、木兎もなまえもマフラーを巻いていた。夜は特に冷える。なるべく早く室内に入ろうと、そう思って待ち合わせた駅から1番近いイタリアンの店を提案しようと思った時だ。なまえが素っ頓狂な提案をする。

「あそこ、」
「ん?」

指をさしたのは周囲を煌々と照らすファミリーレストランの看板。学生の頃によくお世話になったなあ、ドリンクバーで数時間居座ったことを思い出して懐かしくなって、耳は彼女の言葉を疑って。

「あそこにしない?」
「え?」
「…だめ、かな?」
「いや、だめとかじゃないんだけど」

木兎としては、なまえとあのコストパフォーマンスの良いファミリーレストランはなんとなく結びつかなくて、ただただ疑問で。何故だろうか、もしかしたらあまりイタリアンが好きではないのだろうかと思い、少し離れた路地にある和食の店と、駅裏のホテルの三階に店を構えるカジュアル・フレンチの店も提案したが、女のリアクションは思っていたものと違って、困惑。困惑する木兎に困惑してしまうなまえに、木兎は言葉を足していく。だめとかじゃないんだけど。もう一度そう言って、思いがけない展開に動揺する自分自身を落ち着かせて。

「いいの?」
「…私は、いいんだけど…木兎くんは、」
「俺もいいよ、いいんだけど」

女の子ってなんかもっとこう、と。うまく言葉にできないのは、学生の頃と変わらない。木兎は自分を情けなく思えるほどには大人になっていたし、しどろもどろな男の反応がなまえは嬉しかった。あの頃のままだって、とても嬉しくって。

「うん、そうなんだけどね」
「だよね?」
「うん。でも、木兎くんとだから、なんかね、」
「ん?」
「木兎くんとだから、学生の頃に行きたかったところに行ってみたいなって、」

ダメかな?と、たっぷりこちらを見つめて言うなまえは、誰がどう見たって可愛らしくて、あどけなくて、時間を数年巻き戻しているみたいで、魅力的で。男はまた困ってしまう。目の前の、あの頃よりも自分をドキドキさせる女に、振り回されている。女のエスコートは上手くなったつもりだ。大学に通っていた頃はたくさんの女と付き合った方だと思う。本気で好きだった彼女もいた。好きでもなんでもない女もいた。ある程度こんなものだろうって、わかっていたつもりなのに。なまえは遥か上をいく。余裕、というそれがどんどん削ぎ落とされていく感じだった。もうほとんど、振り回されている。

「決まった?」

また店内に電子音、アルバイトの女の子。女はハキハキとメニュー名を口にする。ひょっとして、もしかして、あの頃もう少し目の前の女との距離を縮めていたら、制服を着てこうやって過ごすことができたのだろうか。高校の最寄駅にもこの類の店はいくつかあった。部活のチームメイトや、仲のいいクラスメイトとは何度も訪れた。説明無用で、楽しかったものだ。あの無垢な楽しいを、なまえとも共有できていたのではないか?こうして大人になってしまって、自分はすっかり、こういう店に来なくなって、それは当たり前なのかもしれないけれど、とても寂しいことなのかもしれないと、柄にも無くじめじめと、考えた。

「この間、ありがとう。送ってくれて」
「あぁ、全然」

ふたりきりというのは逃げられなくて、助けも求められなくて、追い詰められていく感覚だった。思考を止めれば、余計なことを口走りそうだったのだ。でも、口にしたいことはそういうことばかりなのだ。それは、お互いに、そうだった。木兎はなまえの結婚相手のことが知りたくてたまらなかったし、なまえは木兎が先日、別れ際に発した一言が引っかかり、ずっともやもやと心境を曇らせていた。恋人がいるのかいないのか。そもそも、それを嘘偽りなく自分に教えてくれるのかどうか。気になって仕方なかった。

「楽しかったね、同窓会」

四月のはじまりに肌をくすぐる柔らかい風のように、なまえが微笑んでそう言うものだから、男もつられて向日葵のようににかりと笑う。そうだね、楽しかったねという言葉は本心そのものだった。もちろん、楽しいという一色の感情だけではなかったが、懐かしい友人と懐かしい空気には高揚感を覚えた。

「高校の同窓会って成人式以来くらいだっけ?」
「うん、そうだね。久しぶりだったよね」
「みんな変わんないよなぁ」
「木兎くんも変わらないよ?」
「そ?」
「うん、あの…なんて言うのかな。もちろん大人になったなぁとは思うけど」

相変わらず周りに人がいっぱいいるし、かっこいいし、賑やかだし。
女はそれだけポツンと言って、安っぽいアクリルのコップに注がれた水を一口含んだ。木兎も同じことをした。そうする以外、どうしたらいいかわからなかった。

「ねぇ」

耳も頬も赤とピンクの中間くらいの色で染まった彼女は、自分の目を見てくれなかった。声をかけてもこちらを捉えないから、焦ったくて。あぁ、なんでこんなに躊躇わなくてはならないんだ。あぁそうか、彼女が、自分以外の男のものだと知っているからか。

「みょうじ」
「ん?」
「いいの?」
「なにが?」
「今日、俺とふたりで会って」
「…だめなの?」
「いや、」
「だめ?」

ドキッとするのは、当たり前だった。なまえはとても綺麗な女だし、加えて好きだった女だ。なお言えば、好きな女だ。これはたぶん今もきっと、好きなんだ。今すぐにでも手を取ってこの安っぽい空間から自分の部屋に連れて帰りたくなる。それをストレートに全部伝えたら、彼女はどうするだろうか。というか、自分はどうしたいのだろうか。婚約者のいる女にまた熱を注ぎたくなっている自分は、いったいぜんたいなにを考えているのだろうか。運ばれてきた食事は美味そうに湯気をあげていたが、味がわからないくらいには困惑していた。なにを話したのかも覚えていないが、適当に会話を繕って、愉快であれば笑って、女が腕時計をチラリと見たのでそろそろ出ようかと提案。一応また女を駅まで送ろうと、その途中、遊具なんてほとんど置いていない公園のベンチで、あたたかい缶コーヒーを飲みながら時間を潰している時だ。なまえの携帯が鳴って、初期設定の聞き慣れた音で、ごめん出るねと言われ、心臓がかき乱されて。

「もしもし?」

相手が婚約者なのは、考えなくてもわかった。吐く息はほわりと白い。彼女の小さな手を強く掴んでしまったからか、なまえはひどく驚いたような顔で、目を見開いて自分を見た。電話の向こうの相手に聞こえないくらいの音量で言う。自分の願いを、ぶつける。

「言って?」

女はそれを拒否することなんてできなかった。嬉しいわがままを断ることなんて、どう考えたってしなくていいことだった。わざと聞こえないふりをする。もう一度その言葉を聞きたくて、ずるいと、卑怯だと思いつつもきょとんとした表情を彼に向ける。そうしたら彼はまたくれる。欲しいと、どろどろと渇望する、愛おしい言葉をくれる。

「今日は帰らないって、言って」

嘘は、下手だったのに。
木兎のこと好きなんでしょ?同級生に問われて、そうじゃないと何度も否定したのに絶対に嘘だと、毎回そうやって見透かされたのに。もうすっかり上手くなった。女友達と一緒にいる、もうちょっとかかりそう、この間の同窓会で先に帰っちゃったから今日は離してくれなくて。そんなことを言ってやれば優しい彼は楽しんでねと言葉をくれる。言われなくても、と思って通話を切って、男の指と自分の指を絡めた。もっと触れたくて、触れられたくて、木兎もなまえも、そればっかりだった。

2018/02/19