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終わった?と問われる。赤葦さん、やっぱり仕事早いな。声の主に勝手に好きを募らせるなまえ。むあむあとした空気の給湯室から脱出し、引き続き残業。終わる気配がないとぐったりしていたが、終わるかどうかは自分次第だと、社会に出てからのこの数年で学んだので黙ってキーボードを叩く。彼とのあのやり取りは、なるべく思い出さないようにした。だって、あんなことを思い出したらもうなんか、色々、ぐちゃぐちゃになるから。

「もう終わります。赤葦さん、終わったんですか?」
「一応。手伝うよ」

火照った頬を冷ますのにしばらく時間が掛かってしまったせいか、なまえのデスクにはもう少々書類が残っている。ただ、嵩はかなり減っていたし、ゴールはすぐそこ、という感じだ。ひょこりと顔を出し、なるべくいつもの「赤葦さんが大好きな明るい自分」を滲ませて返事をする。

「え、いいですよ。私の分ですし」

それとほぼ同じタイミングで、赤葦は向かいに掛けるなまえの元へやってきて、書類を半分…いや、五分の三くらい持っていく。「え、いや、あの」と狼狽るなまえの声が聞こえていないのだろうか。独り言のように「終わるわけないじゃんね、こんなの」とぼやき、席に戻った。そして、特に表情を変えることなく、指先を滑らかに動かす。

「終わってるじゃないですか」
「残業してますからね」
「私、残業しても終わらないですもん。赤葦さん、やっぱり仕事早いですね。かっこいいです」
「はいはい、ありがとう」

いつものようにあしらわれた。よかった、いつも通りだとホッとしたが、寂しくもなったりして。随分わがままになってしまったものだ。返事があるだけで嬉しかったのに。なまえはそんなことを思いつつ、これ以上彼の足を引っ張ってはいけないと、再び赤葦に対する思考を遮断する。それっきり、二人は会話をしなかった。パチパチとキーボードを叩く音以外、ほとんど何も聞こえない。居心地は悪くなくて、なんとも不思議な気分だった。トータルで二時間弱の残業。終了した時には妙な達成感と当然の疲労感があって、じゃあ帰ろうかと共に乗車したエレベーターで気が緩んだのか、なまえの腹が鳴る。それも、割と大きめの音で。それでじゅうぶん恥ずかしいのに、畳み掛けるように「さっきもちょこちょこ鳴ってたもんね」とか「ていうか、だいたい毎日鳴ってるよね?ずっとお腹空いてるの?ご飯食べてる?大丈夫?」なんて言ってくるものだからもうなんだか、やりきれなくて。ひどいです、なんて言ってみるが、赤葦にこうやっておちょくられる経験などないわけで、擽ったくて堪らない。

「みょうじさん、家で何か作るの?」
「え、あ〜…いま冷蔵庫何もないし、作るのも面倒なので、帰りコンビニ寄ります」

会社を出て、駅を目指す。いつもと違う時間だからか、人気は少なく歩きやすかった。二人とも早く帰りたい。なのに、なんか、期待してる。それっぽい言い訳を探して、もうちょっと一緒に居られる方法を提案する。

「よかったら食べていかない?お腹空いてるでしょ」
「え?いや、だから、私、赤葦さんと二人っきりとか無理なんですって」
「…さっきも二人っきりだったし今も二人っきりじゃん」
「二人でご飯なんか食べに行ったら、デートみたいじゃないですか」
「え?牛丼でも?」
「牛丼でも」
「なんでそうなるの」
「だから、赤葦さんのこと好きなんですってば」
「じゃあ付き合えばいいじゃん」
「適当に言わないでください」
「適当だと思わないでよ」

ほら、何にするの。
赤葦は歩みを止める。歩き続けようとするなまえの腕を掴んで「なんでもいいなら大盛りにしちゃうよ?」って可愛らしく脅してくるが、なまえはそれどころでなく。
適当だと思わないでよ?男の一言がぐるぐる回る。意味がわからない。先ほどの一件といい、今日はいったい、何がどうなっているんだ。

「…自分で払います」
「いいよ」
「よくないです」
「牛丼くらい先輩に奢らせてよ。ね、お願い」

大人二人が券売機の前でぎゃあぎゃあ騒ぐのもどうかと思うし、掴まれた腕は頷かなければ離してもらえないというオプション付きのようだ。極めつけに大好きな彼に見つめられながら「お願い」なんて言われれば、なまえは降参するという選択肢しかないわけで。

「…並で、」
「並ね。味噌汁いる?ビールがいい?」
「…豚汁、頼んでもいいですか」
「勿論」

赤葦はやっぱり、まあまあ優しい男だ。己の分と彼女の分の食券を持って、暖かい店内。向き合って、アクリルコップに注がれた水を飲む。一息ついたところで、なまえが律儀にお礼を言う。言葉の意味は、いまだにわからない。

「すみません、ご馳走になって…ありがとうございます」
「いいえ。ごめんね、お洒落なイタリアンとかじゃなくて」
「そんな…赤葦さんとなら、なんでもいいです」

赤葦は比較的頭が回る方で、理性を持ち合わせている方だと自負しているが、ついに彼女からのグイグイとしたアプローチに黙ってしまう。これはいったいどの類の感情なのかわからなかった。彼女のことをこんなにもあっという間に好きになることってあり得るのか?残業マジック?いや、その前の廣山さんの家で執り行った鍋パーティーの頃からか?いやいや、そんな訳はない。ん?待てよ?だいたい自分は好きでない人間から好きだと言われて相手を好きになるタイプじゃないだろう。大学在学中に一瞬モテ期が訪れ、数人に告白されてそのまま何となく付き合ったが、全て長続きしなかったし、その子たちの顔と名前を一致させるのは骨が折れそうだ。つまり、だ。つまり、俺はみょうじさんのことを好きになってしまったのだろうか。しかもなんとなく流されたわけではなく、何かしらの魅力を彼女に感じ、好いているということになってしまう。というか、もしかして、結構前から好きだったのか?いやいや、え?そんな……と、赤葦は答えの出ない討論会を一人で開催する。それがぶつぶつ、ほんのり聞こえてきて、さすがのなまえも気味の悪さを覚えた。だいたい、今日の赤葦は変だったのだ。熱でもあるんじゃないかと、彼の額に触れる。ちょうどいい体温が手のひらに伝わるから「熱はないんですね」なんて淡々と言うが、触れられた赤葦はびくんと驚き、なんてことをするんだと女を凝視する。言葉が聞こえなかっただろうかと配慮したなまえが「熱、ないんですね」とゆっくりハッキリ言った辺りで食物が運ばれてくる。お箸どうぞ、と彼女が渡してくれる。

「いただきます」
「ねえ」
「はい?」
「どうやったら付き合ってくれるの」
「何言ってるんですか、赤葦さん」
「いや、ちょっとわかんないんだけど」
「何がですか?」
「俺、みょうじさんのこと好きかもしれない」
「…そんなわけないじゃないですか」
「やっぱり?でもなんか、好きな気がして」
「気のせいですよ」
「彼氏になれない?」
「え?」
「みょうじさんの彼氏。ちょっと食べてる間考えといて」
「え、だから付き合うとかじゃ、」
「いいからちょっと、真面目に考えて」

いただきます、と。赤葦はなまえよりもひとまわり大きな丼を持って食事を開始した。向かい合って座っているのに、すっかり取り残された女は食事どころではないがご馳走してもらったものに箸をつけないのも如何なものかと思い、とりあえず目の前のそれらを胃におさめる。なんで牛丼屋で告白するんだろう。ロマンチックの欠片もないな、と。そんな赤葦のことがどうしようもなく好きで、空っぽの胃は満たされていくし、なんだかとてつも無く、幸せだった。

2020/01/21