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「壁ドンしてもらえませんか」
「はい?」

残業、二人きり。節電とか何とかで、二人の周り以外の照明は消されていた。薄暗い社内。なのにパソコンの画面はうざったいくらいに明るくて気が滅入る。誰がこんなペースでスケジューリングしたんだ。終わるわけがないだろう、こんな量のデータ処理。

「急だね」
「赤葦さん気付いてないと思いますけど、一応勇気振り絞ってるんです、私」
「そうですか」
「ダメですかね、今度ご馳走するので」
「課金すればどうにかなると思ってるの?」
「しないよりは望みがあるかな、と」
「あまり気は乗らないですね」
「どうしたら乗ります?課金で心が動かないのであれば赤葦さんの好きなところベストテンとか発表しましょうか」
「ベストスリーでいいよ」
「三位からいきますね」
「話早いね、とりあえずコーヒーでも飲む?俺淹れてくるよ」
「まず、赤葦さんは仕事が早くて正確でかっこいい。コレ三位です。コーヒー私が淹れてきます」
「みょうじさん、元気だね」

疲労のせいか、女の口から発せられる言葉を理解するのに少々時間が掛かってしまう。仕事が早くて正確だったら今頃最寄り駅に着いているんだけどなぁ。なまえが席を立ったので赤葦も「手伝うよ」と声を掛け、立ち上がる。二人分なので大丈夫ですよ。女はそう言ったが、赤葦の目やら腰やらが大丈夫じゃなかった。座りっぱなしでガチガチになった身体を、無理やりにでも動かしてやらねば。

「赤葦さんと二人っきりで残業なんて、言わばボーナスタイムみたいなものなので」
「みょうじさん、ブラックだっけ?」
「私の話聞いてます?」
「ごめん、ちょっと何言ってるかわかんなくて」
「第二位はシンプルに顔が好きです。あと背が高くてスタイルがよくて、筋肉の付き方が綺麗」
「まだ続いてたんだね、ソレ」

真っ黒い液体をマグカップに注ぐ。すみませんやってもらって。なまえは赤葦の手を煩わせていることを気にしているようだが、そんなことは全く、問題でなかった。熱いから気を付けてと言葉を添え、それを渡す。

「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「一位なんですけど」
「え?」
「赤葦さん、優しさがさり気なくて、好きです」

ベストスリーを発表し終えたなまえは、勝手に満足そうな顔をしていた。そんな、女の子みたいな(なまえは間違いなく可愛い女の子なのだが)面映い顔で好きですなんて言われてしまうと、赤葦だって調子が狂う。おまけに今は疲労も蓄積して、彼女のいつものこのテンションを面白おかしく受け流すことができない。いや、普段の自分の返答が面白おかしいのかと問われると、それはちょっと、回答いたしかねるのだけれど。

「俺も好きだよ」

興味本位なのか、彼女を揶揄っているのか、本心なのか。
どれもしっくりこなくて、自分でもなんでこんなことを口走ったのか分からなくて、言葉を発した赤葦本人が、とても慌てていた。彼女の聴力が一時的に可笑しくなっていないだろうか。そんな、どうしようもないことを懇願するくらいに、男は困り果て、焦っていた。そんな赤葦になまえは気付いていないようだ。まあ、赤葦は思ったことが表情に出るタイプではなく、典型的なポーカーフェイスなので、当たり前といえば当たり前なのだけれど。コーヒーを一口飲んだ女は、とても普通に告げた。「いや、そういうことじゃなくて」と。

「そういうことじゃなくて?」
「赤葦さんは好きな女優さんとか……あと、可愛いと思うアイドルとかいますか?」
「あぁ、うん」
「あ、嫉妬するんで個人名は言わなくていいんですけど」
「あぁ、そうなの」
「その人と付き合いたいと思いますか?寧ろ付き合えますか?」
「はい?」
「付き合えますか?」
「圧がすごいな」
「つまり、そういうことなんですよ」
「どういうこと?」
「私、赤葦さんと付き合うとか無理なんです」
「…俺のこと好きなんでしょ?」

なんで自分からこんなことを言わなきゃいけないのだ。赤葦は「やっぱりこの女のことが苦手かもしれない」と思い直していた。好きだとあれだけ伝えてきたくせに、こちらの「好きだ」には無関心で、「彼女になりたい」と吐かすくせに「付き合うのは無理だ」と断言する。連中明けの疲労感ゼロの状態でも、彼女の趣味嗜好を理解することはできないだろう。だから、今日の俺に彼女を理解することなど到底不可能なのだ。諦めた赤葦は半分以上残っていた液体を一気に流し込む。ぼおっとしていた頭が少し冴えるが、冴えたところで「自分は勢いでなんてことを口走ってしまったんだ」と反省するわけで、コーヒーのカフェインなんかよりもアルコールが欲しくなる。

「はい、好きですよ」
「いいじゃん、じゃあ」

考えることが面倒になった男は、追加のコーヒーをマグカップに注ぎながらどうでも良さそうに言う。「晩ご飯何がいい?」と聞いてきた母親に「なんでもいいよ」と答えるのと同じ心理だった。なんでもいいというより、考えるのが面倒なのだ。

「よくないんですよ」

なんでわかんないかなあ。なまえは思う。赤葦は自分のオアシスであって、それ以上でもそれ以下でもない。恋人になりたいかなりたくないか?そりゃあなれるもんならなってみたいが、それはあまりにも現実からかけ離れていて、想像しにくい。赤葦と向き合って二人きりで食事をしたり、手を繋いで夜道を歩いたり、キスをしたりセックスをするのは、とても考えづらかった。そんなことになったら、気がおかしくなってしまいそうだから。だいたい、二人きりで残業なんて勘弁してほしい。彼のことが気になって、全然、全く仕事が進まないのだ。メイクよれてないかな、お腹鳴ったりしないかな、仕事遅いと思われてないかな、この邪念が伝わっていたらどうしよう。そんなしょうもないことが気になって仕方ないし、なまえにとってこれらは「しょうもないこと」ではないし。

「じゃあ、俺、どうしたらみょうじさんと付き合えるの?」

赤葦の言葉はなまえにとって理解不能だったし、赤葦自身もなぜ自分がこんなことを口走っているのか、意味がわからなかった。これじゃあ彼女とほぼ同類じゃないか。どうしようもない空気、溜まった仕事を一時放棄した罰だろうか。

「赤葦さんどうしたんですか。私、結構心配なんですけど」
「俺も俺が結構心配」
「もう帰りましょう、今日は。疲れてるんですよ」
「いや、それはちょっとまずい」
「じゃあ、私一人で残るので上がってください」
「いや、いい、大丈夫だから」
「赤葦さん、私のこと好きだなんて、よっぽどどうかしてますよ」
「みょうじさんだって俺のこと好きだなんてどうかしてるよ」
「私はどうかしてませんよ、正常です」
「俺だって、」

広くはない給湯室。なぜ視線が交わるとこうも、ドキドキしてしまうのだろうか。あぁ、コレ、多分、近付いてしまえばキスとかしちゃう空気だ。それを察した赤葦はパッと視線を逸らし、「先戻ってるね」と口早に告げ、触れたくもないキーボードを軽快に叩く。恋人でもない職場の後輩に、口付けをしようとしたのだ。煩悩にまみれた最低な自分に苛立ちに近い感情を抱く。給湯室に残されたなまえが蹲み込んで「キスするかと思った…本当無理、かっこいい……」と悶え苦しんでいることなど、知る由もないのだ。

2020/01/20