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新幹線でだいたい三時間、到着すれば雪がちらついていて、見慣れぬ景色に視線を奪われる。譫言のように寒いと漏らす私に彼は「これ使いますか?」と巻いていたマフラーを解く。「平気です」とお断りしたが、背の高い彼に声が届かなかったのかシンプルに私の意見を無視したのかはわからないが、ぐるぐるとそれが首に巻かれた。ひどく、熱かった。


***


急ですが、週末空いてますか?
温泉行きませんか?一泊二日で。
木曜の午後十時を過ぎた頃だ。滅多に連絡をよこさない銃兎さんが、ふたつの短いメッセージをくれた。文章の意味は理解できるが、これは私宛に送信されたもので間違いないのか、だとしたってなぜ急に旅行に誘われるのか、疑問ばかりが募る。何がまずいって、とっとと既読をつけてしまったのだ。早く何か返さないと。行くと言えばいいのだろうか。週末、特に予定はない。でも、この問いに対する正しい答えが「はい!喜んで!」ではない気がして、どうしたらいいのかわからなくて。そうしていると、こうだ。握っていたスマートフォンが震える。彼からの着信。勝手にハラハラしながら、喧しい心臓にちょっと黙っててよと念じて通話を繋ぐ。

「すみません、突拍子のないことを提案して」
「あ、いえ…それは全然……銃兎さん仕事中ですか?」
「いや、さっき終わった。今から帰る」
「お疲れ様です、気をつけてくださいね」
「……はぐらかそうとしてますか?」
「え?」
「はぐらかしたいのなら、電話に出るべきではないと思うのですが」
「はぐらかしたいなんて、そんな」
「予定ありますよね。こんな年末の忙しい時に」
「いや、違くて…予定はないんです。あっても開けますし……」

え?と。銃兎さんは素っ頓狂な声を出した。数秒遅れて余計なことを言ったと気付いた私がアワアワとしているのが電話越しでも伝わったのだろう。少し笑って、言っといて照れてんじゃねえよとちょっと楽しそうに指摘して。会いたくなっちゃうからやめてよ、と思う。会いたいですと言えば会えるのだろうか。いや、そんなことを望むのは許されないだろう。だいたい、余計なことを言って彼に嫌われるのは御免だ。

「本当にいいんですか?新幹線と宿、抑えますよ」
「新幹線?どこ行くんですか」
「当日のお楽しみにしようと思ったんですが…知りたいですか?」
「っ……と、当日のお楽しみにします」
「悪いな、返事急かしちまって」
「いえ、そんな…大丈夫です。すぐに返信できなくてすみません。なんか、信じられなくて」
「…何がです?」
「銃兎さんが私なんかのこと誘ってくれるなんて」

私の言葉は宙ぶらりんで、銃兎さんは何も答えなかった。数秒の沈黙の後、彼が「また連絡します」と「おやすみなさい」をくれた。私は「運転お気をつけて」と「おやすみなさい」を返す。
「なんで何も言わないんですか?」は、行き場をなくし、体内で彷徨っていた。


***


「少しくらい甘えたらどうです?」
今日の彼はなぜかずうっと私を気にしていた。

「すみません、お疲れのところ早朝から」
いいえ、銃兎さんの方がよっぽどお疲れでしょう。というか、どうやって連休確保したんですか?

「荷物重いでしょう、持ちますよ」
いいえ、全く。そんなにヤワじゃないので、自分の荷物くらい自分で持てちゃうの。ごめんね、可愛くない女で。

「窓側と通路側どちらがいいですか」
どっちでも大丈夫ですよ。銃兎さんはどっちがいい?いつもはどっちに座るんですか?ていうか、私、隣に座っていいの?ごめんね、私、貴方のことこんなに好きなのに、何にも。なんにも、知らないんです。

銃兎さんの優しさはこそばゆい。私は心の中では滑かに返答をしたが、実際に声に出したのは「大丈夫です」とか「平気です」とか「どっちでもいいです」みたいな、可愛げどころか面白味も愛想もないものばかりだった。銃兎さんはそんな私に呆れることも苛立つこともない。かと言って、楽しそうでもない。私の機嫌をとろうと媚び諂ったりもしない。(そもそも機嫌が悪いわけではなく、この状況に未だ慣れず緊張しているだけだから機嫌をとってもらう必要もないのだけれど)しかし、とびきりつまらなそうでもなく、本当によくわからなかった。特に話す話題もなく…いや、見つけられず、うとうとしていると銃兎さんが私の名を呼ぶ。「はい」と、車内で発するにはやや大きい声量で返事をしてしまって、恥ずかしいし、隣に座る大好きな男にクスクス笑われるし。

「すみません、もうすぐ…あと十五分ほどで到着するので、一応声を掛けようかと」
「…お気遣いありがとうございます」
「そんな驚くことないだろ、名前呼んだだけで」

驚くよ、そりゃあ。驚く…というか、嬉しいんです。「好きな人に名前を呼ばれると嬉しい」なんて感覚は、きっと彼には備わっていないんだろう。


***


そして、巻かれたマフラーはそのままに、温泉街をさっと散策して、彼が用意してくれた宿。行き届きすぎている接客に思わず尻込む。案内された部屋は展望のジャグジーがついていたが「貴方、こういうの嫌でしょう」と全てを見透かしたかのように言う彼はやっぱり何を考えているのかわからなかった。じゃあこんないい部屋予約しなければいいのに。それが私の顔に書いてあったのだろう。「こういう部屋しか残ってなかったんですよ」と穏やかに言って腰を下ろした。いまお茶を淹れますね、と美しく髪を纏めた女将が言う。「ありがとうございます」と言う彼の声は穏やかで、まるで私たちは普通のカップルのようで、泣きたくなったりもした。

「入間様、お食事は十九時でよろしいでしょうか」
「はい、お願いします」
「何かございましたらお呼びください。どうぞごゆっくり」

彼は頭を下げ、未だ茫然とする私もつられて会釈をする。静かに襖が閉まる。静粛が押し寄せる。彼が「そういえば」と、それを打破する。

「薔薇、浮かべられたんですよ」
「え?」
「薔薇、浮かべられたんです」

いやそれは聞こえてますけど。そう言いたかったが、彼にそれをそのままぶつけるのは些か失礼な気がして、私は黙って追加情報を待った。こんなに広い部屋でBGMもなく、しんとした時間が続くのは、数秒でも結構、かなり、気まずかった。

「勧められたんです、予約してる時に」
「薔薇?」
「産地直送の香り豊かな薔薇を展望ジャグジーに浮かべられますよ、と」
「薔薇風呂?」
「いや、もっと洒落た名前のプランだったが…流石に覚えてないな」
「断ったんですか?薔薇風呂」
「…断らない方が良かったですか?貴方がキャーロマンチック〜、と言ってくれるのなら浮かべますけど」
「キャーロマンチック〜って言ってキャピキャピ喜ぶ女が好きですか?」
「好きな訳ねえだろ、そしたら何で貴方と来てるんですか。こんな辺鄙なところ」
「…誘ったの、銃兎さんじゃないですか」
「悪かったか?」
「…悪いとかじゃないですけど」

なんでこんなに可愛げのない私を誘ってくれたんですか。
その一言は言えなかった。だんまりを誤魔化すために用意して頂いた緑茶を口に含む。淡い黄色のような黄金色のそれはまろやかで、冷えた身体を内側から温める。

「悪いな、こういうこと、ほとんどしてやれなくて」
「こういうこと?」
「旅行とか、デートとか、普通の恋人が普通にするようなこと」
「…そんな、別に」
「罪滅ぼしというか…まぁ、私の自己満足なんですが」
「私たちって、普通の恋人じゃないから、……普通の恋人がするようなこと、しなくていいんじゃないですか?」
「…あ?」
「…私たち、だって……じゅうとさん、そんな、」
「…何で泣くんだよ」
「私、勝手に好きなだけで、」

好きだ、と言われるのはベッドで交わっている時の雰囲気作り。誕生日に贈られる花束とジュエリーはセックスをしている対価で(私は彼のことが好きだから対価も何も必要ないのだけれど、建前としての品物だろうと黙って受け取っておいた)私が憂さ晴らしに飲み歩いても干渉してこないのは私に興味関心がないから。それらを掻い摘んで、途切れ途切れの拙い言葉で伝える。この間、銃兎さんは何も言わなかった。黙って、ずうっと黙って、今度は私が黙って、鼻を啜る音だけになった時に漸く話し出した。

「好きだよ」

好きだからこうやってこんな、腑抜けた恋人が泊まりそうな宿にいるし。
最中に好きだと言うのは貴方が可愛らしいからで…。
贈り物は…そうだな、ひっくるめると「好きだから」ですし。
干渉したいのは山々ですが、貴方、昔、言ってましたよね?束縛する男は嫌いだ、と。

「で?何で貴方は私に付いてきたんです?休みの日は家でぼうっとしていたいのでは?」

考えずともわかることだ。ただ、言ってもいいのだろうか。一瞬躊躇って、言うのが怖くて、でも、言ってしまいたくて。

「そんなの、銃兎さんのことが好きだからです」

私が小さく絞った声でそう言うと、新幹線の車内で無駄に大きなお返事をした私を笑った時と同じようにクツクツと肩を震わせ「知ってる」と言った。

「なまえ」
「…なんですか」
「お前、ほんと可愛いな。好きだわ」

知らない「好き」が降ってくる。恥ずかしくて擽ったく照れくさくて、何も言えないでいると意地の悪い彼は言うのだ。「私も好きですって言ってくれないんですか」って、ふざけたように言う。どうしようかなぁって、ポロポロ泣きながら笑った。そんな私を見て仕方ねえなって腰を上げ、隣にきて涙を拭ってくれる彼がどうしようもなく、好きだ。

2019/12/25