黒尾とルームシェア | ナノ
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「っ、なに、…っ」

とん、と備え付けのソファに貼り付けられた。玄関の鍵は彼が開けてくれて、私はその後ろをなにも考えずに、本当になにも考えずに歩いていたから、こうやって身体を沈ませている自分が不思議で仕方がなかった。覆いかぶさってくる黒尾さんがぐんぐん熱を上げているのがわかって、嬉しいような息がつまるような、とにかく心臓がうるさくて苦しくて。私の言葉は確実に彼の耳に届いているだろうに、黒尾さんは全く反応せずに柔い口付けを数度。そのふわふわした感覚は心臓をこしょりこしょりと擽られているようでじれったい。ただ目の前の心地よさにぶくぶく溺れていると、私の耳元で大好きな人の色っぽい声が鳴った。びくんと反応してしまう自分が、恥ずかしくてどうしようもない。

「くち、あけて」
「…くち?」
「舌入れたい」

いつもの、私を見下したような彼はここにはいなくて、欲をふつふつと煮立たせる男が目の前にいた。それが私に向けられているのが嬉しくて、一瞬言葉の意味を理解できない私に痺れを切らした彼は私の顎をくいと下げてくちゅりと合わせる。もうそこに私の意志なんてなかった。ううん、こうしたいのだけれど、急にこんなことになると誰しも慌てるものだ。なにより彼にどんどん引き込まれるのが怖い。大好きな人だ。今だってもう、こんなキスだって何回か経験したことがあるはずなのに、黒尾さんとのそれはもっと違う、特別なものに感じて硬直した身体は思うように動いてくれない。彼の大きな手のひらが髪をゆるりと撫でてくれるのが気持ちよくて、それだけでたっぷり満たされていくのだ。もちろん、もっと欲しいと思ってしまうし、なによりこの快楽には上があるのだと思うと、恐ろしくて堪らない。

「…あー、ごめん」

彼の首に腕を回したいのに、右手も左手も全く使い物にならなくて、ただ私の身体と繋がっているだけだった。黒尾さんの舌が一通り私の口内をぐちゅぐちゅと刺激した後で、彼は私に覆いかぶさるのをやめた。ぽかんとしている私の頬を彼の指先が撫でる。そんな優しい顔します?ねぇもうやめようよ。これ以上引き込まないでよ。もうこれでもかってくらい好きだから。

「すみません、がっつきました」
「…うん、」
「ごめん、びっくりしたね」
「うん、」
「連れ回したし、疲れたろ。ちょっと休んどいで。夕飯、外出る?デリ?」
「…黒尾さんに任せる、」

色っぽい空気は木っ端微塵。中途半端にせり上がった熱が行き場をなくして自分の身体の中で「えっなにこれ、これなに?放置?続きは?」と戸惑っているのが情けない。さっき、恋人という肩書きをもらったばかりなのに、もう欲しいと思っている。あの背中に直接触れたいし、私だって彼の舌に自分の舌を絡ませたい。好きだよって言いたいし言って欲しい。でもそんなこと、目の前の彼にストレートに言えない。もう私たちを取り巻く空気は日常なのだ、残念ながら。

「ん、デリにしよっか。19時くらいに頼むわ。それまでごゆっくり」

わかる、困らせている。反応悪いし自分の意見を主張しない女なんて男から見たら面倒くさいの極みだってことくらい私だって知っている。「続きして、黒尾さんの部屋で。そうしてくれたら夕食なんてコンビニのパスタでいいから」って思っているし、思ってるならそう言えばいいんだけれど、そんなに簡単なことじゃない。なお言えばそんなことがスルリと言えるほどまっすぐな女に育っていない、この年になればわかることだ。

「うん、ありがとう」
「本当ごめん」

私の唇にまた触れるだけのキスをした彼も、自室へと吸い込まれていった。なに、なんで格好つけるわけ?したいならしたいって言ってよ、無理やりでもしてよ。そう思うがこうやって自分の欲をコントロールできる自制心を持った彼のことがまた好きになるし、わあっと泣き出したくなるくらいに嫌でもあった。一人きりのリビングは広すぎてどうしようもないのでこちらも自室へ。気合を入れた洋服たちは脱ぎ捨ててゆるいTシャツとショートパンツ。ベッドに沈み込んで目を閉じると先ほどの感覚がぶわりと蘇ってきて想いも迫り上がる。もっと進めたいって、そう思っているのは私だけだろうか。なんで彼は我慢できてしまうのだろうか。あそこまで荒らしておいて、なんで。

「中華とピザ、どっちがいい?」

多分少し眠ってしまっていて、虚ろな頃、ガチャリと扉の開く音がしたのでスマートフォンで時刻を確認する。18時を少し過ぎた頃だ、律儀な男だとそう思った。扉の向こうに彼がいる。数駅先のマンションにいるわけじゃない。会いたいと思って携帯を握りしめる必要なんてない。扉を開ければいるのだから、開ければいいだけだ。眠ったことでメイクがよれているだろうかと心配になったが、問題はなさそうだ。みっともない部屋着だけどこれはこれでいいのかもしれない。露出したくらいで彼が私を抱きたいとそう思うのならなんの問題もないのだから。下着だって選抜メンバー、怯む必要なんてない。ソファでスマートフォンを弄る彼から飛んできた声。その隣に腰掛けて彼の洋服の裾をくいくいと引っ張ってみる。黒尾さんももう、部屋着に着替えていた。私と同じようなTシャツだが多分割といいやつだ、それとブラックのハーフパンツ。

「ん?」
「…なんでやめたんですか」
「ん?なに?」
「もうしない?」
「え?」

わっかんねえ男だな、と苛立ちが募る。あのねぇ、こちらとて頑張っているんですよ。崩れてないって言ったって多少はアレだから綿棒でアイメイク修正したし、外に出る予定なんてないのにボディミストを軽く吹きかけて、髪は梳かして艶を出した。あなたの目線で私を見下ろせばTシャツのゆるい襟ぐりから下着と形の良さには定評のある胸が少し見えると思うんですけどね、その辺を察していただかないと困るんですよね。必死なんだから、私。

「なまえちゃん?」
「さっき、なんでやめたの」

恥ずかしいのとちょっと冷静な自分がいるのとで頬に熱が集まる。私ばっかりそうしたいと思っているようで、彼はいつでもいいって思ってそうで。そのバランスが舌打ちしたくなるくらいに悔しくて、一万円くらいしそうなTシャツを掴む手に力が入る。普段の察しの良さはどこに捨ててきたのだろうか。

「さっき?」

黒尾さんの顔も目も、見れなかった。ずっと俯いて、彼の腹の辺りに視線を泳がせ、頭上から降ってくる声に声を返す。ピンときていない声色にもう自室に引き返したくもなっていた。

「さっき、」
「…部屋でなんかあった?」
「ちがう」
「あの百貨店?」
「その間、」
「その間?」

意志の疎通の取れなさにもう私は諦めきっていた。中華にしましょうと話を巻き戻すのが正解なのかもしれないとそう思って、ため息ひとつと今日の夕飯の希望を彼にプレゼントしてパッと見上げれば、もう憎たらしいくらいに顔を緩め、口角だけを釣り上げるいやらしい男がいた。私がよく知っている、黒尾鉄朗だった。

「飯にしていいの?」

それだけ楽しそうに言った彼は私の後頭部をぐしゃりと掴んではじめっからぬちぬちと絡ませてくるものだから堪らない。そうだよ、あの人たらしみたいな男なんだよ。ちょっと優しいところ見せつけられたからって揺られている自分の浅ましさに憤懣。彼の真髄はこうなのだ、わかっているのに、どうやらもう脳内は正常じゃない。

「んっ、ふ…っ、んん、ん、」

苦しい、苦しい苦しい苦しい。ぎゅっと背中に腕を回して、酸素を求めて口を大きく開けば彼はまた隅から隅まで味わい尽くす。そんな終わりの見えないキスの合間に「上手じゃん」なんてほくそ笑む男がものすごく、好きだった。

「…なまえちゃんの可愛い声でストレートにお誘いしてほしかったな〜、もう一声だったのに」

性格悪過ぎますね、と言い返したいけれど乱れた呼吸がそうさせてくれない。彼はその場で生地のしっかりしたTシャツを脱ぎ捨てて、立ち上がって。

「先シャワー使うね」
「うん、」
「ん、俺の部屋でもい?」

こくん、と頷いた私にヘラリと笑う黒尾さんは、顔の造形はそんなに整っていないくせに魅力的で。もうこれ以上どう好きになればいいのかわからないくらいに彼が好きだった。バスルームへ楽しそうに向かう彼の背中に、じわじわ発情するのだ。

2017/08/12