×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
2016.12.30 21:19

花巻貴大というこの男は、いつまでたっても若かりし頃の恋愛が忘れられないようだ。それを今ようやく回収しようとしているわけだが、そんなにうまくいくはずもない。なまえからは煮え切らない返事が返ってくるばかりだ。まぁ「いや、もう昔の話だからね。いま貴大と付き合うとか一億積まれても無理だわ」と言われないだけマシだろう。まだ光は断たれていない。

「私も出すから」
「あーはいはいわかったわかった。800円ちょうだい」
「やだ、ちゃんと払う」
「いいって、ほら」

女はしっかりと酔っていたし、花巻もそこそこにアルコールを体内に入れていた。会計は7分の1くらいを払う払うとやかましい女に負担してもらった。端数の、小銭の分だ。店から出ると風がひやりと冷たくて、あぁやっぱりまだまだ冬が居座るんだなと、少々げんなりしてしまう。酔っ払ったなまえは朗らかで明るく、賑やかだった。方向が違うのだが、駅までほど近いので送っていくと花巻は提案する。なまえはその申し出を意外とすんなり受け入れた。酔っぱらっているのと、大人になった元恋人ともう少し一緒にいたいのと、そんな思いが混じり合ったものだった。

「貴大」
「ん?」
「手が冷たいなぁ」

ふふふ、と笑いながら女は男の腕にきゅっとしがみつき、花巻が着ているブラックのブルゾンのポケットの中に手を突っ込む。あったかいとぽやぽや呟く女を見ていると思うんだ。あれ?こいつも俺のこと好きなんじゃねぇかって、そう思う。そうは思うが、残念。多分まだ、なまえはそこまでの決断をくだせない。伊達に年齢を重ねていないのだ。次に付き合う男は結婚する男だとタカをくくっている。だから、昔好きだった男に今も好きだから付き合おうなんて言われたところで、そんな少女漫画みたいな安い台詞を信じるほどピュアではないのである。

「なまえ、いつもこうなの」
「ん〜?なにが?」
「酔っ払うと男に甘えてんの」
「そりゃそうだよ、寂しいもん」

周りは続々と結婚していく。あれ、ちょっと待ってよ、この間まで彼氏いないってお互いに愚痴言ってたじゃん。そう思ったって向こうはもうこちらになんて目もくれない。永遠の愛とやらを誓いやがった女は強いのだ。何も持たないなまえが叶うはずもなく、あぁいつ自分にその日が訪れるのだろうと首を長くして待つばかり。そんな時に花巻から電話がかかってきたのだ。そりゃあ、思った。あ、運命かもって。

「貴大だってそうでしょ?」
「なにが?」
「女の子と遊んでるんじゃないの」
「及川と一緒にすんなよ」
「及川、結婚しそうなんじゃないの?この間聞いたよ、なんかそんな話」

仲間内でも及川は軟派だと、そう有名だった筈なのに。いつの間にかそうではなくなったようだ。花巻の方がフラフラとした意志のない男に成り下がってしまったようで。確かにそれに関しては、なにも言い返すことができない。決まった彼女も作らずに、流されるがまま、欲望の向くままに女と付き合っていた男だ。しかもそれにさして罪悪感を感じていないのだから、よくある言葉を借りるなら“最低”がしっくりくる。

「プロポーズする度胸がないんだとさ」
「へぇ、そうなんだ。さっさとすればいいのにね」
「相手がまだ若いから、とか言ってたけど」
「そっかぁ」

あの及川がねぇ、とそうぼんやり呟いたなまえは学生の頃を思い出していた。お祭りで売っている瓶に入ったラムネのように澄んでいて、しゅわしゅわと弾けるような、そんな時代だ。思い出すだけで胸がじわりと熱を帯びる。鮮明に覚えていた。隣の席になった男に恋をしたことを。彼の周りにはたくさん人がいて、今の自分じゃ近付けないと思った。今では社交的で外交的ななまえだが、元々は比較的控えめで慎ましい性格なのだ。花巻に振り向いてもらいたいから花巻と話すチャンスがほしいから、自分を少し変えて高校生活に挑んだことを覚えている。些か無理もした。性格なんてそんなに簡単に変わらないのだから。それでもそうやって振舞っていれば、幾度か花巻と言葉を交わすことができて、席が隣になった時にはなんの違和感もなくすらすらと話せるようになっていたと思う。他愛もない会話ばかりだ。次の体育怠くない?とか、今日購買にメロンパンあるかなぁとか、古典ってなんであんなに眠くなるんだろうねとか、そんなどうでもいい話ばかりだ。それでもなまえは嬉しかったのだ。大好きな花巻と話ができる。にこりと笑いかけてもらえる。目と目を合わせて会話ができる。高校に入学するまで、まともに恋愛の経験がなかったからなおさらだ。どきどきと煩い心臓の静め方を、まだ知らなかったのだ。

「貴大」

告白された時のことも、よく覚えていた。放課後呼び出されて、ひとけのない教室で言われたんだ。好きだから付き合ってほしいって。なんの捻りもない、高校生らしい告白のフレーズである。あまりにも嬉しいその言葉に、なまえはぽろぽろと涙をおとして喜んだのだのをはっきりと思い出す。嬉しい時も涙って出るんだと、変に関心したこともよく覚えている。初心で無垢な女なのだ。多分それは時と共に少し薄れてはいるものの、このなまえという女は、まだまだ少女のままだ、大人になりきれていない花巻と、よく似ているのだ。

「ん?」
「本当に私のことすきなの」
「…す、きだと思うけど」
「なんで?」
「そもそも会いたいと思ってお誘いしてますからね、こちら」
「緊張した?」
「したよ」

あの時、教室で告白した時とどっちがドキドキした?って聞いてみる女は、無垢だけではないようだ。純粋ではあるが、この数年でしっかり学習していた。賢くなった女のほんのり意地悪な質問に花巻はたじろぐばかり。あぁ、と言葉を濁す男は酔っぱらっていながらもあの時のあの空気をしっかりと思い出す。確かにあの時もひどく緊張した覚えがある。

「たぶん、いま」
「うそ?」
「いや、高校の時は勢いがあったじゃん」

あの頃は、それでどうにかなった。どうなってもいいみたいな無鉄砲さがあり、怖いもの知らず…とまではいかないが、後先をほとんど考えなかったと思う。そもそも後先、なんて言葉を知らなかったのかもしれない。だから、言えた。好きだから付き合ってほしいって。今はとてもじゃないが言えない。好きだ、と伝えるのがいっぱいいっぱいで、それ以上なんて望めない。勿論付き合ってほしいし、この後家に来てほしい。次に会う約束もしたい。キスだってしたい。でも、なまえにそんな欲をぶつけてはいけないような気がするのだ。

「今はもうダメだね」
「ダメなの?」
「女の子ひとりデートに誘うのにこんなに緊張してたらダメだろ。アラサ―の男が」
「…そう?私は好きだけど。貴大のそういうところ」
「え?」
「貴大は優しすぎるんだよ。気遣いすぎ」
「優しいか?俺」
「うん。あとビビりすぎ」
「ビビってねぇよ」

女はもうひと押し、花巻からの言葉が欲しかった。そうしたら多分、この空気に流されてしまうと思う。しかし、2人が食事をしていた店は駅までほど近く、あっという間に到着してしまうのだった。あぁ、と男は落胆するがこればかりはどうしようもない。女だって同じことを思っていた。もう着いてしまった、と。随分ゆっくりと歩いたつもりだったが、どう言い訳をしたって、もう少し一緒にいようと言うには下心しか滲み出てこない。

「ありがとう、送ってくれて」
「いいえ」
「じゃあね」
「おう」

おやすみ、と手を振る女の腕を掴みたかったが、ビビりなこの男は女と同様に大きな手のひらを左右に振って無理やり笑顔をつくる。何やってんだ、と自分で自分に苛立つが、なまえの姿はどんどん小さくなっていく。姿が見えなくなって、女がホームに吸い込まれていくのを確認したところで心に居座る誰かが叫ぶのだ。何してんだお前って。バカじゃねぇのかって、そう何度も何度も大きな声で叫ぶ。その声にハッとし、花巻はまだ自分の思い通りに動く身体を動かすのだ。足には自信が…あったのだが…。女の姿を再び捉えるまでに呼吸は十分乱れていたし、足は鉛でもくくられているのかと思うくらいに重かった。カッコ悪いけれど仕方ない。どう頑張ったってこれが俺なのだ。それにしたって体力が落ちすぎている。及川と岩泉、たまに体育館借りてバレーやってるらしいし、今度混ぜてもらおうか。あぁ、その時になまえを連れて行くのもいいかもしれない。そうだ、それがいい。男はまた勝手な妄想を繰り広げるのだった。その前に言わなければならない言葉があるというのに。

「なまえ!」

ハッと振り返る女はひどく驚いている様だった。歩みを止めてはくれるが、こちらによって来ることもない。花巻の体力のゲージは限界にほど近かったが、そんなことを言っている場合でもない。はぁはぁと酸素を必死に身体に取り込んで、どうにか女の前へ。

「ごめん、私なんか忘れものした?」
「ねぇ、次いつ会える?」
「え?」
「来週末は?」
「なに、どうしたの」
「また会ってほしい。好きだから。なまえがまた、俺のこと好きになってくれるまで、俺頑張るから」

女はその台詞を笑ってはいけないと、それはわかっているのだ。そんなもの花巻の真剣な顔を見ていれば簡単にわかる。そんなの電話でもラインでも良いのに、なんでわざわざ走ってくるのだろう。へたれだと思っていた男は、暫く見ない間に随分男らしくなったもんだ。でも、堪えきれず笑ってしまう。なんて可愛らしい男だろう。なまえはそう、嬉しくなるのだった。

「頑張らなくていいよ」
「え?」
「もう好きだもん、貴大のこと」
「…そうなの?」
「うん、多分」
「多分て」
「多分じゃ嫌?」
「嫌じゃないですけど」

花巻はもう足が限界なのでその場にへたりとしゃがみ込む。なまえはそんな姿を見て今日は帰りたくないと、ひとりになりたくないと、そう思ってしまう。折角だし、少し大胆になってしまおうか。花巻がこんなにも積極的に頑張ってくれたのだ。大人になった自分を褒めてやろうと思うのだ。

「貴大、家来る?」
「え?」
「せっかくここまで走ってくれたし」
「…いいんですか」
「いいですよ」

なまえもその場でしゃがみ込み、花巻の美しい色の髪をくしゃりと撫でてやる。ふふふ、と笑いあう2人は、年齢は重ねているけれど、醸し出す雰囲気はあの頃のままで。花巻は思うのだ。この女、ズルくなったなぁと。男と女を取り巻く空気だけ、10年前に戻ったようだ。

2017/01/23