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「#エロ」のBL小説を読む
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- ナノ -
2016.12.30 19:42

「あの頃」

彼女はたっぷりと間をとって話し始める。緊張のせいか、騒がしいはずの店内が妙に静かに感じて怖いくらいだ。何を言われるのだろうと、つい身構えてしまう。うるりとした唇から発せられる言葉を煩い心臓と一緒に待った。

「あの頃も、貴大はそうやってさ」

あの頃というのは俺たちが付き合っていた学生の、10年程前の、あの頃のことで間違いないのだろうか。また少し声帯を休ませる彼女に痺れを切らして言葉を催促する。

「…え?」
「好きだって言って、…期待させて」

貴大の好きって、普通の人よりもちょっと軽いんだよって、彼女は言った。呆れたような、そんなニュアンスだ。何度かその言葉の意味を理解しようと努力してみるが、俺は“普通の人の好き”という概念を知らない。知らないというか、なんだ…その…俺が普通じゃないみたいな言い方は。俺、結構普通だぞ。少なくともバレー部のあの4人の中じゃダントツで俺が1番普通だ。

「私、しばらく引きずったんだよ」
「何を?」
「貴大のこと。知らなかったでしょ?」

あの時、告白したのは俺で、お別れを言い出したのはなまえだった。なんて言われてフラれたか、よく覚えているもんだ。単純だ。もう好きじゃないって、そう言われたんだ。2人で、ちょうど今くらいの時期で。空気はシンと冷たいのに、こそこそ繋いだ手のひらだけがとても熱かったのをよく覚えている。
知らなかった、とぼそり。独り言のようにそう呟いた俺の声は意外と大きな声量だったようで。彼女はその言葉に反応してくれる。

「そりゃあそうだよ、だって誰にも言ってないもん」
「別れようって言ったのなまえだよね?」
「わかってないね、貴大は」
「は?」
「そう言ったらなんて言うんだろうって。そう思って言ったの。性格悪いでしょ?」

ごちゃっとした頭。うまく物事を整理することができない。つまり、なんだ?どういうことだ?

「嫌いじゃなかった、むしろ好きだったよ」
「え?」
「貴大のことがすごく好きで、私ばっかり好きなんじゃないかなぁって不安だったんだろうね。それで」

別れようって言ってみたの。その頃の心情を、なまえはキチンと覚えているのだろうか。いま彼女が口にした物語は、ノンフィクションだというのか。
思い出す。別れようって何の前触れもなく言われたことを。何でってそう聞いたら好きじゃなくなったの一点張りで。でも俺も今よりずっと、若かったから。格好つけていたから。うんわかったって、それ以上問いただすこともなくシンプルにそうこたえたような気がする。正直その場で嫌だ別れたくないと地団駄をふんで駄々をこねたいくらいだったし、実際家についてから一人でしんみり泣いたような気もする。いや、絶対に泣いた。翌日、充血した目をあいつらにからかわれたのをよく覚えている。

「…なんすか、それ」
「若気の至り」
「いま言う?」
「言うつもりなかったよ」
「じゃあなんで言ったの」
「貴大が私のこと好きだって言ったから」

ちょっと嬉しくなってつい、と。かすかに頬を赤くした女は言う。こいつ、アルコール弱かったっけ?成人してから深く関わったことがないので正直検討もつかない。

「なまえって酒強いの」
「弱いよ」
「ビールとか普段飲むの」
「飲まないよ」
「なんで今日飲んだの」
「…酔っぱらわないと、言えないこともあるでしょ」

すみません、とまた店員を呼びとめて。ドリンクメニューを眺めているのでそれを奪い、店員に告げる。

「生と、ノンアルコールのサングリアで」
「やだ、私も飲む」
「ちょっと休んでからにしろよ」
「貴大にそんなこと決める権利ないでしょ」
「だめ。飲みすぎ。今日の記憶ないとか言われたら俺困るもん」

きょとん、とした彼女は言葉の意味がわかったのかわからないのか、耳まで真っ赤にして俯いて。なんだ、結構可愛いところあるんじゃん。気の強いキャリアウーマンというイメージが、いい具合に崩れていく。

「あん時さぁ」
「ん?」
「なんかよかったよなぁ、青春って感じで」
「…モテてたもんね」
「え?」
「貴大、モテてたじゃん。私と別れた後、ちょこちょこ告白されてたでしょ。そりゃあ及川には負けるだろうけど」

彼女は運ばれてきたピザをおぼつかない手元で切り分けようとしていたので、それを奪いこちらで切り分けてやる。酔っぱらったこいつはよく話すようだ。これが食事の席での正常なテンションなのか、それとも学生時代の気のしれた友人(自分がその枠に当てはまるのか否かは判断しかねる)だからこうなっているのかはさっぱりわからない。後者であってほしいと願うばかりだ。

「モテてないよ」
「モテてたよ。いたもん」
「なにが」
「貴大のファンみたいな」
「ファンみたいなって…ファンでいいだろそこは」

当時はそんな実感は全くなかった。恐らく、及川の人気が異常だったからだろう。その異常が身近にあった俺は、あれが普通…とまではいかないが、そこそこありふれた光景だと思っていた。でもそれは特別だったんだと、そう気付いたのは大学に入学してからだろうか。あんな奴いないよな、と。その時に初めて思ったんだ。後輩の女の子とか、隣のクラスの女子とか、他校の女の子なんかにたまーに声を掛けられていた自分って、わりとアレだったんだなぁって。自分で言うとダサいので皆まで言わないけれど。

「それもあったんだよね」
「なに?」
「それもあったの。貴大、モテてたから、私なんか不釣り合いなんじゃないかって」
「…当時のなまえ、拗らせてんねぇ」
「高校生だもん。拗らせるよ」

なまえだってそうだった。身内で度々言われたから。羨ましいと。なまえが彼女だなんて、羨ましいと、そう何度か言われた。だろ?って、ニヤニヤしながら答えたら気持ち悪ぃと言われたものだ。俺は当時、幸せだったんだなぁ。好きな人と付き合えて、向こうも俺が好きで、周りも自分たちを羨んでいて、少女漫画みたいなイチゴ味の恋愛だ。自分で言うのもなんだが、可愛らしいとさえ思うから思い出は美化されるものなんだろうか。それとも実際、美しかったのだろうか。

「懐かしいね」
「そりゃそうだよ。10年経ってるんだよ?」
「やめろよ、ゾッとするから」
「女の私の方がゾッとするよ。男なんていいじゃん、こっからまた脂乗ってくるし」

石窯で焼いているのが売りらしく、運ばれていたピザは確かに味がよかった。こんなものを食べると明日胃がもたれそうで怖いのだが、美味いものは仕方ない。明日の自分に謝罪をしておく。

「なまえさ」
「なに?」
「話戻すけど」
「うん」
「俺、好きだからさ、いまも」

うん、ありがとう。
女はそう言ってとろりと笑って見せてくれた。それだけで、好きだと勇気を持って伝えた価値はあると思うんだ。俺も今日は酔っ払ってしまおう。普段はほとんど飲まない赤ワインをオーダーした。

2017/01/12