黒尾 | ナノ
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「私、元々鉄朗のことそんなに好きじゃないし」

ビルの7階から植木鉢が落下して頭の上に落ちてきたとしたら、こんな感覚なんだろうか。女の言葉は冷酷で温度がないと、黒尾はそう唖然としていた。唖然、という簡単な言葉がすんなり出てこないくらいには唖然としていた。兎にも角にもまぁ、想像していない言葉だったわけだ。昨日まであんなに普通に恋人という肩書きを所持していたのに。終止符はこんなにも簡単に打たれるものなんだなとか、見当違いなことを思っていたせいで彼女がイライラし始める。黒尾からの返答がないからだ。

「何で黙ってんの?」

何とか言いなさいよ。そう言いたげな女の顔は誰がどう見たって愛しい恋人に向けるものではなかった。怒りとめんどくさいと鬱陶しいと、そんな類のものがぐちゃりと混ぜ合わされているような感じだ。今の黒尾に彼女のご機嫌取りをする気力はない。今までなら理不尽なことで…ー。例えば、彼女からの電話に出られなくて折り返しの連絡が遅くなった時。黒尾は仕事中だったわけで、これはもうどうしようもない理由なのに彼女は鼻を曲げた。私と仕事、どっちが大事なの?とまでは言わないが「付き合ったばかりの彼女の電話に出られないなんて最低」的なことは言われた。それでも彼女のことが好きだったし、そんなどうしようもなく面倒な女だって愛していたから「ごめんな」とそれなりに気持ちを込めて謝れたのに。誕生日プレゼントのネックレスが好みじゃないとか、美容院に行って髪のトーンを1つあげたことに気付かなかったりとか。そんなことで随分ねちねちと言われたこともあって、いやそんなこと言われましてもと言い返したいところをポキンと折れてやっていたのだが。
今はそうする気力すらない。元々そんなに好きじゃない?元々っていつから?俺とお前が付き合ってから?それとも数合わせで参加した合コンで席を立った時に「もしかして、てつろうくんも数合わせ?」って困ったように笑って話しかけてきたあの頃から?なぁ、元々ってなんだよ。

「俺は、」

まだ好きだよ、と言いかけてやめた。彼女であるはずのこの女が、目の前で駄々をこねる鬱陶しい奴にしか見えないからだ。我儘なところもあるけどいじらしくて素直じゃない、とポジティブな言葉に変換することなんてもうできなかった。面倒な女、それしか残っていない。裏切られたとか、そんな被害妄想をしているわけじゃない。もういい、めんどくせえ、付き合ってらんねえ。俺が言うと思ってんだろうな、「そんなこと言うなよ」って。残念でした、言ってやらねえよ。言おうと思えば言えるけど、言ってやんねえ。俺だってそんなにお前のこと好きじゃなかったよ。付けている香水だって好みじゃなかった。飯の好みだってそうだ。俺が和食が食いたいと頭で考えていて、そんなこと一ミリも察しないお前は毎回イタリアンがいいって言った。いやたまには白米と味噌汁食いたくない?その言葉を飲み込んでた俺って何なんだ、いったい。内蔵がぞわりと震える。何だったんだ、この半年間の恋人ごっこは。

「俺は今、お前のこと好きじゃなくなった」

え?と。そう言っていたような気がするがそんなことはどうだっていい。くるり、背中を彼女に向ける。刺さる視線。待ってよ、と言う声。かまってちゃんかよ、と吹き出しそうになる。滑稽だった。彼女も、彼女のヒトコトでばちんとスイッチをオフにできる自分も、かなり感興をそそられた。振り返ったりしない。歩きながら携帯から女の全てを消す。それだけで全てなくなる。愉快で仕方なかった。元々好きじゃない。何だそれ、笑える。

「好きだから、違うからわたし…っ、ちがう」

すがる女に吐き気がした。なに、都合よすぎるでしょ。鉄朗の気持ちがわかんなくて不安だったの?はぁ、そうですか。俺だってお前の真意なんかわかんねぇよ。ただ、知ろうとはしたし理解しようと努力はしたよ。

「私の方が鉄朗のこと好きだもん、鉄朗は私のこと好きだったの、ねぇ」

この女は何回俺の頭上に植木鉢を落とせば気がすむんだろうか。そろそろ首がゴキンと折れてしまいそうだ。好きじゃなかったら一緒にいない。電話だって出ない。食いたいもん合わせたりしない。
この女は、なんでそんな初歩的なことがわからないんだ?
あぁ、俺のこと元々好きじゃないからか、なるほどね。
全ての問いかけに答えてやらない。男は背中で語ればいいんだろう?精一杯のさようならともう2度と会いませんようにを込めて1.3倍速で歩く。どの辺から女が俺の後を追ってこなくなったのかもわからないが、無性に泣きたくなって、立ち止まって振り返って彼女がいないことを確認してしゃがみこんだ。なぁ、こんな俺にさせないでくれよ。なんか怖そうだけど人当たりいい男って肩書きを俺にくれよ。そんなに贅沢言ってないだろ?


「なぁ、何食う?」
「ん?」

あの時のあの女の類似品だとそう解釈していた。関わりたくない、関わるならこの距離でと決めていたのに。

「黒尾さんは?」
「ん?」
「黒尾さんは何食べたい?」

なまえちゃんが近付いてくるから、近付いてしまった。肩書きを持ちたいと思ってしまった。なまえの彼氏。それだって随分贅沢なのに、最近は満足できなくなってきて、もう1つ上が欲しいなんて、俺は強欲なんだろうか。

「なぁ」
「ん?」
「俺のこと好き?」
「え〜、なにそれ〜黒尾さんオモーイ」
「おい」
「うん、ふふ、結構ずっと好きだよ」

それより何食べる?スマートフォンで近隣の飲食店を検索する指先にキスを。やめてよ、と頬を赤くする姿に聞かれてもいないのに言ってしまう。好きだよって、つい溢してしまうのだ。

2017/08/22